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2026年5月22日金曜日

東京都交響楽団 第1044回定期演奏会Bシリーズ (ジョン・アダムズ指揮) (感想メモ)

東京都交響楽団 第1044回定期演奏会Bシリーズ
2026年5月21日(木) 19:00開演/サントリーホール

[曲目]
ジョン・アダムズ:《ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック(1999) [日本初演]
アイヴズ:答えのない質問**
ジョン・アダムズ:ハルモニウム(1980)*

[演奏]
指揮/ジョン・アダムズ
合唱/新国立劇場合唱団*
合唱指揮*・副指揮**/冨平恭平

ジョン・アダムズが2回目の都響との共演であるということは、既に都響向けのエッセイでも触れたところですが、本公演に関しては、いずれもなかなか実演に接することが少ない曲ばかりで、それ自体がとても貴重でした。《ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック》は、そのタイトルとは裏腹に(ギターが入る辺りは若干センチメンタル???)重厚な3楽章の交響曲という趣がしました。正直ちょっと長いかなあとは思いましたが(予習不足であったということもありますが…)、ダイナミックな盛り上がりを伴った、構成力をも兼ね備えた大胆不敵な(そういう面では「ナイーヴ」ともいえるのかな?)作品かと思いました。これが日本初演ということですが、会場がこれほど湧き立つとは正直思っておらず、アダムズの人気と言うものを、恥ずかしながら初めて知った次第です。オルガン奏者が上手のコンソールから弾いていたのにしばらく気が付かず、どこからこのオルガンっぽい低音が?と思ってしまいました(苦笑)。

休憩を挟んで、アイヴズの《答えのない質問》では、合唱指揮者の冨平恭平さんを副指揮者とし、Pブロックにフルートなどの木管合奏が、客席左後方にトランペットを配置し、いわば空間音楽のような趣がありました。なかなかあの広いホールで時間差があるのでは、と思いつつ、アダムズはトランペット奏者にはあえてキューを送らずにやっていたので、それはそれで面白い音響空間が生まれたように思います。曲は名曲であり、改めての説明は必要かと思いますが、品の良い木管のおしゃべりが作品の、哲学っぽい趣を出していたのかもしれませんね。

《ハルモニウム》も生で聴く機会が少ないと言うこともあって、この公演の個人的ハイライトでした(実はこの曲の日本初演も東京都交響楽団だったのですね。1990年2月26日、オーチャードホール、大野和士指揮。合唱は東京混声合唱団)。なかなか縦の線を合わせるのが難しいのだな、後半へのスタミナの保持も大変だろうな、と思いつつ、生で聴くからこそわかる聞こえ方もあると思います。サントリーホールということもあって、合唱とオーケストラがほどよく音響が溶け合う具合といいますか。もうすこし予習しておけば、歌詞も聞き取れたのかもしれません。ただ響き自体の美しさというのは、初期の方が味わえるのかも、と思ったりします。

しかし、アダムズって、若い人からも人気があるのでしょうね。P席を除いて9割の入り??? インターネットには「現代音楽でも聞きやすい」というコメントがちらほら。まだまだそういった「現代音楽」のステレオタイプと言いうのもあるのかな。

2026年5月13日水曜日

Essay|アダムズとアイヴズ (2026-05-21 東京都交響楽団、第1044回定期演奏会Bシリーズ)

東京都交響楽団 第1044回定期演奏会Bシリーズ  [2026年5月21日(木) 19:00開演(18:00開場)サントリーホール] に合わせて、チャールズ・アイヴズとジョン・アダムズについてのエッセイを書きました。どうぞよろしくお願いいたします。

「Essay|アダムズとアイヴズ」→こちらからお読みになれます。

以下、公演の内容です。

出演:
指揮/ジョン・アダムズ
合唱/新国立劇場合唱団*

曲目:
ジョン・アダムズ:ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック(1999) [日本初演]
アイヴズ:答えのない質問
ジョン・アダムズ:ハルモニウム(1980)*

2026年5月11日月曜日

米国内におけるロイ・ハリスの評価?

