2025年12月3日水曜日

アメリカのクラシック音楽メモ (2004年9月・10月)

EMI album "Classic Elrugton" City of Birmingham SO; Sir Simon Ratle. EMI 5 57014 2.

アレンジもののエリントン。ストリングスやフルートの音も聴こえてくる。 リズム感はなかなかのもの 。ポップス ・ オーケストラとして聴けるもの。(2004-09-30)

ガンサー・シュラー:協奏曲集 (3曲) ホルン協奏曲第1番、ピアノ協奏曲、ファゴット協奏曲GM Recordings GM 2044

「サード・ストリーム」とは関係ない現代的作品も少ないないシュラーだが、ホルン協奏曲はレスピーギや印象派を思わせる、色彩豊かで美しい作品。(2004-09-30)

デヴィッド・ ベ イ カ ー:ヴァイオリンとジャズ・アンサンブルのための協奏曲 カーメン・ドラゴン指揮ハリウッド・オール・スター・ジャズ・バンド Laurel LR-125 (LP)
Discogs

ベイカーはインディアナポリス生まれ。もともとジャズ・ トロンボーン奏者で 作曲・編曲家 。スタン・ケントン、メイナード・ファーガソン、ライオネル・ハンプトン、バディー・ジョンソ ン、ウェス・モンゴメリーらと仕事をしたこともある。(2004-09-30)

Jon Gibson Criss Cross (Section 3) (From the Kitchen Archive: New Music, New York 1979)
Spotify (アルバム)

きっちりと規定されたピッチの中でゆるやかに規定された、あるいは全くの即興によるフィルムやフレーズによる作品(ライナーノーツより)。出す音は限られている一方、時間は延々と続いていくのだから、飽きずにやるには変化が必要。(2004-10-04)

Pauline Oliveros: The Tuning Meditation. (From the Kitchen Archive: New Music, New York 1979)

彼女の行っているソニック・メディテーションを、結果として作品となったものでなく、現実に何が起こっているのかを想像しながら聴けるのが面白い。冒頭のオリヴェロスの指示に従って、 C D の聴き手も世界に入り込むことさえできる。(2004-10-04)

ウィリアム・ グラント・スティル:《アフロ=アメリカン交響曲》 ポール・フリーマン/ロンドンSO.  The College Music Society (CBS Special Products) P19428 (Columbia M 32782) (LP).

1930年に作曲された。ブルースのスタイルで新しいメロディーを書いた。低いものと考えられていたが、こういういクラシックの曲を書くことで、芸術作品としても充分通用するものだということを立証したかった。(2004-10-05)

Ellington & The Modern Masters. Detroit SO; Neeme Järvi, cond. Detroit SO DSO-1003.

作曲者がいわゆる黒人であるということで、いつの間にか、こちらもアフリカ系のリズム、ジャズやスイングというものを自然と期待してしまうところがある。一種、ステレオタイプ思考といえるのかもしれない。

Olly WilsonのShango Memory (1997-98) などは、そんなステレオタイプよりも現代音楽的である。ストリングスのシンコペーションあたりが「そうなのかな」と追い求めてしまうところがある。ストラヴィンスキーを思い起こすところあり。チャンスの《呪文と踊り》に出てきそうなリズム・パターン?

"Yoruban deity Shango as a metaphor for West African musical concepts that were reinterpreted in the American context and became the basis for Africa-American Music. (ヨルバの神シャンゴは、アメリカという文脈で再解釈され、アフリカ系アメリカン・ミュージックの基盤となった西アフリカの音楽概念の比喩として用いられる)"  (2004-10-20、日本語訳は自動翻訳による。2025-11-26)

2025年12月2日火曜日

ギメシュ地方の民俗音楽 (ハルマジ・ミハーイ)

Gyimesi Népzene (Hungarian Folk Music fom Gyimes). Mihály Halmágyi, violin; Gizella Ádám, gardon. Hungaroton SLPX 18145 (LPレコード).

