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2026年4月29日水曜日

小林正樹『日本の青春』(アマプラ)

アマゾン・プライム・ビデオ (有料)

武満徹が音楽を担当しているということもあって、小林正樹の『日本の青春』を一度観たいなあと思っていたら、なんとアマゾンのプライム・ビデオで観られるようになっていて驚きました。確かDVDにもなっていないのに…。

僕が観ようとした時点では★が1つというカスタマーレビュー(本文なし)があったのですが「それはないだろう」と思いました。結果、やっぱり観て良かったです。

タイトルの「青春」って、ああそっちにもかかっていたのか、というのが一つ、そして現在でも2つの青春が微妙に入り乱れるというか。映画評論なんかはできやしませんが、良い台本ですね(あ、まだそこでフラッシュバック使えるのね、的に)。そもそも「戦中派」がリアルな時代。狐狸庵先生の原作も読んでみなければ、と思いました。

2026年4月4日土曜日

フライングハイ(字幕版)をCM入りながら無料で

 


YouTubeって、CMは時々入りつつも無料で映画を見られるっていう仕組みを作ったのですね。これは知らなかった。『フライングハイ (Airplane!)って大好きな映画なのですが、コメントを見ると日本語吹き替え版の方が面白いらしい。まあ、字幕だともともとのパンチラインをそのまま訳せないというのはあるのでしょう。Don’t call me Shirley...とか。それと、I just want to tell you good luck. We're all counting on youの3回目はメッセージが全く違うものに訳されていたのは面白く、勉強になりました。

この作品、なんと音楽は『荒野の七人』を担当したエルマー・バーンスタイン (バーンステイン) だったり。『ゴーストバスターズ』もうそうですけど、彼って一時期はコメディ映画にたくさん音楽をやっていたみたいですね。


2024年4月8日月曜日

モートン・グールドのアルバム『ムービー・タイム』

 →Spotify

米Columbia時代のモートン・グールドの録音は、LP初期のモノラル録音(おそらくSPでもリリースされていたのだろう)のせいか、あまり聴かれることはないように思う。『日曜洋画劇場』のエンディング・テーマだった《ソー・イン・ラヴ》が収録されていたアルバム『カーテン・タイム』は、僕もオリジナルの音を突き止めるために買ったが、そのほかのアレンジもののアルバムはどうなのかな、と思って、ミュージカルの『カーテン・タイム』ではなく映画テーマ音楽が集められた『ムービー・タイム』も、実は入手している。

《ソー・イン・ラヴ》のような、ラフマニノフ風のシリアスなアレンジこそないのだけれど、いやあ、モートン・グールドのピアノは、このアルバムでも冴えていること。独特の哀愁が漂いますね。ピアノ作品の自作自演というレコードも米Daccaから出しているグールドなのですが、意外とそちらの方が耳に入ってこなかったんですよね。

モートン・グールドは、やっぱりオーケストラと共演した時の方が面白いのかな、と思いました。

惜しむらくは、このアナログ音源のデジタル化。もう少しうまく音響処理できなかったのかなあ、というところだろうか。

2024年3月20日水曜日

映画『アメリカン・グラフィティ』

一応お勉強のために拝見。『ALWAYS三丁目の夕日』ですか?というのが最初の印象。それほど美化された1950年代という感じが最後まで残った。まあ、最後に文字で説明される情報で、それが…とも言えなくもないのだろうけど、それって『風立ちぬ』的なところなんかねえ。若い時にこれ観てアメリカに憧れるってことがなくて良かったかも。1973年だから、余計にベトナム前/公民権運動前の「オールディーズ世界」っていうことになるのかな。いやもちろん、この映画が大好きっていう人がいてもいいし、肯定的に観るひとを否定するつもりはない。