ロイ・ハリスという作曲家、私の黒歴史ともいえる東京学芸大学の修士論文のテーマでした。博士論文でもハリスは若干扱いましたが(ロサンゼルスで貴重な資料もいただいたり)、それ以来、あまりちゃんと文章を読んでいませんでした。去年あたりから、少しずついろんな論考を読んでいます。それで、なるほど生前あれほどマスコミで大きく取り扱われていたハリスですが、当初から彼の作曲技法については疑問の声が挙がっており、彼に多くの発言を与えたことが、かえって彼が世論を巧みに操作していたとみなされる状況になっているということのようです。ある専門家は、ハリスを非難する書き手には女性が多い(そのことについては「言いたくはないが」と言っていたように記憶しています)ということもあって、まだ知らない「闇」があるんだろうか? とも思ってしまうところです。

2026年5月5日火曜日

高橋アキ・プレイズ・フェルドマン@神奈川県立音楽堂 (感想メモ)

高橋アキ プレイズ フェルドマン
モートン・フェルドマン生誕100年を祝って
2026年5月2日、神奈川県立音楽堂 13:10開場、14:00開演
13:30 プレトーク 高橋アキ×柿沼敏江(音楽学)
 モートン・フェルドマン(1926-1987):
《ピアノ》
《トライアディック・メモリーズ》
《バニータ・マーカスのために》
《マリの宮殿》

とても有意義な4時間弱のコンサートでした。特に印象に残ったのは、《トライアディック・メモリーズ》(1981) です。最初に演奏された《ピアノ》(1977) よりも運動性があり、メリハリがあります。ピアニズムはもしかするとシューベルトに通じるところがあるのでしょうか。反復と楽想の切り替えの絶妙なバランス。丁寧で程よい加減。そして「最後はその音で終わってくれるといいんだが」という感じで終わってくれる、そんな完璧な作品と演奏でした。もちろん《ピアノ》の訥々とした流れにも魅了されてはおります。

正直なところ《バニータ・マーカスのために》(1955) に関していえば、僕と波長が合わないといいますか、きっと良い作品なのだと思いつつも、完全に没頭できないところがあります。狂気ともいえる反復(譜めくりの人も戸惑ってしまうような)が、逆に、おそらく凄みなどだろうけれど、もっと変化が早く訪れてくれることを期待しているのだろうと思ったりも。もちろん演奏に不満はないし、こういった作品がフェルドマン後期の醍醐味であると頭ではわかっていても、身体反応として受け付けないところがあったのも正直なところでした。ただそれも含めての貴重な体験だったことは間違いないです。しかし…例の弦楽四重奏曲第2番などは、修行のようなものに感じてしまうのでしょうか???

最後に演奏された1986年の《マリの宮殿》は、それに比較すると、自然にすっと入ってくる身近に感じられる作品。技巧的にも《バニータ・マーカス…》よりもやさしいということでですが、それでも大変なものだとは思います。

それにしてもフェルドマンと言うのは、先にも後にも彼に連なる存在がいない唯一の人であるということが改めて分かりました。高橋アキさんは、真剣にアンコールの作品を探していたそうだが見つからなかったとおっしゃってました。しかしほとんどの聴衆はこの4曲を聞いて十分に満足できたのではないでしょうか。歴史的コンサートになるという事前の触れ込みもありましたが、本当にその通りでした。同じ横浜市内でこういったコンサートが楽しめるのは、本当に嬉しいです。

会場には、現代音楽に強い親しみを持つ人が多かったのではないかと推測します。顔見知りの人も何人か見かけました。会場40分前くらいに音楽堂に到着しましたが、すでに列ができていました。

先に入った方は前の方から席を取られていたようでした。フェルドマン作品は弱音を多用するということで、一番前から座られていたのだとは思いますが、僕はもう少し後ろのほうに座りました。(確か10列目)。せっかく県立音楽堂なのですから、ホールの響きもともに味わいたいと思ったのでした。

終演18:00予定ということでしたが、10分ほど早く終わりました。




Pauline Oliveros Papers (ポーリン・オリヴェロス・アーカイヴ資料)

