2026年7月16日木曜日

「時計屋さんの店」「時計屋の店で」「時計屋の店先で」「時計屋の店先」

一時期「描写音楽」なるものに興味を持っていました。古くから親しまれている楽曲が多い一方で、一部からは忌み嫌われている存在(?)というのがとても興味深いです。 標題音楽あるいは何かしら具体的な事物を扱うタイトルがついた曲の解説で「タイトルは決して何かを描写するものではなく…」のような但し書きが書かれることは多いように思われます。

そして、そういった「描写音楽」は、タイトルこそ知らなくても聴いたことがあるという楽曲が多いのではないでしょうか。今でも聴かれている曲だったら《ラッパ吹きの休日》とか《クシコス・ポスト》とか…。

さて《時計屋の店で In the Clock Store》は、アメリカの作曲家チャールズ・J・オース(1867年にバイエルンに生まれ、子どもの頃に家族とともにアメリカへ渡った)が1893年に作り、最初はピアノ曲として出版され、後にフルオーケストラ、軍楽隊、ピアノ伴奏、10または14楽器による縮小編成など、他の編曲でも楽譜が出版されたそうです。「ユーモレスク」に分類され、ジョン・フィリップ・スーザが指揮を執るスーザ・バンドの定番レパートリーの一つだったそうです(シカゴ万国博覧会やスーザのヨーロッパツアーでも取り上げられました)。

以下に挙げるのは、この曲が録音された最初のレコードで、しかも1902年、コロンビア・レコード初のレコード盤として発売された1枚なんだそうです。このレコードの発売された翌年に、スーザはエドワード7世のための特別演奏会でこの《時計屋の店で》を演奏したんだとか。

Columbia Disc Record No. 1 — In the Clock Store — Digitally Remastered

次に挙げるビクターの『ビクター描冩音樂アルバム』は私も持っているのですが(いまは遠方の書庫にあり手元にありません)、レーベルに「Cinema Organ」というジャンル名が書かれているのが面白いですね。どうやら《時計屋の店で》は、サイレント映画時代にシアター・オルガンのレパートリーの一部となり、映画の合間や予告編の間に頻繁に演奏されたということらしいです。

Terence Casey - IN A CLOCK STORE

そして、オーソドックスなオーケストラの演奏を一つ。ジェームズ・ウォーカー指揮のロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団で。

'In a Clock Store' - Novelty number - Royal Philharmonic Orchestra

2026年7月13日月曜日

ビル・フォンタナ:初期作品集 (聴取メモ)

Bill Fontana: Early Works. alga marghen plana-F 50NMN168 (LPレコード)

Side 1: Toy Tape Recorder Suite

1. (5'56") - 2. (4'28") - 3. (2'36") - 4. (2'36") - 5. (1'38") - 6. (4'08")

Side 2: Wave Spiral (21'02")

限定232部というLPレコードです。A面に収録されている《トイ・テープレコーダーのための組曲。ライナーノーツにある「1 7/8インチの小さなテープリール (little reels of 1 7/8" tape)」に録音されたものは、正直あまり音のよいものとは言えず。タイトルにある「トイ・レコーダー」なるものが、一体どういうものなのだろう、と思ったりします。

それで、この作品はサウンド・アートや音彫刻をリードするフォンタナと結びつきにくいのですが、テープレコーダーを用いて電子音を録音したのかな、ラジオか何かなのかな、それで録音 or 再生速度をいろいろいじってみたのかなとか…いろいろ想像をめぐらして聴いてみました。

B面の《ウェーヴ・スパイラル》(Wave Spiral, for 5 Rin Gongs、70年代初頭に録音され、1977年にオーストラリアで初演)については、アルヴィン・ルシエ的?な、音現象にじっくりと集中した21分ほどの作品というべきなのでしょうか。リン・ゴングというのは、法事で使うような「おりん」のようなものなのでしょうか? おそらく叩くのではなく、おりんを擦るような感じなのかな、と音だけで判断しています。複数のおりんによって生み出させるモワレ効果のような相互干渉?なのでしょうか。ヒスノイズも入っていますが、録音はA面の作品よりは良いように思われます。

2026年7月5日日曜日

ウィリアム・ボルコム 聴いたものメモ

William Bolcom. Incinerationrag; Raggin' Rudi. Anne-Mari McDermott, piano. 26 May 1998, Spolete Festival, Charleston, SC. Performance Today 1998 (NPR).