しかしこれ、ジョージ・ルーカス監督なのね。しかも、やっぱりあれ、ハリソン・フォードかぁ。『スター・ウォーズ』の時ほど顔に彫りがないように思えた。

2024年3月18日月曜日

映画『イージー・ライダー』

 冒頭のお気楽なイメージから…そう来たかあ。映画音楽史的には、既存のポピュラー名曲を使った(しかもテンプトラックについていたものも多い)作品として、その後「ヒット・ソングをただ使えばいい」的な安易路線へと映画音楽界を堕落させた先駆的な存在、のように語られるのかもしれないけど、いやはや、映画そのものは、特に後半、エスタブリッシュメントと信仰に触れる部分からは、けっこうエグいものがあるねえ。映像のスタイルも、なんというか、フランス的なところからかなり影響を受けているというか。これが1969年の作というところもすごいね。「暴力」とはなにか、という問いを突きつけてくるね。当時の衝撃作であったことは容易に想像できる。


僕は映画を観る時は、できるだけ作品に関する情報を入れないようにしている。サントラのライナーを冒頭だけ読んで、そのテーマを知ってしまって、ちょっと後悔はしているが、とはいえ、さすがにエンディングを予測するのは難しいかも。物語のそれまでのペースを考えても。


そうそう、挿入歌は基本的に移動シーンのモンタージュの背景に流れるという感じだけれど、実は移動先のエピソードになると、背景音楽が全然ないというのも、アメリカ映画としては珍しいかもしれない。ニューオーリンズ以降のシーンになると、ようやく背景音楽…というか、特殊映像と音楽との組み合わせがすごいね。

その他のキーワード=カトリック (少数派、JFK) 。使徒信条・主の祈り。

2024年3月11日月曜日

映画『サンセット大通り』(音楽=フランツ・ワックスマン)

 映画界の「忘れられたスター」の悲哀、ということなのだろうけど、最初にエンディングを見せるなど、プロットそのものよりも、execution の見事さに感動させられる作品というべきか。ロマンティックでメランコリックなスコアが全編に流れる。一方で、一昔前の音楽としてタンゴが登場し、それが幕切れにとても効果的に使われていつのは、映画の音楽の使い方を熟知している人たちの作品だなあと思った。

2024年3月3日日曜日

映画『嵐の青春』(1942、音楽=エーリッヒ・コルンゴルト)

エロール・フリンの路線とは一味違うコルンゴルトのスコア。原題はKing’s Rowなのだが、コルンゴルトは当初、これを町の名前だと思ってなかったらしく、どこかの王国の話だと思ったらしい。登場する旋律がジョン・ウィリアムズの『スター・ウォーズ』に似ているという人もいるのだとか。言われてみれば、そうかもしれない。 しかし、この映画にロナルド・レーガンが出ているのは気が付かなかった。あとで写真を見て、「あ〜なるほど〜」と思った次第。しかし話としては、サディズムの医師という設定らしいのだが、うーむ、この映画が上映されたときは、ホットなトピックだったんだろうか。

2024年1月16日火曜日

映画『ベン・ハー 』を観た

 映画『ベン・ハー 』(1959、音楽=Miklós Rózsa) を観た。デジタル・リストアされたBlu-rayでとにかくきれい。

パックス・ロマーナというよりはパックス・アメリカーナを感じる…そういう時代の産物というべきか。タイトルの『ベン・ハー』って何かと思ったら、ユダ・ベン=ハーっていう名前のファミリー・ネームなんですね。そう考えると、ユダヤ世界ど真ん中ですね…。確かに長いのだけれども、長いという感覚をそれほど感じなかった。しかし、冒頭で、この映画を「イエスの物語」としているのだけれども、それはどうかなあ。生前のイエスに「出会っていた」という感じかなあ。

物語的にちょっと気になったのは、メッサラがどうしてそこまでベン・ハーを忌み嫌うのかについての動機づけが難しいなあという感じだろうか。あとは、ポンテオ・ピラトの名前が出てくる辺りから、結末はある程度予測できてしまうというところで、あの終結部に関しては「まあ、そうだよね」になってしまうということかもしれない。ただ、それを分かってでも、いかにそれを描くかという点では成功しているのだろうな、という気持ちは持てたかもしれない。聖書物語に親しんでいない人から見ると、やはり戦車競走がクライマックスで、あとは「オマケ」になるのだろうか。インターネットのコメントを見ていると、ところが案外エンディングにも感動している人がいるっぽいので、やはり execution が良かったということなんだろうな。

