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2026年6月21日日曜日

国際急行列車 (The International Railroad Express) について調べてみた

小学校の鑑賞教材として使われ、あるいは運動会の音楽としてCDに収録されている《国際急行列車》という曲がすごく気になってしまい、いろいろ調べてみました。

平成14年度『音楽のおくりもの (小学校音楽)』2 鑑賞 (DCT-702) という教科書準拠CDのライナーノーツ、12ページによりますと(著者不明)、作曲者のブーエ(E. Boue)は生没年不詳。国際急行列車のオリジナル・タイトルは "Galop du Chemin de far" であり、楽譜はフランス のアルエット社より出版されていたが、アルエット社は、20世紀初頭に他の会社に吸収され、現在出版されているオリジナルの楽譜はないということでした。

ちなみに "Galop du Chemin de far" というタイトルで IMSLP を探ってみると、ワルトトイフェル作曲のピアノ曲に同じタイトルの楽譜がみつかります。作曲者がブーエではないので、当然のように音源で聴く《国際急行列車》とは別の曲でした。

それで、AIに《国際急行列車》について尋ねてみたところ、Apple Music からのデータを引っ張ってきたようで、そこでは作曲者の綴りが Bouet となっているようです。さらに曲目は"Galop du Chemin de far" ではなく英題が "International Express"、 仏題が "L'Express International" ということでした。それにしても、ファーストネームが E. としか分からず、フルでないのは気になります。今後の課題として、いまのところは、ここまで。

ただ、《国際急行列車》の音源自体は日本でも古くから発売されていたことが分かりました。YouTubeに挙がっている《国際急行列車》の動画を見ると、文部省制定の観賞用曲として日本コロムビアがリリースした『幼稚園レコード』の1枚 (AK 4) に、この曲が収録されていました。この音源が発売された頃には作曲者がブーエというのが分かってなかったのか、作曲者不詳とラベルに書かれています。また演奏をしているのはセレブロフ指揮ロシヤ管弦楽団という団体であることも分かります ( ロシヤ管弦楽団   国際急行列車)。同じレコード番号の音源は、色の違うレーベルでもリリースされていたようです (SP盤紹介ー33 セレブロフの「国際急行列車」(てこな音盤倶楽部のレコード・ブログ))。

別の動画では『国民学校芸能科音楽 鑑賞音盤 初等科第一学年用』のレコードとして、同じ音源が挙げられていました。ということは、《国際急行列車》という曲は戦前から学校で聴かれていた可能性がありそうです。(国際急行列車 國民學校藝能科音楽鑑賞音盤初等科第一學年用)

ところで上述した『幼稚園レコード』の画像にはAK 4というレコード番号の他に、2W 109276というのもありました。おそらくこれは、海外で発売された音源が原盤となっているっぽいので、この番号で検索してみたところ、Discogs のデータベースから、それっぽいものが出てきました。J. Serebroff's Orch. – The International Railroad Express / Polka Frieda というのがそれなのですが、ここから分かることは、《国際急行列車》という日本語タイトルの元となったのは英語の "The International Railroad Express" であったということです。また『幼稚園レコード』の「ロシヤ管弦楽団」に関しては、J. Serebroff's Orch. から来ていると思われることです。ただ、J. Serebroff の名前から、どうして「ロシヤ管弦楽団」に至ったのかが気になります。

Discogsのデータベースによると、《国際急行列車 (The International Railroad Express)》が録音されたのは、1928年5月、ということで、なかなか古い録音になりますね。しかも録音場所が他ならぬニューヨークです。またレコード番号が Columbia 12081-F という番号で、ちょっと調べてみたら、このFシリーズというのは、分類としては "10-inch general ethnic instrumental" なんだそうです(Columbia Records 78rpm Numerical Listing Discography)。すなわちヨーロッパからアメリカへ渡った移民をターゲットにした録音シリーズである可能性すらありそうです(語学レコードもFシリーズから発売されていたようですね)。