カリフォルニア大学サンディエゴ校にあるポーリン・オリヴェロス関係の資料、日本からアクセスして読めるものもありますね。

2026年5月4日月曜日

ヘレン・フォレスト+カーメン・ドラゴン楽団によるメドレー

archive.org をカーメン・ドラゴンで検索して出てきた音源ですが、ヘレン・フォレストの歌声がなかなか良いです。

HELEN FORREST WITH CARMEN DRAGON AND HIS ORCHESTRA (聴きやすい)

HELEN FORREST WITH CARMEN DRAGON AND HIS ORCHESTRA (雑音多し)
 

フォレストについては、以下に参考となる情報がありました。
歌と歌手にまつわる話 (229) ヘレン・フォレスト voice of the big bands

2026年4月16日木曜日

ミシガン大学シンフォニー・バンドによるフサの《この地球を神と崇める》(作曲者指揮)

ウィリアム・レヴェリ指揮作曲者カレル・フサ指揮ミシガン大学シンフォニー・バンドによるカレル・フサの《この地球を神と崇める》です。あとで聴こう。(2026-05-04指揮者名訂正)

2026年1月24日土曜日

CBSテレビ『The 60 Minutes』- ローリー・アンダーソン・インタビュー

Laurie Anderson: The 60 Minutes Interview


74歳のアンダーソンへのインタビュー。アートと音楽との自然なつながり、1966年に音楽と短編映画のキャリアのスタートしたこと、ヨーロッパにおける音楽活動、1975年にイタリアにおけるヴァイオリンとループの演奏をしたこと、《オー! スーパーマン》のヒットから「前衛」がMTVへ進出したこと、ルー・リードとの出会い、近年の創作活動など。

全盛期?の映像(日本でもレーザーディスクで発売されていたもの)と比較して彼女見ると、「年取ったなあ」というのが正直な感想ではありますが、以前旺盛な創作意欲はすごいですね。ファシズムの台頭に危惧を呈しつつ、「私は世界をより良い場所にするアーティストではありません。それは私の目標ではありません。ただ密かには、と思っています」というメッセージが印象に残りました。

2026年1月10日土曜日

グローフェ:《グランド・キャニオン組曲》(コステラネッツ)

モノラル録音ということもあってか、CDとしては発売されていないアンドレ・コステラネッツ楽団の《グランドキャニオン組曲》の録音です。なぜか《ミシシッピー組曲》はバーンスタインの《グランドキャニオン…》とカップリングされてリリースされていたことはあります。

コステラネッツの演奏にはグローフェのオリジナルのオーケストレーションを尊重している箇所があります。例えば<山道を行く>の約2分40秒位のあたり、通常版ではホルンで演奏されるメインテーマが、ここではオリジナルの通りのミュートのトランペットで演奏されています。

効果音やジョニー・キャッシュのナレーション入の録音もありました。archive.orgには一応録音がアップロードされています。LPをそのままアップロードしたもので、音が濁っている箇所があるのが残念。針の掃除、したのでしょうか? あるいはレコードの溝自体が傷んでいるのかな?

2025年12月15日月曜日

アメリカ音楽メモ (2005-11〜2005-12)

Morton Feldman. Something Wild: Music for Film. Ensemble Recherche. Kairos 0012292KAI.

ウェーベルンが作曲に影響を及ぼしたと言う点では、バビット以下のアカデミズムとモートンフェルドマンの間には、確かに共通点がある。しかし、アカデミズム派がウェーベルンの楽譜上にある音のコントロール法を見たのに対し、フェルドマンは、そのものの感覚に惹かれたようだ。トラック1 Something Wild in the City: Mary Ann's Theme (1960) も聴きやすい。トラック9Samo (1968) はコープランド風のトランペット・ソロ。フェルドマンが嫌いな人でも大丈夫かもしれない。

展開スパンが短い。音色が次々と変わる。センスの良さは変わらない。(2005-11-03)

アラン・ホヴァネス:交響曲第4番 Op. 165. A. クライド・ローラー指揮イーストマン・ウインド・アンサンブル PHCP-10062 (日本フォノグラム)