しかしチャールトン・ヘストンが、聖書のメッセージとはいえ「敵を愛せ」というメッセージに共感を寄せているというのは、なかなかだ。

ミリアムとティルザの「死病」(Wikipedia表記) の扱い方は、なかなか難しいところで、聖書の新共同訳の記述も随時変更をされているところだけれども、ビジュアルにすることで、そのシリアスさが伝わってくるというところか。

ロージャ・ミクローシュ (ミクロス・ローザ) 、長尺の映画に作曲するのは、さぞかし大変だったろうなあ。作曲にかかった時間も、そうとう長かったらしい(あとで調べてみなければ)。モーダルな旋律が、やっぱり歴史感を醸し出すには良いのだろうな。短7度上行→短3度下行→ターンの組み合わせって、ものすごくインパクトがあるので、ベン・ハー登場の度に、その旋律を出すところは、やはり音楽から映画を統一させるというところで、うまくいっているように思う。音楽的にも戦車競走の場面が有名だけれど、実際の競争が始まるや否や、音楽がすべて止まって、効果音だけになるという選択は素晴らしいと思う。あの場面、20分だっていうのだけれど(本当?)、ずっと短く感じられた。まあ、スペクタクルな映像という意味でも、圧巻ではある。チャールトン・ヘストンも、かなり練習したらしいし(『十戒』では2頭の馬だったそうだが、これは4頭だからなあ)。

2017年2月15日水曜日

『コクリコ坂から』を観ました。

スタジオ・ジブリの映画『コクリコ坂から』を観ました。横浜を舞台にしているので、なんだか親近感がありますね。元山下行きバスというのが走っているのですが、なぜか前と後でナンバーが違ってたりしている(汗。そういう町の名前もないようで。当時の4桁数字のナンバーの真ん中にはハイフンが入らないとか、このバスにはけっこうツッコミが入ってる模様。
そのほか市電の「西の橋」停留所というのが出てくるのですが、この風景が元町交差点から山手トンネルの方を見た感じだなあと思っていたら、やはり元町交差点周辺を舞台としていたそうで。へええという感じです。
桜木町駅は昔の駅舎を初めて見ましたが(なぜかホームは高架にしなかったそうですね。監督が知らなかったとか…)、山下公園のホテル・ニューグランドとか氷川丸やらは今と変わらぬ風景で、いいですねえ。
坂の方は汐汲坂をモデルにしているという説もあり。ただ代官坂にある花屋さん(宮崎生花店)も登場しますね。お店の前に『コクリコ坂から』のプレートが置いてあったりします。コクリコ荘がある港が見える丘というのは、まさに私の勤務地の近くの公園(港の見える…)をもとにしているそうですし…。
映画としては、割と好きな方かも。音楽はちょっと音量が大きめに入ってる印象。
実は英語版というのも観てしまったのだけど(すいません、こちらはそのうち買います…)、俊の父親などは、こっちの声優さんの方が好きだなあ。それにナレーションを足したり、セリフがオリジナルからの英訳じゃなくて違うものになっている箇所もあり。僕的には英語版の方が気に入ってる箇所もあったりします。

2010年10月4日月曜日

最近観たもの・聴いたもの

映画『スター・トレック』 (2009)

いわゆる「エピソード0」にあたる物語なのだろうか。途中であの人が出てきて、もしや、と思わせた。

ただ私はアメリカに長く住んでいたのだが、ついにトレッキーにはならなかった。そんな私のような、『スター・トレック』初心者でも、普通のSFアクション映画として楽しめたのがこの1作。その一方で、この「普通のSFアクション」というのは、コアなファンからすれば違和感を感じるのかもしれないと思った次第。

ジャッキーノの音楽、サントラも持っていたが、映画本編を観ている時には、ほとんど意識せずにいることができた。これは素晴らしいことなのだろう。エンディング・ロールに『宇宙大作戦』をアレンジして持ってくるところはニクいねえ。

『シルクロード音楽の旅1 (遥かなる歌の道) (1) 中国音楽 (漢族と蒙古族)』(「小泉文夫の遺産 〜民族音楽の礎〜」41) キング KICE 41

中国の音楽を聴いている。でも時事問題とは全く関係ない。

漢族と蒙古族というまとめ方のCDだけれど、演奏は「中国の音楽家」とある。富山の民謡を他の県の人が歌っても良いのだろうけど、いかにもプロっていう人が、こういう風に日本で、両民族の音楽を歌い、演奏しているんだってことに留意しながら聴くべきなのだろうか。「民謡」なのであれば、そもそも「正調」を求める発想自体が浅はかなのかもしれないとは思うけれど。