冒頭から変拍子に乗った技巧派フィドルに驚きます。そして伴奏をするのはチェロの形をしたガルドン(ウトガルドン)という楽器です。棒で弦を叩いてリズムを刻むのだそうですが、共鳴体が大きいということもあって、面白い音がしますね。黒澤隆朝氏は「弦鼓(げんこ)」と呼んだらしいのですが、いい得て妙だなあ。これ最初、塩ビパイプを切り取ってその一旦を手の平で叩いているのかと思いました(全然違いましたね・苦笑)。他のトラックを聴いてみますと、必ずしも全部が全部変拍子という訳でもなさそうですが、それでもアクセントの付け方によって、感じる拍子感は、やはりちょっと「詰まった」感じがします。

しかしまあ、このヴァイオリン、名手ですねえ。なお音源そのものはCDにもなっているようです。

YouTubeにハルマジ・ミハーイ氏の演奏が聴ける動画がありました。ウトガルドンも見られます。


 

2025年11月29日土曜日

現代吹奏楽フェスティバル (ピーター・トッド指揮リーズ・コンサート・バンド)

Modern Band Festival,  Leeds Concert Band; Peter Todd, conductor. Columbia Masterworks ML 4254 (LPレコード).
Side 1: 1-6
Side 2: 7-11
1. Comedian’s Gallop
2. Lonely Landscape
3. On Guard
4. Doxology
5. Deep Blues
6. Carnival Suite
7. Paul Creston: Legend
8. Walkin’ The Road
9. Henry Cowell: Hymn & Fuguing Tune #1
10.  Elie Siegmeister: Wilderness Road
11. Canto Yoruba

収録曲の中で明確にアレンジ物と言えるのはカバレフスキーの《道化師のギャロップ》くらいでしょうか(このデジタル化した音源、一部針飛びしたのか、カットがありますね。私の持っているレコードはちゃんと再生できています)。個人的に聴きものは、ポール・クレストンの《伝説 Legend》、ヘンリー・カウエルの《賛美歌とフューギング・チューン第1番  Hymn & Fuguing Tune #1》(これはピアノ曲ピアノ曲Hymn and Fuguing Piece [1943]のアレンジだそうですが、そちらの方は楽譜がないようです)、エリー・シーグマイスターの《荒野の道 Wilderness Road》かと思います。いずれも唯一の録音でしょう。クレストン曲は終盤の盛り上がりに情熱を感じます。カウエルはフューギング・チューンの部分に、やはり力強い純朴さがあります。シーグマイスター作品は、サキソフォン独奏の穏やかな旋律が聴かせます(これもアレンジっぽいように思うのですが、どうなんでしょうね?)。

レコード自体は、初期フラット盤で、録音もこもってますし、よい盤質のものを見つけるのは至難の業かもしれません。私が持っているレコードでも結構雑音が入ります。最初に出会ったのはフロリダ州立大学の図書館でした。いまはこのようにとりあえず実際に作品を耳にできるようになったので、よい時代かと思います。

ライナーノーツから、以下抜粋です(自動翻訳)。
ポール・クレストンは自身の『レジェンド』についてこう述べている。「この作品に特定の伝説が結びついているわけではない。音楽そのものの最も力強い特性の一つ、すなわち物語を紡ぐ力に触発されたものだ。したがってこれは純粋に抽象的な楽曲であるが、ただし聴き手が容易に自らの物語を創造できるという修正を加えている」

《賛美歌とフーガ風旋律第1番》について、その作曲者ヘンリー・カウエルはこう語る。「この作品は率直に言ってビリングスやウォーカーといった初期アメリカ様式の影響を受けて書かれている。しかし初期様式をそのまま模倣したわけでもなくこれらの初期巨匠からメロディを借用したわけでもない。むしろ自問したのは『もしこの優美で厳粛な初期様式がアメリカで発展していたらどうなったか』という問いだった」 古式旋法や開放和音など初期様式の特性を用いた《賛美歌とフーガ風旋律第1番》は、この古き様式を現代的に解釈した作品である。」

《荒野の道》はエリー・ジーグマイスターによる雰囲気ある作品である。彼の数多くの作品にはシアター・ギルド制作『歌え、甘い大地よ』の音楽も含まれる。

2025年11月28日金曜日

カーメン・ドラゴンは男でござる!