ボルコムのラグというと、日本では《グレイスフル・ゴースト・ラグ Graceful Ghost Rag》が比較的演奏されているのでしょうか? Incineration Ragの "incineration" を辞書で調べてみると「焼却、火葬」と出てくるのですが、うーむ、これまた謎なタイトルですね。マクダーモットの演奏は中庸のテンポでしょうか。《3つのクラシック・ラグ (3 Classic Rags)》の第3曲のようです。

YouTubeでざっくり探してみたら、アムランの音源が出てきました。

弦楽四重奏で演奏されたものも出てきました。


《ラギン・ルーディ Raggin' Rudi》はジャズとラグタイムの先駆的な学者であるルディ・ブレッシュとの間に築かれた温かい友情を称えた作品で、ジェームズ・スコットの楽しいラグを想起させるのだそうです。要所要所に、イレギュラーなフレージング(ヘミオラ?)が入っていて、おっと思わせます。YouTubeにはいろいろあるようですが、とりあえず、さっき検索して一番上に出てきたものを挙げておきます。
 

Bolcom. Bolcom's Ragomania: A Nod to Gershwin and Blake (1982). Pittsburgh Symphony Orchestra; Lorin Maazel, conductor.

ボルコムの《ラゴメニア》ジョン・ウィリアムズが指揮をしていた頃のボストン・ポップスからの委嘱作品だそうです(初演は1982年5月4日)。ボルコムは妻のジョアン・モリスとともにアーサー・フィードラー時代のボストン・ポップスと共演した経験があったそうなのですが、当時のコンサートの雰囲気は「まるで野球場のようだった」そうです。それでボルコムは「観客の騒音を凌駕」するために「重厚な打楽器パート」を盛り込むことを決めたそうです。

リハーサルではジョン・ウィリアムズが驚いて、ボルコムにむかって「この曲は第三次世界大戦のようだ!」と言ったそうです。ボルコムはウィリアムズに曲の経緯について説明したそうですが、曲が発表された1982年のシンフォニー・ホールでは「ホットドッグやビールの代わりに、観客は控えめに白ワインやコック・オ・ヴァンを楽しみ、シンフォニー・ホールの雰囲気ははるかに落ち着いたものになっていた」んだとか。そんなに大きな音は必要なかったんですね…。

オーケストラの音色の中にエレキっぽい音が聞こえるなあと思ったら、編成の中に確かに入っているようです。ギターはアコギでも良いそうですが、その場合はアンプが必要なようです。

2026年7月4日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 Dramatic Series プッチーニ歌劇トスカ全3幕 (感想メモ)

2026年6月20日(土曜日)横浜みなとみらいホール、17:00 開演

指揮者:沼尻竜典(音楽監督)
共演者:佐藤康子(トスカ)、シュテファン・ポップ(カヴァラドッシ)、上江隼人(スカルピア)、妻屋秀和(アンジェロッティ)、澤武紀行(スポレッタ)、市川敏雅(シャルローネ)、晴雅彦(堂守)、宮下嘉彦(看守)、芝野遥香(羊飼い)、横浜市立田奈中学校合唱部(児童合唱)、神奈川ハーモニック・クワイア(合唱)

《トスカ》は何度かステージ上演で見たことがありますが、実はこういったセミステージ形式というのは初めてかもしれません。音楽の面白さがストレートに感じられるあり方で、悪くないですね。音色の変化やさまざまなモティーフ、音響的な演出などに注目することができました。沼尻竜典さんの実力を思い知りました。

歌い手さんで印象に残ったのは、やはりシュテファン・ポップさんでしょうか。ああ、これがプライム・ヴォイスなのかな、といいますが、頭一つ抜けている印象でした。惚れ惚れする声でした。聴かせどころはあって満足な一方、ああ、もっとプッチーニがカヴァラドッシに歌わせる場を与えてくれたら、とさえ思うほどでした。カーテン・コールでの弾け方もイタリアンな感じ…かな。

