2026年7月4日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 Dramatic Series プッチーニ歌劇トスカ全3幕 (感想メモ)

2026年6月20日(土曜日)横浜みなとみらいホール、17:00 開演

指揮者:沼尻竜典(音楽監督)
共演者:佐藤康子(トスカ)、シュテファン・ポップ(カヴァラドッシ)、上江隼人(スカルピア)、妻屋秀和(アンジェロッティ)、澤武紀行(スポレッタ)、市川敏雅(シャルローネ)、晴雅彦(堂守)、宮下嘉彦(看守)、芝野遥香(羊飼い)、横浜市立田奈中学校合唱部(児童合唱)、神奈川ハーモニック・クワイア(合唱)

《トスカ》は何度かステージ上演で見たことがありますが、実はこういったセミステージ形式というのは初めてかもしれません。音楽の面白さがストレートに感じられるあり方で、悪くないですね。音色の変化やさまざまなモティーフ、音響的な演出などに注目することができました。沼尻竜典さんの実力を思い知りました。

歌い手さんで印象に残ったのは、やはりシュテファン・ポップさんでしょうか。ああ、これがプライム・ヴォイスなのかな、といいますが、頭一つ抜けている印象でした。惚れ惚れする声でした。聴かせどころはあって満足な一方、ああ、もっとプッチーニがカヴァラドッシに歌わせる場を与えてくれたら、とさえ思うほどでした。カーテン・コールでの弾け方もイタリアンな感じ…かな。

佐藤康子さんのトスカ、世俗的な歌手でありつつ信仰深いという立ち位置。優雅さも持ちつつ、感情をあらわにする、その2つの世界観を表出するバランス感覚なのですね。改めて、そのことを考えながら聴いていました。

上江隼人(スカルピア)…スカルピアのやることって終始一貫して、人間関係を支配 or 被支配で考えるんですよね。周りを凍りつかせる声、存在感があります。トスカへの身体的接触はもっと大胆にやってほしいかもと思いつつも、コンプラ的にどうなんだろ、ということもあるのかな(と、本質とどうでもいいところに気が行ってしまったり [汗]。ようするにスカルピアの支配の源泉は「ハラスメント」ですからね)。そういえば、第1幕の歌詞に『オテロ』に言及したところがあること、どうしてこれまで気が付かなかったのか、というのはありました。

こういう不埒な支配者を据えたオペラを作りつつ、イタリアはファシズムへ歩んでいったというのも、いろいろ考えさせられます(という日本も、イタリアやナチス・ドイツと同盟関係にあった訳ですが…)。

トスカのスカルピア殺害の場面、照明の変化も交え、象徴的な見せ方でした。ナイフなどの小道具もない中、どうやって見せるのかなあ、なんて思っていたのですが、音楽の持つ力、というのが逆に際立ったのかもしれません。

児童合唱は驚くほど良く聴こえました。客先側から見て、オーケストラよりも奥にあるからどうかなぁと思ったんですが、いやいやなんのなんの。それからルーシー・オルガンが使えるのは、ある意味贅沢だなあ。

ところで、「カトリックでは自殺は大罪である」ということですが、確かに一般的にキリスト教で自殺ということが良くないと考えられることは確かでしょうか(僕自身はプロテスタントなので、正確には分からなかったりしますが)。すなわち神様によって与えられた命を、人間が自分の都合で断ってしまうということがポイントなのかと思います。ただトスカが神の顔に「泥を塗った」かという点については、若干個人的に保留したいところもあります。トスカが最後に「スカルピア、神の御前で」と告げながら身を投げると言うところが、ものすごく個人的には気になったりするからです。これが「スカルピア、地獄で会おう」だったら、ああ完全にトスカは神から離れてしまったんだと納得できるのですが、リブレットを作ったルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーサが「神の御前で」という言い回しにした辺り、ああ、自らの罪に自覚的でありながら、信仰に生きる道は捨てていないのだな、ということを直感的に感ずるからです。むしろトスカが第1幕で自分の嫉妬を「神さまは許してくださる」と思ってしまうあたりは、自己正当化ともいえなくないような気もしてしまったり。あるいは当時のイタリア的にはそういう感じ方は普通だったのかな、と思うところもあります。

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