第1楽章はコラールが全編にわたって美しく響き渡る作品。ホヴァネス特有の、ややもすると、居心地の悪いアジア臭さが少ない音楽。第2楽章は、吹奏楽といえど、マリンバからスタート。打楽器中心。

テリー・ライリー@金沢21世紀美術館 2005-11

テリー・ライリーの音楽は急速に頭の中から消えていった。どんな音楽であったのか全く記憶にない。例えば、モダンジャズ風の和星、コード進行が角になっていたかと思う。《In C》のテリーナーから今日のコンサートを想像するのは不可能だし、この曲でなくても、《曲がった空気の虹》でも《シリ・キャメル》でもなく、おそらく最近自主レーベルから出されたアルバムにてようやく参照点が見つかるような気がする。

ただ、反復する音型がミニマリズムを特徴付けているだろう事は確かに確認できた。しかし…。革命的な音楽、あるいは新しい音楽といった賛辞はふさわしくないだろう。

開かれた形式 (2005-12-09)

音の解放はケージの範疇。形式と言うパラメーターを演奏家に委ねる方法論。毎回違う形式になる。

バビットについて (2005-12-09)

ミルトン・バビットがアメリカの作曲家に及ぼした影響を考える時、常に彼が大学で作曲を教えていたことに言及される。アカデミーズム派と言うのは、実験音楽とは違うが、調整音楽でもない。ヨーロッパ流のセリエリズムの延長線上にある作曲技法を大学を中心に受け継いだ作曲技法と言えるのだろうか?

2025年12月13日土曜日

東京交響楽団第737回 定期演奏会 (サントリーホール) (感想メモ)

<出演>
指揮:ロス・ジェイミー・コリンズ
ヴァイオリン:大谷康子

<曲目>
≪大谷康子 デビュー50周年記念≫
マルサリス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
コープランド:交響曲 第3番

東京交響楽団公式サイト

今日はコープランド3番の楽曲解説を書いた東京交響楽団の定期に行ってまいりました。残念ながら会場に遅れて到着したため、マルサリス作品はモニター越しに聴きました。生で聴けなくて残念。スーザフォンが入っているのを見るとどうしてもポール・ホワイトマン楽団を思い出してしまうのですが、おそらく曲はもっとシリアス寄りなのかな。周りの聴衆の反応は「マルサリスがこんな曲を、天才だね」から、「ちょっと音楽がしっとりとしすぎではないか」まで様々。手拍子・足踏み、スタンディング・プレイまであったっぽい。

コープランドは、馬力のいる派手な曲というイメージがどうしてもあったのですが、今日の演奏は、しっかりと鳴らしつつも暴発的な感じはなく、芯のしっかりした響きで満たされる路線というべきでしょうか。弦・木管の美しさに自然に注目するようリードされていた印象。24歳? 今後が楽しみな指揮者、というべきでしょうか。

2025年12月9日火曜日

ホヴァネス:交響曲第29番 (バリトン・ホルンと管弦楽のための) 作品289 (1976) (チャールズ・スミス、スクロヴァチェフスキ指揮ミネソタ管)

Alan Hovhaness:  Symphony No. 29 for Baritone Horn & Orchestra, Op. 289. Minnesota Orchestra;  Stanislaw Skrowaczewski, conductor (World Premiere, September 1976).

編成:Orch: 3222 4331 timp perc(4) hp strings


YouTubeのコメントを自動翻訳にかけてみます。
アメリカの作曲家アラン・ホヴァネス(1911-2000)は極めて多作で、500曲以上の作品を残した。番号付きの交響曲は67曲に及び、そのうち30曲以上が商業録音されている。

第29番交響曲は吹奏楽版の第2版が録音されている。その録音ではバリトンホルンではなくトロンボーンが使用されている(いずれも差し支えない)。ここに初演となる第1版(フルオーケストラ編成)の世界初公開録音を紹介する。1976年9月、ヘンリー・チャールズ・スミス(バリトンホルン)とスタニスワフ・スクロヴァチェフスキ指揮ミネソタ管弦楽団による演奏である。

個人的には、このYouTubeコメントに言及されている「第2版」はトロンボーンよりもユーフォニアムで録音しても良かったのでは、と思ったのですが、音色の違いからの選択だったのでしょうか? フレージングはやっぱり滑らかな方がホヴァネスらしいような気もします。