『レコード芸術』のバックナンバーを覗いていたら、「カーメン・ドラゴンは男でござる!」という見出しの記事がありました。これは福西潤氏による「世界レコード界の動き」という情報コーナー一角なのですが、おそらくファースト・ネームの Carmen から「カーメン・ドラゴンは男か?女か?」というのが「時々問題」になり、「現に某紙にも“女”指揮者となっていた」そうです。で、この記事にはドラゴンの写真が掲載され「御覧のごとく、ドラゴンは立派な男性である!」とのこと (笑)。

そういう時代もあったのですねえ、という記事でありました。(『レコード芸術』第5巻第7号、1956年7月、21ページ)

2025年11月22日土曜日

合唱曲集〜モンテヴェルディ、印象主義、後期ロマン派 (シェーンハウゼン合唱団、ニーダーライン室内合唱団)

Chormusik: Monteverdi, Impressionismus, Spätromantik. Aulos FSM 43 525 AU (レコード)


Discogs (私が購入したレコードの左側のレーベルのロゴ部分には、おそらくFSMが見えないようにしたと思われる、黒いシールが貼ってあります)

Side 1
1. モンテヴェルディ:優しく愛しい口付けよ
2. 同:私を死なせて
3. 同:愛する女の墓に流す恋人の涙 
ヘルムート・カールへーファー指揮シェーンハウゼン合唱団

Side 2
1. ラヴェル:神よ!あの人を見目麗しく創造し給うたお方よ
2. 同:ニコレット
3. ジャック・シャイエ:楽園の木
4. エルネスト・ペッピング:私にとって一年で最上の時期は
5. コダーイ:セーケイの悲しみ
6. 同:夕べ
ハンス・ヨーゼフ・ロート指揮ニーダーライン室内合唱団

これはおそらく、大学学部時代に上京した際、石丸電気で購入したレコードです。購入時期がある程度はっきりしているのは、モンテヴェルディのマドリガル《私を死なせて》が収録されているからこれを購入したというのが分かるからです(合唱団や他の曲については全く知識がなかったのでした…)。

モンテヴェルディの《私を死なせて》は大学に入るまで全く知らなかったのですが、曲に出会ったのは、私が大学学部時代に所属していた新大室内合唱団 カンマーコールで歌ったのがきっかけです。そして「カンマー」の指揮者で私の声楽の師匠であった箕輪久夫先生が持ってこられた曲、という訳です。購入当時は、もっぱら《私を…》しか聴いていなかったと思いますが、デジタル化を期に、ほかの曲も聴いてみて、モンテヴェルディもさることながら、B面の近代曲にも面白さを感じることになりました。作風も多様で、軽妙な曲が揃っています。ラヴェルの《ニコレット》なんて響きが楽しいですね。

演奏者の情報については、以下、ライナーに記された情報を自動翻訳を使って日本語訳してみたものになります。

1957年にクレーフェルトで設立されたェーンハウゼン合唱団は、60人の男女、そのほとんどが音楽教師、学生、教育者で構成されています。国内外での大規模なコンサートツアーや、数多くのラジオ録音を通じて、この合唱団は名声を確立しています。西ドイツを代表する室内合唱団のひとつです。15 世紀から現代までの宗教音楽および世俗音楽のア・カペラ楽曲、そしてヘンデル、バッハ、ハイドン、ブラームス、フォーレのオラトリオもレパートリーに含まれています。

ニーダーライン室内合唱団は、1960年に、ハンス・ヨーゼフ・ロト指揮のもと、デュルケン市立成人教育センターの共同作業グループとして設立されました。この合唱団は、特定の分野に特化しているわけではありません。難度の高い古楽および現代合唱曲を取り上げています。その幅広いレパートリーの中から、「構造よりも音楽性に重きを置いた」合唱曲を選曲しています。 

2025年11月2日日曜日

The MTT Filesの感想: アメリカ音楽の回

The MTT Files (2025-11-02追記:リンクは切れてしまったようです) のアメリカ音楽の回のうち、第1回を聴きました。コープランドを核として、そこに至るまでのアメリカ音楽史を概観する内容です。アメリカ音楽の「開拓」は、どのように起こったのかを考えさせる内容です。

「アメリカ独自のクラシック音楽」なるものが、コープランドの1930年代以降の作品に起こったのだとすると (僕自身、コープランドをそこまで持ち上げるのは、ちょっとやりすぎだと思う) 、1920年代のヨーロッパに、アメリカ人作曲家がどのような影響を受け、自らの方向性を決めたのか、というのは、確かに論理的に大きいと帰結できるでしょう。しかもドイツではなくフランスである必要が、きっとあったのでしょう。チャドウィックはライプツィヒですが、コープランドはパリでブーランジェ。確かにそのパリがアメリカ音楽が独自な道を歩む起爆剤となったということには説得力があります (もっとコープランドは、アメリカ音楽を再発見しようとでかけた訳ではなかったと思いますが) 。