残念ながら、J. Serebroffという人物が誰なのか、私には分かりません。Google AIによると「指揮者またはバンドリーダー」で「当時のスタジオ・ミュージシャン、あるいは移民コミュニティの音楽家であったとされていますが、個人の詳細な伝記的記録はほとんど残っていません」とのこと。ただ、このAIの回答には何か典拠らしきものが示されていないので、それを信用していいのか分かりません。このAIは、さらに続けます。

当時は、レコード会社の専属編曲家やスタジオのリーダーが、特定のジャンルを録音する際(例:今回はロシア風、今回はポーランド風など)に、こうした個人の名前を冠した即席の「オーケストラ」や「アンサンブル」を名乗ることが一般的でした。
ここまで言われると、J. Serebroff という人物がロシア人なのかも本当はよく分からないという感じがします。名前はロシア系っぽいですけれど…アメリカは多民族国家ですし。ただ、上記引用の内容からすると、例え指揮者の出自が不明確でも、「ロシア風」の音楽を録音したのでロシア系の名前が付けられているということは言えるのかもしれません。そうすると、《国際急行列車》はフランスの曲ではなくロシア風の音楽…なのでしょうか??? まあ確かに、セレブロフ指揮ロシヤ管弦楽団の演奏には途中でコサック・ダンサーみたいな掛け声も入ってます…。

なお、Serebroff のファースト・ネームなのですが、昭和館が所蔵している音源のデータベースによるとJakovなんだそうです。また、このレコードのデータベースには、演奏者がJakov Serebroff's Russian Orchestra と書かれていて、先述した「ロシア管弦楽団」とつながってきます (International Railroad Express | 昭和館デジタル・アーカイブ)。指揮者のロシア人(フルネームからはロシア系ユダヤ人っぽい感じもありますが)判定は、誰が行ったのか、あるいは誰かが原盤元に問い合わせたのか…。あるいは単にロシア音楽を演奏するオーケストラなのか??? いろいろ謎が多いです。

ちなみに日本人がSPに録音した《国際急行列車》の音源もあったようです。プーエ(!)作曲であるこの曲が伊藤翁介による編曲を施した形で日本ビクター管弦楽団によって収録されています  (ビクターレコード邦楽SP盤目録 | 78Music)。

学校教育用の低学年向けの音源には、いわゆる「描写音楽」に分類される軽妙な作品が多く収録されていますが、なかなか謎な曲も多いような気がします。ただそれが長らく学芸レコードに収録されているということは、現場的にはウケがよくて使いやすい、ということではあるのでしょうね。


2026年5月13日水曜日

Essay|アダムズとアイヴズ (2026-05-21 東京都交響楽団、第1044回定期演奏会Bシリーズ)

東京都交響楽団 第1044回定期演奏会Bシリーズ  [2026年5月21日(木) 19:00開演(18:00開場)サントリーホール] に合わせて、チャールズ・アイヴズとジョン・アダムズについてのエッセイを書きました。どうぞよろしくお願いいたします。

「Essay|アダムズとアイヴズ」→こちらからお読みになれます。

以下、公演の内容です。

出演:
指揮/ジョン・アダムズ
合唱/新国立劇場合唱団*

曲目:
ジョン・アダムズ:ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック(1999) [日本初演]
アイヴズ:答えのない質問
ジョン・アダムズ:ハルモニウム(1980)*

2026年5月11日月曜日

米国内におけるロイ・ハリスの評価?