いずれにせよ、珍しい独奏楽器の入った交響曲だとは思います。


2025年12月7日日曜日

アルフレッド・リード:《ロシアのクリスマス音楽》(演奏者不明音源)

Reed - Russian Christmas Music. Unknown Performer. Recorded under the direction of Ralph Satz. A Sam Fox Production 7-33-15-A. (モノラル録音、7インチ)




Webマガジン「ONTOMO」アルフレッド・リードの記事を書いていた時、興味本位でいろんな音源を探しているうちに出会った7インチ盤です。「プロモーション・レコード」というのがどういう目的で、どのように使われるのか分かっていないのですが(ちょっと調べてみたら、楽譜出版社が出していたものらしい)、とにかく録音されているのは、アルフレッド・リードの《ロシアのクリスマス音楽》ということはレーベルに書いてあり、実際聴いてみると、確かに初期のリードが書いた、この吹奏楽の一大傑作であることは間違いないです。

ただ、ラルフ・ザッツの監修の下に録音されたとはいえ、肝心の吹奏楽団や指揮者が書いてないのが気になります。Sam Foxの7インチ盤というと、別のものにはフレデリック・フェネル指揮マイアミ大学ウインド・アンサンブル、アルフレッド・リード(プロデューサー)によるクリフトン・ウィリアムズによる交響的舞曲第3番《フィエスタ》というのもあります(こちらにもお持ちの方がいらっしゃいました…)。希望的観測では、作曲者リード指揮のマイアミ大学ウインド・アンサンブルなのかな、と思ってしまうのですが、いかがでしょうか? 演奏が佼成の録音と似ているようなテンポや運び方のような気がするんですよね…。あるいはやっぱりフェネルなのか?????

ただこの録音、15分あまりの大曲を2つの面に分けているということもあり、途中で演奏が切れています。デジタル化するとき、何となくつなげてみたのですが、どこか欠けた一瞬がないかどうか、とても気になります。聴いた感じは全然分からないのですが…。

2025年12月3日水曜日

アメリカのクラシック音楽メモ (2004年9月・10月)

EMI album "Classic Elrugton" City of Birmingham SO; Sir Simon Ratle. EMI 5 57014 2.

アレンジもののエリントン。ストリングスやフルートの音も聴こえてくる。 リズム感はなかなかのもの 。ポップス ・ オーケストラとして聴けるもの。(2004-09-30)

ガンサー・シュラー:協奏曲集 (3曲) ホルン協奏曲第1番、ピアノ協奏曲、ファゴット協奏曲GM Recordings GM 2044

「サード・ストリーム」とは関係ない現代的作品も少ないないシュラーだが、ホルン協奏曲はレスピーギや印象派を思わせる、色彩豊かで美しい作品。(2004-09-30)

デヴィッド・ ベ イ カ ー:ヴァイオリンとジャズ・アンサンブルのための協奏曲 カーメン・ドラゴン指揮ハリウッド・オール・スター・ジャズ・バンド Laurel LR-125 (LP)
Discogs

ベイカーはインディアナポリス生まれ。もともとジャズ・ トロンボーン奏者で 作曲・編曲家 。スタン・ケントン、メイナード・ファーガソン、ライオネル・ハンプトン、バディー・ジョンソ ン、ウェス・モンゴメリーらと仕事をしたこともある。(2004-09-30)

Jon Gibson Criss Cross (Section 3) (From the Kitchen Archive: New Music, New York 1979)
Spotify (アルバム)

きっちりと規定されたピッチの中でゆるやかに規定された、あるいは全くの即興によるフィルムやフレーズによる作品(ライナーノーツより)。出す音は限られている一方、時間は延々と続いていくのだから、飽きずにやるには変化が必要。(2004-10-04)

Pauline Oliveros: The Tuning Meditation. (From the Kitchen Archive: New Music, New York 1979)

彼女の行っているソニック・メディテーションを、結果として作品となったものでなく、現実に何が起こっているのかを想像しながら聴けるのが面白い。冒頭のオリヴェロスの指示に従って、 C D の聴き手も世界に入り込むことさえできる。(2004-10-04)

ウィリアム・ グラント・スティル:《アフロ=アメリカン交響曲》 ポール・フリーマン/ロンドンSO.  The College Music Society (CBS Special Products) P19428 (Columbia M 32782) (LP).