それと同時に、コープランド以前の、例えばチャドウィックの時代には、「独自」のものは考えられておらず、ただただヨーロッパのスタンダードをそのままそっくりアメリカで再現させることが期待されていました。それが「アメリカ的」といえば、音楽語法ではそうじゃないにせよ、「後進国らしい」と、あるいは言われるのかもしれません。

ただマクダウェルの、アメリカっぽくない作品を出して「アメリカ音楽じゃない」というのは、確かにそうなのですが、絵画の世界でも、アメリカの荒地を描写的に描いて、それを「アメリカ的」と感じていた時期はありました。ハインリッヒが《ナイアガラの滝》を主題とした管弦楽作品を書いていたころは (MTTが演奏したんだ! 音源欲しい!) 、絵画でもやはり同じ動きはでてきたのですね (Hudson-River Schoolとか) 。

MTTは、アンタイルに始まるモダニズムを、アメリカ音楽の転換点と考えているようです。ただ、《バレエ・メカニック》だけ急に持ち込まれると突飛な感じがします。

1930年代は、何かにつけて、アメリカ音楽のナショナリズムが追求された年代です。ガーシュイン、ハンソン、ウィリアム・グラント・スティル、ロイ・ハリス、ルイス・グリュンバーグ、マーク・ブリッツスタイン、ウィリアム・シューマン、ジェローム・モロスあたりも考えねばならないとは思います。ただコープランドが映画音楽を含めて、後のアメリカ音楽に大きな影響を及ぼし、なおかつ彼が、私の先生が言う「よいセールスマン」であったことは否定できません。MTTにとっても、コープランドは魅力的な人物だったようですね。

同じ西海岸でも、せいぜいピーター・シックリーくらいしか認めてくれません。ロイ・ハリスは、晩年、敵を多く作ったようです。ダン・ステーマンに言わせると、ハリスを悪く言うのは「申し訳ないけど、女性が多い」なのだそうですが、何か僕の知らない秘密がアメリカ音楽界にあるのかなあ。

僕のある友人が、レナード・バーンスタインをMTTが取り上げていないことを残念に思っていました。バーンスタインについては、僕も彼の本をいくつか読んで、作曲活動を追ってはいます。ただ音楽史の本では、最近まで触れられることはあまりなかった作曲家だったかもしれません (クラシックではなく、ミュージカルでは大きな扱いでしょうけれど) 。おそらく要するに、音楽様式的に「新しい」ということはないですし、何かを「開拓」したのかと言われると、議論が難しい作曲家であるとは思います。ジャズ/クラシックの融合であれば、すでにガーシュインがやってますし、《ミサ》における4チャンネル・テープの使用は戦後のアカデミズム派がリードしてきたことです。

近年、確かにバーンスタインの作曲活動に光が当たってきていることは確かですが、扱いにくい作曲家ではあると思います。彼とクラシック作曲界が、それほど離れているってことなんでしょうね。

以上、あまり深い考察はせずに、思いつくままに書いてみました。

2025年11月1日土曜日

1967年第2回器楽フェスティバル (アルフレッド・リード指揮ラ・プエンタ地区合同高校バンド)

Second Annual Instrumental Festival; Alfred Reed, conductor. La Puente Union High School District, March 4, 1967. Artisan Sound Recorders.

これは、吹奏楽作品の作曲家として日本でも親しまれているアルフレッド・リードが高校の吹奏楽団を指揮したレコードです。Artisan Sound Recordsという会社の制作ですが、これはおそらくカスタム・レコードではないかと思われます。関係者が買う、みたいな。



ラ・プエンタはカリフォルニア州の都市のようで、レコードのタイトルから察するに、その6つの高校が毎年恒例の合同演奏会を開いたという感じでしょうか。

日本では有名なリードの指揮ということで期待したのですが、正直、くり返し聴きたいかというと、かなり微妙です(技術的な面からしても)。やはり出演者のためのレコードと考えた方がよろしいかと思います。