ライナーノーツにあるような、オルティンドー、ボグンドー (ボギノドー) っていう分類は、要するに民謡を拍節の自由さ・規則性によって分けている訳だけれど、結局これは、日本の民謡との連続性を探るための手がかり、媒体、道具ということだろうか。ストレートに聞こえてくる音楽の魅力を味わうには、むしろタイトルとか歌詞とか、それらと音の関係に耳を傾けるべき?

それにしても、この箏の使い方は面白い。ハープみたいなアルペジオを多用していて、ホモフォニックな箇所さえある。中国は「伝統の保存」をせず、むしろ積極的に新しいものへと改変していくのだから、音楽的にルーツの共通性を探るのは、実に難しい。ものの100年も遡れば、録音資料はあっというまに乏しくなってしまう。中国だって例外じゃないだろう。

参考までに『世界民族音楽大集成14:内モンゴルの音楽』 (キング KICC 5514) も聴いている。ドルボン・オタスタイ・ホールっていう擦弦楽器は、漢民族の二胡よりは日本の胡弓に音色的には近い。とはいえ、やはり音楽は日本とは全般的に違う。アコーディオンが入っているというのも意外。

料理の味付けも韓国、中国、日本でかなり違うものだけど、音楽も違うものだなあ。楽器の相似は否定しようがないのだけれども。楽器の相似は料理の材料の相似と重なるのだろうか???

2009年5月28日木曜日

最近観た映画

ごぶさたしております。日記はmixiに書くことが多くなり、こちらに書いていないのは、申し訳なく思います。時々、そのmixi日記を転載していきたいと思いますので、よろしくお願いします。なお「富山の音楽・石川の音楽」については、別のブログで続ける予定です。詳細が分かりましたら、またお知らせいたします。

さて最近は、西部劇映画について読んだり、実作品を観ています。The Bfi Companion to the Westernは、西部劇に登場するアイテムや、映画監督・俳優などのデータに長けているけれど、映画作品についてのエントリーは少なめ。The Western (Aurum Film Encyclopaedia)の方が、作品年代と、各作品の大まかなことを知るには便利。両者をうまく使いこなすことが大切かもしれません。

関係ないですが、県立図書館から、柳沢一博の『ヴィスコンティを求めて』、アンヌ・ジランの『トリュフォーの映画術』、池波正太郎+淀川長治の『映画行脚』を借りてきました。

映画『ビッグ・トレイル』 (1930)

ジョン・ウェインのデビューだったんでしょうか。顔が若いので分からなかったんですが、あの独特な話し方で「えっ、これってジョン・ウェイン?」と気付きました。

『ビッグ・トレイル』は興行的に大失敗だそうで、いわゆるAプロダクションとしての西部劇が本格的に量産されるのを10年近く遅らせることにもなったようです。まあ、確かに途中で眠くなってしまう箇所が、特に前半部分に多いですね。

ぱっと観た感じ、予算がかかっていることを感じさせられる箇所があり、大西部を見せつける箇所も、白黒映像とはいえ、壮観でさえあります。ただ、おそらく台本にまとまりがないのと、オーバーなセリフ回しなどが、気になるところかもしれません (あのコメディアンが不必要だと指摘する本も) 。それゆえに、不思議なくらいに感情移入しにくいです。

音楽的にも、通常なら入っているだろうと思われる箇所にないと不満になるものです。例えば幌馬車の進む場面。効果音だけが淡々と聞かれます。リアルにはそうなのかもしれませんが、あまりにニュートラルという感覚もありますね。またサイレントのフォーマットをひきずっているため、音楽が専ら場面転換用になっているという印象も受けます。

一方で、いわゆる「インディアン音楽」はすでに登場しています。これが分かったのは収穫なのかも。

映画『バファロー大隊』 (1960)

これはウェスタンというより、南北戦争時代の黒人を対象とした「法廷劇」という感じでした。回想でずっと持っていってます。しかし、先住民族にかんしては、相も変わらず「群衆」あるいは「物」扱いのような気がします。