ロイ・ハリスという作曲家、私の黒歴史ともいえる東京学芸大学の修士論文のテーマでした。博士論文でもハリスは若干扱いましたが(ロサンゼルスで貴重な資料もいただいたり)、それ以来、あまりちゃんと文章を読んでいませんでした。去年あたりから、少しずついろんな論考を読んでいます。それで、なるほど生前あれほどマスコミで大きく取り扱われていたハリスですが、当初から彼の作曲技法については疑問の声が挙がっており、彼に多くの発言を与えたことが、かえって彼が世論を巧みに操作していたとみなされる状況になっているということのようです。ある専門家は、ハリスを非難する書き手には女性が多い(そのことについては「言いたくはないが」と言っていたように記憶しています)ということもあって、まだ知らない「闇」があるんだろうか? とも思ってしまうところです。

2026年5月5日火曜日

Pauline Oliveros Papers (ポーリン・オリヴェロス・アーカイヴ資料)

カリフォルニア大学サンディエゴ校にあるポーリン・オリヴェロス関係の資料、日本からアクセスして読めるものもありますね。

2025年12月18日木曜日

久しぶりに古い記事を読んでみた

西村 朗「現代作曲家が書いたクラシック音楽論 滅びゆくものは美しく 第11回 現代音楽 Q&A」『音楽現代』 17 (11) (199)、1987年11号、pp. 100-103。

大学学部時代に出会った『音楽現代』の面白い記事。なぜかずっとコピーを持っていました。改めて読んでみて、なかなか痛快です。内容は架空の Q&A (おそらく一人対話)ということで、質問者は現代音楽について「音はキタナイ」し、「演奏者も聴衆も、出版社もレコード会社も、ぜんぜん面白がってないよ」「音楽の未来なんてなくったっていいね。マーラーでクラシックはおしまい。せいぜいショスタコーヴィチまでだね。あとはいらないよ」とまで主張します。それに回答者が必死に現代の作曲家や作品について擁護を試みるといった感じでしょうか。

ただそれは12音〜セリエルの擁護というわけではなく、スティーヴ・ライヒから始まり、近藤譲、佐藤聡明、吉松隆、藤枝守などが入るということで、セリエル後の潮流の紹介という感じになっています。その全体的な流れは4つの枠組みで説明されています。すなわち①新しい表現主義、②「音楽を原点から見直し、その構造性やシステムを新たに考えて、 自立した構造性のうちに、これまでにない音楽美を作り出そうとする」一派、③環境音楽、④「音の流れが人間の根源的な精神力や深層の心理、(中略) 魂の奥深いところを啓発するような音響、ないしは音楽作品の生成」を目指す派です。②④は具体的な作曲者が出てくるので、それで「あ〜」そういうこと…になるのかな???

詳しくはぜひ雑誌のバックナンバーに触れてください。図書館にないかな〜。

2025年12月15日月曜日

アメリカ音楽メモ (2005-11〜2005-12)

Morton Feldman. Something Wild: Music for Film. Ensemble Recherche. Kairos 0012292KAI.

ウェーベルンが作曲に影響を及ぼしたと言う点では、バビット以下のアカデミズムとモートンフェルドマンの間には、確かに共通点がある。しかし、アカデミズム派がウェーベルンの楽譜上にある音のコントロール法を見たのに対し、フェルドマンは、そのものの感覚に惹かれたようだ。トラック1 Something Wild in the City: Mary Ann's Theme (1960) も聴きやすい。トラック9Samo (1968) はコープランド風のトランペット・ソロ。フェルドマンが嫌いな人でも大丈夫かもしれない。

展開スパンが短い。音色が次々と変わる。センスの良さは変わらない。(2005-11-03)

アラン・ホヴァネス:交響曲第4番 Op. 165. A. クライド・ローラー指揮イーストマン・ウインド・アンサンブル PHCP-10062 (日本フォノグラム)

第1楽章はコラールが全編にわたって美しく響き渡る作品。ホヴァネス特有の、ややもすると、居心地の悪いアジア臭さが少ない音楽。第2楽章は、吹奏楽といえど、マリンバからスタート。打楽器中心。

テリー・ライリー@金沢21世紀美術館 2005-11

テリー・ライリーの音楽は急速に頭の中から消えていった。どんな音楽であったのか全く記憶にない。例えば、モダンジャズ風の和星、コード進行が角になっていたかと思う。《In C》のテリーナーから今日のコンサートを想像するのは不可能だし、この曲でなくても、《曲がった空気の虹》でも《シリ・キャメル》でもなく、おそらく最近自主レーベルから出されたアルバムにてようやく参照点が見つかるような気がする。