また僕の買った1枚は、真夏の熱い中、1ヶ月も遅れてアメリカから日本にやってきたレコードということもあって、レコードが若干反っており、A面1曲目の最初は針飛びがしました。しかしちょっと針圧を重くして、なんとか再生はできました。とりあえずデジタル化したので、今後も聴くことはできます。

リードの自作は Poetry and Powerが最後に1曲。そのほか8曲は別の作曲家の作品です。

(Side 1)
Charles Carter: Overture for Winds
Tscheskoff-House-Knecht: Salvation is Created
William Latham: Brighton Beach (March)
Handel, arr. Alfred Reed: Air de Sarabande
Schmidt, arr. Alfred Reed: The Fantasticks

(Side 2)
Clifton Williams: Variation Overture
Frank Erickson: Balladair
Sherman, arr. Alfred Reed: Highlights from Mary Poppins
Alfred Reed: Poetry and Power

2025年10月31日金曜日

ジョン・ペインターほか『音楽の語るもの―原点からの創造的音楽学習』音楽創作のクラス・プロジェクト集

Sound and Silence: Classroom Projects in Creative Music. Cambridge University Press, No number.
Music made by children and students of:
Brunt Yates Endowed School, Ripley, Yorkshire
The Jessic Younghusband County Primary School, Chichester
Park Boys' County Secondary School, Dodley
Moseley Grammer School, Birmingham
York Children V Theatre Weekshop Bahop Otter Collegs, Chichoser
University of York


Discogs

どういう経緯でこのレコードの存在に至ったのかは記憶にないのですが、一応私が過去教育学部の音楽科に所属していたので(学部・修士時代)、『音楽の語るもの』という本の存在については認知していましたし、とある方からペインター本を譲ってもらったことがあります。ただちゃんと読んだことはなかったり…。

いわゆる和声法に囚われない自由な創作をすることを学校の小学校・中学校辺りで行うことを目指し、それが「創造的音楽教育」と言われていたようで、具体的には図形楽譜などを使ったり、身の回りの音を用いた創作活動が行われていたということのようですね。実は学部時代に、そういう感じの授業を新潟大学のの授業で受けたことはあります。

このレコードも、そんな教室内で行われた「創造的音楽教育」の成果として録音されたものということなのかな、と思ったりします。以下、各トラックの内容で、S=ステレオ録音、M=モノラル録音です。

収録内容
Side 1
Music For Cymbals (S)
The Lyke-Wake Dirge (S)
Sea Tower (M)
Silence (2 versions) (M)
Movement Music (M)
Tone-Cluster Improvisations (M)

Side 2
A Piece For Percussion (S)
Mexico (S)
Musique Concrète (M)
An Aletory Game (S)
Alleluia (M)
Fair Maid Is A Lily-O  (M)
Derry Ding Ding Dasson  (M)
Michael, Row The Boat Ashore  (M)
O Pray For The Peace Of Jerusalem  (M)

なお、私が入手したレコードのジャケットには名前がマジックで書かれておりましたが、iPhoneの写真アプリに搭載された「クリーンアップ」機能を使って名前部分は消去してみました。

2025年10月24日金曜日

珊瑚ガムラン曼荼羅

日時:2025年10月24日(金)19:00 開演(18:30開場)
場所:トーキョーコンサーツ・ラボ
演奏:パラグナ・グループ
演目:藤枝守・作曲作品
「珊瑚ガムラン曼荼羅」
・組曲「ガムラン曼荼羅 III 」(2025、新作初演)、ガムラン:パラグナ・グループ
・音響作品《コーラロリウム〜珊瑚の場所》(2025、新作初演)、音響:磯部英彬 

非常勤先の授業を早めに切り上げさせていただいて、早稲田まで移動し、「珊瑚ガムラン曼荼羅」を聴きにいきました。

むかしフロリダ州立大学で演奏したガムランがバリのもの (Michael B. Bakan先生が指導) で、室内だとものすごく音が大きく、いつも全員耳栓して練習していました。なので、あの狭いスペースでガムラン? と正直思ったのですが、スンダのガムランということ(ジャワのガムランもこういう感じなのかな?)、そして楽器数が少ないということで、ちょうどいい音量感で、心地よく聴けました。