主題歌は陽気な愛唱歌風だったと記憶していますが、ハワード・ジャクソンのスコアは、なぜか覚えていません。

映画『黄金』

500円DVDは、ハンフリー・ボーガートがジャケットの表紙になってて、映画の冒頭も、彼が中心に進んでように思えたんだけど、そういう風にきましたか。ただ、個々の部分に関して「イマの映画だったら、もっといろいろ仕掛けをしてくるようなあ」というところがあり、肩すかし的なところもあって、それが、いいのか悪いか、というのはありそうです。とはいえ、映画の後半は、心理劇として、とても面白く、「これも西部劇なのかー」と見識を新たにしました。フロンティアの発想であるとか、開拓の苦労とか、アングロサクソン的な歴史観として琴線に触れる部分もあるのかな。川渡りの苦労とか、馬車での峠越えとか。

マックス・スタイナーの旋律、結構残りました。おちゃらけな旋律が飛び出すのは、映像を見ると、雰囲気に合ってるように思えました。ラテン・アメリカ系の色を出しているのは、漠然とサントラだけ聴いている時は、気がつかなかったような気がします。

2008年12月29日月曜日

映画『戦艦ポチョムキン』、クリティカル・エディション

小気味よいテンポでカットが挿入される、サイレント映画の傑作。僕はサイレント映画というのは、音がないから退屈するのだと、漠然と誤解していた。どのアングルから、どの方向から光の入った、どのくらいクローズアップした、どんな表情をしたカットを何秒挿入するのか、そんな「編集の妙技」と言ってしまえば陳腐この上ない一言に内包される感覚の鋭敏さが、映画にはきっと必要なのだろうな、と思わされた。

「圧政に虐げられた民衆が立ち上がる」というのを、いわゆる共産主義のプロパガンダだというのは簡単なことなのだけれど、高く掲げられる赤旗が星条旗で、字幕がアメリカ英語だったりして、細かな設定が「アメリカ仕様」だったらどうだろう。案外アメリカ人達は、「民主主義の勝利だ」と叫んで喜ぶんじゃないかと思ったりもする。大恐慌時代、アメリカのクラシック音楽にはナショナリズムが勃興した一方で、外ではマルクス主義に裏打ちされた労働運動も盛んになっていたのではなかっただろうか。いま若者の間で日本共産党を支持する人が増える一方で、日本全体が右傾化している。何となく歴史的に繰り返しているところもあるのではないかと思ったりもする。

2008年12月23日火曜日

映画『風とライオン』

音楽=ジェリー・ゴールドスミス。アラブもの映画音楽というと、『アラビアのロレンス』のを担当した、モーリス・ジャールが確立したステレオタイプなハリウッド・アラブ系音楽の呪縛というものはあるんじゃないかと思ったりもする。でも、ゴールドスミスくらいの大御所ならば、それもない、というのはひいき目過ぎるだろうか。打楽器がリードするという点では、確かにジャールの『アラビアのロセンス』が一つの規範だろう。ただ、甘美でノスタルジックな旋律はここには見出せない。そういう要素は、ジャール時代のハリウッド全体に要求された、いわゆる一般の人が漠然と「映画音楽」という言葉から想像するスタイルの一つだったんだろう。一方のゴールドスミスの旋律にノスタルジーはなく、ヒロイズムがある。

米軍の歩兵隊が宮殿を占拠しようという場面。行進や隊列の合図としてドラムが使われている。そして宮殿平定時には米国海兵隊の公式マーチ《忠誠》が使われていて、このスーザの行進曲がとても好きな私は、アラブ人たちの殺戮場面の後に《忠誠》が流れるという一連のシーンは、ひどく心が傷む。ところでこの《忠誠》という曲を、あの映画の設定で使うのは、時代考証的に正しいのだろうか? あるいはそれよりも、《忠誠》という曲が持つ象徴、ドラマ的な意味合いの方が、時代考証よりも優先されるということなのだろうか?

この場面の音楽の使い方というのは、いかにも征服者の音楽という感じがして、実に心地が悪い。そういう感情を引き起こす意図が、あそこにはあったのだろうか? あるいは国際感覚に欠けたヤンキーの一部が自分たちを「誇り」に思うことを見越しているのだろうか?