ただ、反復する音型がミニマリズムを特徴付けているだろう事は確かに確認できた。しかし…。革命的な音楽、あるいは新しい音楽といった賛辞はふさわしくないだろう。

開かれた形式 (2005-12-09)

音の解放はケージの範疇。形式と言うパラメーターを演奏家に委ねる方法論。毎回違う形式になる。

バビットについて (2005-12-09)

ミルトン・バビットがアメリカの作曲家に及ぼした影響を考える時、常に彼が大学で作曲を教えていたことに言及される。アカデミーズム派と言うのは、実験音楽とは違うが、調整音楽でもない。ヨーロッパ流のセリエリズムの延長線上にある作曲技法を大学を中心に受け継いだ作曲技法と言えるのだろうか?

2025年12月6日土曜日

音楽教育者プロフィール:UCLA民族音楽学教授 ティモシー・ライス

Music Educator Profile: UCLA Professor of Ethnomusicology Timothy Rice


僕がフロリダ州立大学で出会った ethnomusicologists はいずれもUCLA出身でした。Dale Olsen先生しかり、Michael Bakan先生しかり。Tim Rice氏については論文や著書などで名前は知っていましたが、こういう動画を見たのは初めてかもしれません。

アフリカでは物語の伝統が強いが、ブルガリアの場合は物語は歌の中にあり、しかも物語は女性の立場から語られているということも興味深い。

「音楽史」の授業で、12音の無調やミニマリズムをいきなりやるというのはなかなかすごいかも。研究対象がモーツァルトのスコアじゃなくて、例えばアフリカの1930年代・40年代のポピュラー音楽などの「録音」だというのも、なるほどねえ、という感じ。

ほかにもいろいろなトピックについて語っていますが、いずれも興味深い内容です。

2024年11月3日日曜日

アメリカのシェーンベルク ~ 創作、交友、教育 (『都響』エッセイ)

 『都響』エッセイ集の一つとして「アメリカのシェーンベルク ~ 創作、交友、教育」という文章を書きました。どうぞよろしくお願いいたします。

https://www.tmso.or.jp/j/archives/special_contents/2024/2024essay/column/column07.php

2024年5月18日土曜日

《山の音楽家》の原曲?→ Sing Hallelujah, Praise the Lord! (Swertner/Bechler)

Wikipediaで《山の音楽家》を調べると、おそらく歌詞の内容からドイツ民謡のIch bin ein Musikante が原曲であると書かれている。ただ、そこから原曲とされているYouTube動画を見ると、旋律は全く違っていてむずむずしたりする。歌詞にしても、小鳥・うさぎ・小リスなどの動物が登場しないのである。

ところがアメリカの音楽史を調べていて、Sing Hallelujah, Praise the Lord! というモラヴィア派の賛美歌に出会った(チューンネームはBECHLAR。19世紀、John Christian Bechlerという人が作曲したことに由来する)。そしてこの賛美歌旋律が、《山の音楽家》の歌いだしと全く同一なのである。AABA形式で、Bの部分は《山の音楽家》とは全く違うのだが、A部分については、Ich bin ein Musikante どころではない一致だ。


この旋律と《山の音楽家》に何か関係があるのか、あるいはこの賛美歌が、そもそも何か音楽家を扱った民謡を参照しているのか、現在の自分には突き止められていないのだが、とりあえずモヤモヤするので、投稿しておきたい。

2024年2月11日日曜日

国会図書館のデジタル資料

 国会図書館のデジタル資料で、戦後富山のクラシック音楽の状況が色々と見られるようになって、なかなか面白い。石川県の資料でも、富山県内のコンサートや音楽団体について、下手をすると石川県の動向よりも詳しく長く書いてあり、特に富山県の音楽団体に対しては、とても辛辣に書いてあって、それがかえって刺激的だ。