1930年に作曲された。ブルースのスタイルで新しいメロディーを書いた。低いものと考えられていたが、こういういクラシックの曲を書くことで、芸術作品としても充分通用するものだということを立証したかった。(2004-10-05)

Ellington & The Modern Masters. Detroit SO; Neeme Järvi, cond. Detroit SO DSO-1003.

作曲者がいわゆる黒人であるということで、いつの間にか、こちらもアフリカ系のリズム、ジャズやスイングというものを自然と期待してしまうところがある。一種、ステレオタイプ思考といえるのかもしれない。

Olly WilsonのShango Memory (1997-98) などは、そんなステレオタイプよりも現代音楽的である。ストリングスのシンコペーションあたりが「そうなのかな」と追い求めてしまうところがある。ストラヴィンスキーを思い起こすところあり。チャンスの《呪文と踊り》に出てきそうなリズム・パターン?

"Yoruban deity Shango as a metaphor for West African musical concepts that were reinterpreted in the American context and became the basis for Africa-American Music. (ヨルバの神シャンゴは、アメリカという文脈で再解釈され、アフリカ系アメリカン・ミュージックの基盤となった西アフリカの音楽概念の比喩として用いられる)"  (2004-10-20、日本語訳は自動翻訳による。2025-11-26)

2025年11月29日土曜日

現代吹奏楽フェスティバル (ピーター・トッド指揮リーズ・コンサート・バンド)

Modern Band Festival,  Leeds Concert Band; Peter Todd, conductor. Columbia Masterworks ML 4254 (LPレコード).
Side 1: 1-6
Side 2: 7-11
1. Comedian’s Gallop
2. Lonely Landscape
3. On Guard
4. Doxology
5. Deep Blues
6. Carnival Suite
7. Paul Creston: Legend
8. Walkin’ The Road
9. Henry Cowell: Hymn & Fuguing Tune #1
10.  Elie Siegmeister: Wilderness Road
11. Canto Yoruba

収録曲の中で明確にアレンジ物と言えるのはカバレフスキーの《道化師のギャロップ》くらいでしょうか(このデジタル化した音源、一部針飛びしたのか、カットがありますね。私の持っているレコードはちゃんと再生できています)。個人的に聴きものは、ポール・クレストンの《伝説 Legend》、ヘンリー・カウエルの《賛美歌とフューギング・チューン第1番  Hymn & Fuguing Tune #1》(これはピアノ曲ピアノ曲Hymn and Fuguing Piece [1943]のアレンジだそうですが、そちらの方は楽譜がないようです)、エリー・シーグマイスターの《荒野の道 Wilderness Road》かと思います。いずれも唯一の録音でしょう。クレストン曲は終盤の盛り上がりに情熱を感じます。カウエルはフューギング・チューンの部分に、やはり力強い純朴さがあります。シーグマイスター作品は、サキソフォン独奏の穏やかな旋律が聴かせます(これもアレンジっぽいように思うのですが、どうなんでしょうね?)。

レコード自体は、初期フラット盤で、録音もこもってますし、よい盤質のものを見つけるのは至難の業かもしれません。私が持っているレコードでも結構雑音が入ります。最初に出会ったのはフロリダ州立大学の図書館でした。いまはこのようにとりあえず実際に作品を耳にできるようになったので、よい時代かと思います。

ライナーノーツから、以下抜粋です(自動翻訳)。
ポール・クレストンは自身の『レジェンド』についてこう述べている。「この作品に特定の伝説が結びついているわけではない。音楽そのものの最も力強い特性の一つ、すなわち物語を紡ぐ力に触発されたものだ。したがってこれは純粋に抽象的な楽曲であるが、ただし聴き手が容易に自らの物語を創造できるという修正を加えている」