一方ショーン・コネリー率いる一団が「神への歌」を歌う場面があるが、たしかイスラムでは音楽と宗教は切り離すというのが常識となっていると思う。別に僕はゴールドスミスをくさそうとは思わないし、むしろ彼の音楽があったゆえに、あの映画が引き立っていると強く思うのだけれども、やはり多少民族音楽学をかじったが故に、イスラム社会と音楽との関係が気になってしまうのである。コネリーがアラーに祈りを捧げる場面がないのは、彼自身がイスラム教徒でないのであれば当然なのかもしれないけれど、それでは衣装以外に、彼のアラブ人としてのアイデンディティは、どう示されているのだろうか? これもまた気になるところである。

ところで『風とライオン』には2枚組のサントラ盤も出ている。スコアが映画にでた順番にすべて1枚のCDに収められ、かつてLPで出ていた時の形式による編集が2枚目に収められている。この2枚目には、軍楽隊の太鼓、スーザの《忠誠》の一部など、ソース・ミュージックも収録されている。

2007年11月3日土曜日

最近観た映画

映画『エアフォース・ワン』

在フロリダ時に観て以来だ。改めて観てみると意外とオーソドックスなアクションもので、楽しめた。確かに大統領が搭乗する飛行機がハイジャックされるという設定や、大統領がアクション・スターさながらに活躍するというのはあり得ないが、まあアクション映画を愛国主義のパッケージで包んだという感じではないかと思う。悪役のゲイリー・オールドマンが白熱の演技だった、でも、そういう風に客観的に観れてしまうってのは良くないのだろうか?

音楽はRandy Newmanがやってたのがリジェクトされて、Jerry Goldsmithが2週間でやらねばならなくなったという。結局Joel McNeelyもいくつかのキューを提供することになったんだとか。Newmanのrejected scoreもブートレグで出たそうだが、eBayとかにはなかったなあ。残念。ゴールドスミスのテーマ音楽はかっこいいですよねえ。これって愛国主義的な音楽にベースライン「I-III-IV」が使われた最初の例ですかね? Richard MarvinのU-571は年代的にあとだし (Filmtracksのレビューだと、U-571のtemp trackがGoldsmithだったそうですが、だから「I-III-IV」も共通なのかな?) 。

映画『硫黄島の砂』

「いおうじま」なら一発変換で「いおうとう」だとダメなのかあ。記録映画の映像を随所に混ぜているので、その部分が異様にリアル。恐ろしさが伝わってきた (日本兵が死んでたりするんだし) 。冒頭部分などはファミリー・ドラマ風で好きになれなかったが、終わってから考えると、水木しげるもああいうノリだし、実はリアルだったりするのかなあ、なんて思ってみたり。まあ海兵隊に敬意を評する頭の部分とか、最後の場面とかは、やっぱりねってところもあるんだろうけど。でも、この時代にしては、よくできた映画かもしれないなあ。Victor Youngがこの音楽をやってたりするのかあ。海兵隊の歌が何度も出て来てたなあ。いまはこういうそのまんまの引用というのは、鼻につくかもしれない、と思ってみたり。

映画『白い恐怖』

イングリッド・バーグマンの美しさにはspellboundされますねー。そしてヒッチコックはやっぱり素晴らしいです。

「映画音楽のような現代曲」という時は、この時代の、このような音楽を指しているのかな。でも、このローザの音楽様式で書いている21世紀の作曲家がいるかというと、そうでもなさそうな気がするんですよね。

映画『特攻大作戦』

コメディ色も強いけれど、後半は「そこまでやる必要があるのか」という残虐な作戦という感じもして、ちょっと後味が悪い感じがした。
前半までの音楽っていうのは、どうもスポーツ映画と共通するところがあるんではないかと思う。個性的な人物が団結して一つの作戦を遂行するっていうところに共通性があるのかな。

2005年3月20日日曜日

アニメーション映画(+サントラ)いろいろ

アイアン・ジャイアント(1999)