佐藤康子さんのトスカ、世俗的な歌手でありつつ信仰深いという立ち位置。優雅さも持ちつつ、感情をあらわにする、その2つの世界観を表出するバランス感覚なのですね。改めて、そのことを考えながら聴いていました。

上江隼人(スカルピア)…スカルピアのやることって終始一貫して、人間関係を支配 or 被支配で考えるんですよね。周りを凍りつかせる声、存在感があります。トスカへの身体的接触はもっと大胆にやってほしいかもと思いつつも、コンプラ的にどうなんだろ、ということもあるのかな(と、本質とどうでもいいところに気が行ってしまったり [汗]。ようするにスカルピアの支配の源泉は「ハラスメント」ですからね)。そういえば、第1幕の歌詞に『オテロ』に言及したところがあること、どうしてこれまで気が付かなかったのか、というのはありました。

こういう不埒な支配者を据えたオペラを作りつつ、イタリアはファシズムへ歩んでいったというのも、いろいろ考えさせられます(という日本も、イタリアやナチス・ドイツと同盟関係にあった訳ですが…)。

トスカのスカルピア殺害の場面、照明の変化も交え、象徴的な見せ方でした。ナイフなどの小道具もない中、どうやって見せるのかなあ、なんて思っていたのですが、音楽の持つ力、というのが逆に際立ったのかもしれません。

児童合唱は驚くほど良く聴こえました。客先側から見て、オーケストラよりも奥にあるからどうかなぁと思ったんですが、いやいやなんのなんの。それからルーシー・オルガンが使えるのは、ある意味贅沢だなあ。

ところで、「カトリックでは自殺は大罪である」ということですが、確かに一般的にキリスト教で自殺ということが良くないと考えられることは確かでしょうか(僕自身はプロテスタントなので、正確には分からなかったりしますが)。すなわち神様によって与えられた命を、人間が自分の都合で断ってしまうということがポイントなのかと思います。ただトスカが神の顔に「泥を塗った」かという点については、若干個人的に保留したいところもあります。トスカが最後に「スカルピア、神の御前で」と告げながら身を投げると言うところが、ものすごく個人的には気になったりするからです。これが「スカルピア、地獄で会おう」だったら、ああ完全にトスカは神から離れてしまったんだと納得できるのですが、リブレットを作ったルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーサが「神の御前で」という言い回しにした辺り、ああ、自らの罪に自覚的でありながら、信仰に生きる道は捨てていないのだな、ということを直感的に感ずるからです。むしろトスカが第1幕で自分の嫉妬を「神さまは許してくださる」と思ってしまうあたりは、自己正当化ともいえなくないような気もしてしまったり。あるいは当時のイタリア的にはそういう感じ方は普通だったのかな、と思うところもあります。

2026年7月3日金曜日

グレン・ミラー楽団によるモートン・グールドの《パヴァーヌ》

Victor matrix BS-035766. Pavanne / Glenn Miller Orchestra. 4/18/1939 New York, New York. Victor Studio 2 [155 E. 24th St.]

偶然みつけた音源です。モートン・グールドの管弦楽曲《アメリカン・シンフォネット第2番》の第2楽章として1938年に作曲された<パヴァーヌ>をグレン・ミラー楽団が演奏したものです。1939年4月8日、ニューヨークのビクター・スタジオでの録音とのこと。


どうやってデジタル化したのか分かりませんが、テンポが揺れてて(回転数が安定しておらず)、とっても変です…。ただスウィング感があって、良いですねえ。なるほどこういう風になるのか〜、という感じです。

2026年7月1日水曜日

季刊 音楽鑑賞教育 Vol. 66 の「音楽探求」のページに「映画音楽」について書きました。

『季刊 音楽鑑賞教育』Vol. 66 (通巻570号、2026年7月号) 「音楽探求」のページに「映画音楽」について書きました (p. 40〜p. 43)。どうぞよろしくお願いいたします。


音楽鑑賞教育 Vol. 66 (2026.7)