《賛美歌とフーガ風旋律第1番》について、その作曲者ヘンリー・カウエルはこう語る。「この作品は率直に言ってビリングスやウォーカーといった初期アメリカ様式の影響を受けて書かれている。しかし初期様式をそのまま模倣したわけでもなくこれらの初期巨匠からメロディを借用したわけでもない。むしろ自問したのは『もしこの優美で厳粛な初期様式がアメリカで発展していたらどうなったか』という問いだった」 古式旋法や開放和音など初期様式の特性を用いた《賛美歌とフーガ風旋律第1番》は、この古き様式を現代的に解釈した作品である。」

《荒野の道》はエリー・ジーグマイスターによる雰囲気ある作品である。彼の数多くの作品にはシアター・ギルド制作『歌え、甘い大地よ』の音楽も含まれる。

2025年11月28日金曜日

カーメン・ドラゴンは男でござる!

『レコード芸術』のバックナンバーを覗いていたら、「カーメン・ドラゴンは男でござる!」という見出しの記事がありました。これは福西潤氏による「世界レコード界の動き」という情報コーナー一角なのですが、おそらくファースト・ネームの Carmen から「カーメン・ドラゴンは男か?女か?」というのが「時々問題」になり、「現に某紙にも“女”指揮者となっていた」そうです。で、この記事にはドラゴンの写真が掲載され「御覧のごとく、ドラゴンは立派な男性である!」とのこと (笑)。

そういう時代もあったのですねえ、という記事でありました。(『レコード芸術』第5巻第7号、1956年7月、21ページ)

2025年11月2日日曜日

The MTT Filesの感想: アメリカ音楽の回

The MTT Files (2025-11-02追記:リンクは切れてしまったようです) のアメリカ音楽の回のうち、第1回を聴きました。コープランドを核として、そこに至るまでのアメリカ音楽史を概観する内容です。アメリカ音楽の「開拓」は、どのように起こったのかを考えさせる内容です。

「アメリカ独自のクラシック音楽」なるものが、コープランドの1930年代以降の作品に起こったのだとすると (僕自身、コープランドをそこまで持ち上げるのは、ちょっとやりすぎだと思う) 、1920年代のヨーロッパに、アメリカ人作曲家がどのような影響を受け、自らの方向性を決めたのか、というのは、確かに論理的に大きいと帰結できるでしょう。しかもドイツではなくフランスである必要が、きっとあったのでしょう。チャドウィックはライプツィヒですが、コープランドはパリでブーランジェ。確かにそのパリがアメリカ音楽が独自な道を歩む起爆剤となったということには説得力があります (もっとコープランドは、アメリカ音楽を再発見しようとでかけた訳ではなかったと思いますが) 。

それと同時に、コープランド以前の、例えばチャドウィックの時代には、「独自」のものは考えられておらず、ただただヨーロッパのスタンダードをそのままそっくりアメリカで再現させることが期待されていました。それが「アメリカ的」といえば、音楽語法ではそうじゃないにせよ、「後進国らしい」と、あるいは言われるのかもしれません。

ただマクダウェルの、アメリカっぽくない作品を出して「アメリカ音楽じゃない」というのは、確かにそうなのですが、絵画の世界でも、アメリカの荒地を描写的に描いて、それを「アメリカ的」と感じていた時期はありました。ハインリッヒが《ナイアガラの滝》を主題とした管弦楽作品を書いていたころは (MTTが演奏したんだ! 音源欲しい!) 、絵画でもやはり同じ動きはでてきたのですね (Hudson-River Schoolとか) 。

MTTは、アンタイルに始まるモダニズムを、アメリカ音楽の転換点と考えているようです。ただ、《バレエ・メカニック》だけ急に持ち込まれると突飛な感じがします。

1930年代は、何かにつけて、アメリカ音楽のナショナリズムが追求された年代です。ガーシュイン、ハンソン、ウィリアム・グラント・スティル、ロイ・ハリス、ルイス・グリュンバーグ、マーク・ブリッツスタイン、ウィリアム・シューマン、ジェローム・モロスあたりも考えねばならないとは思います。ただコープランドが映画音楽を含めて、後のアメリカ音楽に大きな影響を及ぼし、なおかつ彼が、私の先生が言う「よいセールスマン」であったことは否定できません。MTTにとっても、コープランドは魅力的な人物だったようですね。