ロボットものアニメはお家芸と考えていた日本のアニメーターたちに衝撃を与えたアメリカのロボット映画と聞く。もちろんクライマックスは日本の初期アニメの時代から知られたおなじみのもの。音楽はマイケル・ケーメンである。地道にアンダースコアの王道を行っているように思う。なにしろ最初に通して観た時は、まったく音楽に注意を払わなかったから。ディズニーと違うのはその辺りだろう。そしてこれは一つの有効なやり方だと思う。

手塚治虫 実験アニメーション作品集

風刺漫画の色合いも見られるような作品が多い。なるほど、こういうものを作っていたのか。個人的にはやはり『ジャンピング』と『おんぼろフィルム』が一番好きだ。後者は音楽のスタイルがサイレント時代を彷佛とさせるもの…と思われるが、正確なことはもう少し勉強の必要があるかもしれない。冨田勲編曲による『展覧会の絵』は、その作られた時代、扱う主題を感じさせる興味深いものだった。まだ観ていない作品も多くある。

リトルフット(オリジナル・サウンドトラック) 米MCA Records MCAD-6266

スティーヴン・スピルバーグとドン・ブルースによる子ども向け恐竜アニメ映画のサウンドトラック。音楽はジェームズ・ホーナー。映画そのものはナレーターとエピソーディックな会話で進むストレートな叙事詩的なもので、そのスローな展開がやや辛かったことは認めねばならない。ただアニメーションの画的な魅力はあると思う。スピルバーグがスリリングな場面を随分カットしたそうで、確かにソフトな感じがする。しかし子ども向けアニメとしては比較的成功し、それなりの収益も上がったのだとか。この辺のアニメをディズニーと混同すると「ディズニーは子どもっぽいだけのアニメ」という誤解を生むのだろうか???

サントラCDを映像から離して聴いて驚いたのは、その音楽の面白さ。「こんなにゴージャスな音楽が流れていたのか?」と思うくらい。しかし映画そのものが観られないと音楽も聴かれなくなってしまうのがサントラの運命なのかもしれない。

ダイアナ・ロスのエンディング曲も、安易な「ヒット狙い」のポップ・バージョンではなく、スコアのテーマを上手く散りばめたもので、好感を持った。

05.3.21. 追記

『リトルフット』の音楽を書いたジェームズ・ホーナーは、他人の作品をうまく仕立てて映画音楽にするということらしく、かなり争論絶えない人のようだ。『バルト』はそうでもないようだが『リトルフット』の場合は、確かにプロコフィエフを引用したような箇所がある(コープランドとプロコフィエフはよく使われる作曲家のようだ)。

ところで『バルト』のそりが崖に落ちそうになる場面の音楽が『ムーラン』と馬とシャン隊長が崖から落ちそうになって助けられるシーンの音楽に似ていることは否めない。『バルト』のつららの落下場面と『ムーラン』雪崩も速めの6/8拍子が共通(つららの落ちる場面の音楽は良い緊張感が出ている。サントラに収録されていないのが残念)。いや「真似している」というのではなく、同じような場面(あ、後発の『ムーラン』におけるこれらの場面はディズニーの仕業か!)には良く似たような音楽がつくものだと実感…。

2005年2月23日水曜日

おやゆび姫 サンベリーナ

ワーナー・ホームビデオ DL-24000

ドン・ブルース監督による1994年の長編アニメを観る。

『サンベリーナ』の音楽、特に歌(バリー・マニロウ作曲)の占める割合は、おそらくディズニーのどの作品よりも多いだろう。映画は冒頭と最後の恋愛ストーリーの間に様々な登場人物とエピソードを挿入したような形になっているようで、その多彩さから、様々なスタイルの音楽が混在している。

本国アメリカにおける映画の評判は、かなり分かれているようだ。批判的な意見だと、登場人物が物語中にどう成長していくかが分かりにくいということや、ブルース監督がサンベリーナに託しているはずの「自分で決断する女性像」というのがうまくいっておらず、アンデルセンの伝統的女性観をくつがえすに至っていないということ、あるいはスタイルが70年代のディズニーであり、90年代のディズニーはもっと先を行っているというものだった。「子供向けには面白い作品だろうが、一緒に行く大人は退屈するかもしれない」という評も少なくなかった(もちろん「ディズニーより面白い」という人もいる)。