レコード・コンサートの実態については、富山市立図書館の書庫にあった資料が一次資料といえるんだろうけど(引っ越しの時に、どうなったんだろうなあ)、高岡や魚津あたりのレコード・コンサートの情報もいろいろと分かってくるね。

2016年8月23日火曜日

『ディズニー・ミュージック:ディズニー映画 音楽の秘密』

著書『ディズニー・ミュージック:ディズニー映画 音楽の秘密』ができました。2006年12月に発売された『ディズニー映画音楽徹底分析』を大幅加筆修正し、『アナ雪』やピクサー作品も含めました。どうぞよろしくお願いいたします!

2015年10月14日水曜日

2015年10月1日木曜日

きょう届いた本

今日届いた本です。内容はそれほど参考にはならないことは分かってたのですが、一応2015年に出版されたものです。

2015年9月20日日曜日

きょう眺めていた本

今日はこちらの本を眺めておりました。Menottiの Amahl and the Night Visitors のほか、Brittenの Owen Wingrave、Gerald Barryの The Triumph of Beauty and Deceit なんかが取り上げられているようです。

2015年9月1日火曜日

国立音楽大学 音楽研究所の活動

今年度は、客員研究員として国立音楽大学の音楽研究所におじゃましております。テーマは戦前のアメリカ音楽、特にガーシュインを中心としたものになっており、最終的な目標としては、ポール・ホワイトマンが初演した当時の編成と楽譜を使った《ラプソディ・イン・ブルー》の演奏です。

ホワイトマンの楽団は、現在のオーケストラとはかなり違っていまして、20人ほどのミュージシャンほとで編成されており、ヴァイオリンのような弦楽器は入っているものの、サキソフォンなど管楽器を中心に発想されたところもあります。ご存知の通り、ホワイトマン楽団所属のアレンジャーの一人で、ホワイトマン・サウンドに大きく貢献したファーディ・グローフェが初演版、そしてのちの(こんにち広く演奏されている)オーケストラ版のオーケストレーションを行いました。

それで、ホワイトマン楽団の編成の楽譜を作るにあたっては、もちろんホワイトマンが初演した当時の楽譜というものが(印刷の悪い)ファクシミリで残っているのですが、ピアノ・パートが空欄になっている箇所があるなど、省略されている箇所が多くあります。また、通常の版では演奏されない小節というのも存在しています。

ですので、初演版の楽譜を作成するにあたっては、印刷版を含めて、複数の版の《ラプソディ・イン・ブルー》を検討していただく必要がありました。

今日は前期の間に比較をしていただいた調査が「ひとまずの到達点」に達したようで、版の差異についての発表をしていただきました。私も《ラプソディ・イン・ブルー》のCDをいくつか聴いて、耳で違いについては知っていたのですが、「じゃあ具体的にどうなの?」ということに関しては、この日の発表は、問題点をきちんと整理されていており、とても感動いたしました。また楽譜を検討するにあたっては、当方が提供した音源も役にたったようで、光栄です。
一次資料を加えた調査は、資料入手ができていなこともあって、これからではありますが、引き続き楽しみな調査であると考えています。

私もポール・ホワイトマンについて調べつつ、ディズニー原稿をやりつつ、レコ芸海外盤も…頑張ります (^^)

2015年7月17日金曜日

国立音大でガーシュイン・コンサート

「ガーシュイン・サマーコンサート」がまもなく始まります。客員研究員としておじゃましている国立音楽大学の音楽研究所が主催しています。

2015年5月20日水曜日

ちゃんと調べてみる必要性

ガーシュインがラヴェルに弟子入りを断られたという話がされたのは、ナディア・ブーランジェに教わりにいった先のパリの出来事だということを言う人がいるらしい。「そうだったっけ?」と気になって、ちょっと調べてみた。