同じ西海岸でも、せいぜいピーター・シックリーくらいしか認めてくれません。ロイ・ハリスは、晩年、敵を多く作ったようです。ダン・ステーマンに言わせると、ハリスを悪く言うのは「申し訳ないけど、女性が多い」なのだそうですが、何か僕の知らない秘密がアメリカ音楽界にあるのかなあ。

僕のある友人が、レナード・バーンスタインをMTTが取り上げていないことを残念に思っていました。バーンスタインについては、僕も彼の本をいくつか読んで、作曲活動を追ってはいます。ただ音楽史の本では、最近まで触れられることはあまりなかった作曲家だったかもしれません (クラシックではなく、ミュージカルでは大きな扱いでしょうけれど) 。おそらく要するに、音楽様式的に「新しい」ということはないですし、何かを「開拓」したのかと言われると、議論が難しい作曲家であるとは思います。ジャズ/クラシックの融合であれば、すでにガーシュインがやってますし、《ミサ》における4チャンネル・テープの使用は戦後のアカデミズム派がリードしてきたことです。

近年、確かにバーンスタインの作曲活動に光が当たってきていることは確かですが、扱いにくい作曲家ではあると思います。彼とクラシック作曲界が、それほど離れているってことなんでしょうね。

以上、あまり深い考察はせずに、思いつくままに書いてみました。

2025年10月23日木曜日

コリリアーノ:《裸のカルメン》

コリリアーノ:『エレクトリック・ロック・オペラ! 裸のカルメン』メルバ・ムーア (唄)、ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団ほか Mercuty (日本フォノグラム) SFX-7250 (LPレコード)

コリリアーノというと、現在はもっぱらクラシック音楽の作曲家として有名で、1989年の交響曲第1番(AIDSによる友人の喪失を題材にした作品)やメトロポリタン歌劇場で上演された《ヴェルサイユの亡霊》(1991) なんかで脚光を浴びたと思われるのですが、これは1970年の作品。ビゼーのオペラ《カルメン》の「エレクトリック・オペラ」なんだそうですが、当時はこれ斬新だったのかな〜、へえ〜、と振り返る程度で、どちらかというと、コリリアーノ的には「黒歴史」じゃないのかな、と勘ぐってしまいます。しかもこれが国内盤で出ていたのは何気に驚きだったりします。

基本的に《カルメン》の有名曲に電子効果音がまぶして合ったり、ポップなアレンジがほどこされていたり、はたまたベトナム戦争に言及したラジオ放送みたいのだとかヒトラーの演説みたいなだとか、社会性を醸し出すコラージュなんかもあります。

コリリアーノはラジオでも仕事をしていたらしいので、そういった経歴も感じさせるものではありますね。時代的に「ロック・オペラ」というお触れ書きは『ジーザス・クライスト・スーパースター』級のヒットを狙ったもの?????

このレコード、ポピュラー系のファンからはメルバ・ムーアの1枚ということになるのでしょうけれど、クラシックの側からみると、ポール・パレーにこんな録音が、ということになるのかな。




2025年9月22日月曜日

ラルフ・ハンター合唱団:ワイルド・ワイルド・ウエスト

The Wild Wild West. The Ralph Hunter Choir. RCA Victor LSP-1968.

フロリダに住んでいたころ、地元の公立図書館のショップの片隅に誰が持ち込んだか分からないレコードが売られておりまして、そのうちの1枚として、1ドルもしない値段でこれを買ったと記憶しています。カントリー風の楽しそうなカウボーイ・ソング集といっていいのかな? オーセンティックなものじゃなくて、テレビの西部劇っぽいスタイルで録音されたものだと考えているのですが、どうなんでしょう。冒頭に効果音なんかも入ってて、なかなか賑やかです。

どちらかというと、ジャケット買いの一枚。一応RCA Living Stereoってところがいいですね。
もうCDにはなっているようなので、そちらもいつかは買ってみたいところです。