また、この映画は日本語で観た方が面白いように思う。歌の部分など、明らかに口の形が違っているが、サンベリーナは、ずっと古典的なヒロインになっているし(それはブルース監督の思惑とは逆なのかもしれないが)、脇役のセンスもいい。またヒスパニックやフレンチ・アクセントといった、オリジナルではやや耳障りな要素(民族的ステレオタイプの使用)が薄れているように思われた。

2005年2月20日日曜日

ディズニー・アニメあれこれ

『ホーム・オン・ザ・レンジ』  (2004)

ディズニーによる2Dアニメの最後と公表されている作品が日本ではついに劇場上映されずDirect-to-Videoとして発売された。登場人物・物語は西部劇をひとひねりしたということだそうだけれど、音楽はハリウッド西部劇のサウンドをしっかり踏襲。一部にヨーデルが入り、バラードも美しい。アラン・メンケンの才能が光る。

メンケンの才能を疑うわけではないが、やはり『リトル・マーメイド』、『美女と野獣』と続くと、やや作風が予測できてしまうので飽きてしまうところがある。『ホーム・オン・レンジ』の場合、作風が違っているのでリフレッシングだったと思う。

インターネット上のレビューでは「大笑いするほどではないが面白い」、「すぐに忘れられるような作品」という厳しい意見も見られる。しかし一夜のエンターテイメントとして観れば、それほど悪い作品ではないと思う。2004年最大の名作というと、そもそもこの映画がそういうものを目指していないように思えてしまう。カートゥーン風の画は面白い。

『ビアンカの冒険~ゴールデン・イーグルを救え』 (1990)

歌が1曲もないフォーマットは『コルドロン』以来か。しかしアンダースコアはとても効果的であるし、画的には美しくスケール感がある。作品としての仕上がりもなかなかで、もっと評価されていい作品だと思う。邦題は何とかならないものか…。今度はサントラもじっくり聴いてみたい。

『南部の歌』 (1946)

実写とアニメの合成。登場する黒人が召し使いとして幸せそうに白人に遣えるという描写が問題だとしてDVD化もされていない不幸な歴史を持った名作。南北戦争以降が物語の設定となっているので、いわゆる奴隷制は(少なくとも形の上では)存在していないし、たとえ当時の黒人の置かれている状況がこの映画と違い、はるかに酷いということがあったとしても、この映画の価値は揺るがないように思う。

というのも、一度みただけでも感じられるのは、むしろ子どものような純粋な心を持てば人種や身分の分け隔てなく人生の素晴らしさを謳歌することができるということだからだ (SaveDisney.comには、もっと優れた論考がある)。反対に人種の認識とそれに付随する差別というのは大人になる過程で身に付き、主人公の母親のようになってしまうのだろうか、と思われてしまうのである。そして、白人で大人になった人々のいくらか(ここでは母親がその一人だとして)が、かつてリーマスおじさんに対してとったように黒人に接していたのではないか、そういった過去に向かい合えないアメリカ人が、この映画を封印しているのではないかということである。もちろん真意は分からないが、もしもそうだとしたら、とても残念なことだと思うし、そうでないことを願っている。

なお私が観た日本盤LDでは、音楽の冒頭部分が数秒欠けているようだ(サントラでこの部分は確認できる)。また日本語で「南部の歌」というタイトルが英語のタイトルの出る場面で出される。これは残念ながら消すことはできないようだ。またフィスク・ジュビリー・シンガーズが歌う黒人霊歌スタイルで書かれた合唱ナンバーも2つあるようだ(その他の部分では黒人音楽の要素を直接感ずることはなかったように思う)。アニメの部分・実写の部分、それぞれに別の作曲家が担当しているが、明確に感じられるような作風の違いはない。

なお『南部の歌』に関しては、こちらを参照していただきたい。

その他、ドン・ブルース監督の『ニムの秘密』 (United Artists)の冒頭部分をもう一度。一回目の時はこの部分に集中できなかったけれど、話の深さが分かると面白い。アメリカにはとてもコアなファンがいるようだ。

追記(2005.3.3.)
『南部の歌』スペシャル・エディションDVDが 2006年、アメリカで発売されるという情報があるそうです。未確認ながら。こちらをご参照あれ。