いくつか資料を眺めてみると、実はその発言はラヴェルがアメリカに来た時の話ということになる。エヴァ・ゴティエ宅で行われたパーティーで(ホステス以外は全員男性だったという、ラヴェルの要望で)、当日の通訳をしたゴティエが語ったところによると、ラヴェルは "it would probably cause him to write bad 'Ravel' and lose his great gift of melody and spontaneity."と語ったらしい。

Howard Pollackの伝記によると、ガーシュインもラヴェルも互いの音楽語法についてあまり知らなかったのだから、ガーシュインの申し出というのは"quixotic" (現実離れ/夢物語?) だったが、ラヴェルの方はそれをかなり真剣に考えて断ったようだ。親切にもラヴェルはナディア・ブーランジェに教わったらどうかとガーシュインにアドバイスしており、またパーティーの翌日には自らブーランジェ宛にガーシュインを紹介する手紙をラヴェルは書いているのだった。

ガーシュインを語るときによく使われる「1流のガーシュイン、2流のラヴェル云々」という言い回は、音楽評論家のDavid Ewenあたりが最初に広めたしらしい。 "Why do you want to become a second-rate Ravel when you are already a first-rate Gershwin?" がそうだ。

さらに映画『アメリカ交響楽』で"Gershwin, if you study with me, you'll only write second-rate Ravel instead of first-rate Gershwin" となって、定着したのだという。

2014年12月19日金曜日

雑誌『シンフォニー』

こういうものが届きました。 せっかく購入しましたので、何らかの形で役に立てたいなと思います。


2013年11月3日日曜日

18世紀音楽に関するラウンドテーブル (日本音楽学会全国大会2日目)

日本音楽学会の2日目は、18世紀音楽のラウンドテーブルに参加してきました。いろいろ刺激がありました。

そもそもの前提として「劇場音楽」 (例えば今回の話の発端としてのオペラや歌舞伎) と「18世紀」という括りにすると、必然的にプロの音楽家の活動にかなりフォーカスが行ってしまうのは仕方ないことなのでしょうけれど、それがあるからこそアマチュアはどうだったのっていう流れがセッション後半に出てきたのは自然なことだったのかもしれません。ただ史料を通じて過去と向き合うにあたって、アマチュアの範疇に入る音楽家が、楽譜/文字としてどれだけ残っているのかということもあるのでしょう。

一方で、文字資料のない民族の18世紀の文化は、どのように見たらいいのかという疑問もありまして、歴史の史料として残っているものの見極めも、とても難しい問題だなあと思う次第です。

私の場合、中世音楽を西洋音楽通史で扱うにしても、例えば「世俗音楽」の回というのは確かにあるのですが、この「世俗音楽」にしても folk music の世俗とは違ったりするので(たぶん。church musicに対してのsecularでしょうから)、結局、文字資料や楽譜から再構築できる範囲の歴史であり、史料的に扱えない部分の歴史もあるんですよ、という前置きはいつも言うようにしています。

結局この日は、午後は途中で抜け出して(発表も聞きましたが)、東京文化会館でちょっと調べ物をしてしまいました…。午後のラウンドテーブルには、アジア各国における「近代化」についての話もあったようで、とても面白そうだったのですが、またそれは、田中優子先生に学内でお会いしたとき、直接お話をお伺いしたいなあと思います。

西洋音楽史に限らずですけど、年号は歴史を地理的に串刺して考えるための手段としては、とても面白いことを教えてくれる可能性があるんですよね。直接的に文化的交流があったかなかったで、立証の可能性の問題はあるとは思うんですけど。点在する類似の事象を、どうしても科学的に関係付けるのが難しいところが学問世界なんでしょうねえ。

森泰彦先生が文献表で挙げられていた Daniel Heartzは一度、私が在籍していたフロリダの大学にゲストで来たこともあったんですが、本は読んでません(恥)。基本文献と言われていたJames Websterの論文は読んでみたいです(恥again)。勤務校には置いてないようなので (JSTORにもない)、取り寄せてみます。