シロフォンのガンサ(というのかな、スンダでも)は次の音を叩く時は左手で前の音の鍵盤を押さえるのが通常ですが、それはこの楽器では全くやってなかったのが興味深く、ハンマーが当たる一つひとつの音に関心をもちました(残響が違っていたり)。また左右複数の同音鍵盤のピッチの違いから出るゆらぎ(波)はバリのと共通なんだなあと。そちらも興味深かったです。

ボナン(というのかな、スンダでも)奏者の方が、音響作品(サンゴ骨格の音響!)を聴く際、砂時計で時間を計っていらして、砂が2回落ちたら次のガムラン曲を始めるという感じだったでしょうか。それにしてもゴング・アグンはお腹にぐぐっと来ますね。

ペロッグ音階を基調とする楽器だそうですが、今回はそれに音を足してほぼ7音の音階になっていたそう (ただし西洋音階ではないらしい。インドのラーガにはあったそう…)。終始やすらぎつつ不思議な、あっという間の1時間半近く。素敵な世界に浸りました。


2025年10月23日木曜日

コリリアーノ:《裸のカルメン》

コリリアーノ:『エレクトリック・ロック・オペラ! 裸のカルメン』メルバ・ムーア (唄)、ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団ほか Mercuty (日本フォノグラム) SFX-7250 (LPレコード)

コリリアーノというと、現在はもっぱらクラシック音楽の作曲家として有名で、1989年の交響曲第1番(AIDSによる友人の喪失を題材にした作品)やメトロポリタン歌劇場で上演された《ヴェルサイユの亡霊》(1991) なんかで脚光を浴びたと思われるのですが、これは1970年の作品。ビゼーのオペラ《カルメン》の「エレクトリック・オペラ」なんだそうですが、当時はこれ斬新だったのかな〜、へえ〜、と振り返る程度で、どちらかというと、コリリアーノ的には「黒歴史」じゃないのかな、と勘ぐってしまいます。しかもこれが国内盤で出ていたのは何気に驚きだったりします。

基本的に《カルメン》の有名曲に電子効果音がまぶして合ったり、ポップなアレンジがほどこされていたり、はたまたベトナム戦争に言及したラジオ放送みたいのだとかヒトラーの演説みたいなだとか、社会性を醸し出すコラージュなんかもあります。

コリリアーノはラジオでも仕事をしていたらしいので、そういった経歴も感じさせるものではありますね。時代的に「ロック・オペラ」というお触れ書きは『ジーザス・クライスト・スーパースター』級のヒットを狙ったもの?????

このレコード、ポピュラー系のファンからはメルバ・ムーアの1枚ということになるのでしょうけれど、クラシックの側からみると、ポール・パレーにこんな録音が、ということになるのかな。




2025年9月27日土曜日

Mostly Classic モーストリー・クラシックにラヴェルの記事を書きました。

『モーストリー・クラシック』2025年11月号に、ラヴェルのアメリカ滞在について書きました。どうぞよろしくお願いいたします。



 

2025年9月22日月曜日

ラルフ・ハンター合唱団:ワイルド・ワイルド・ウエスト

The Wild Wild West. The Ralph Hunter Choir. RCA Victor LSP-1968.

フロリダに住んでいたころ、地元の公立図書館のショップの片隅に誰が持ち込んだか分からないレコードが売られておりまして、そのうちの1枚として、1ドルもしない値段でこれを買ったと記憶しています。カントリー風の楽しそうなカウボーイ・ソング集といっていいのかな? オーセンティックなものじゃなくて、テレビの西部劇っぽいスタイルで録音されたものだと考えているのですが、どうなんでしょう。冒頭に効果音なんかも入ってて、なかなか賑やかです。

どちらかというと、ジャケット買いの一枚。一応RCA Living Stereoってところがいいですね。
もうCDにはなっているようなので、そちらもいつかは買ってみたいところです。




2025年9月21日日曜日

ハリス:交響曲第3番 (オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団)

Roy Harris: Symphony No. 3 (c/w Charles Ives: Three Places in New England [First Recording of Original Full Orchestration]) RCA Red Seal ARL1 1682 (LPレコード)


オーマンディのハリスはモスクワのライブがありますが、モノラル録音です。それに対して、このRCA盤はステレオです。このレコードが発売された1976年の時点では、すでにアイヴズの方が知名度が高かったということになるのかもしれませんが、それでもオーマンディとフィラデルフィア管がハリスの交響曲第3番をカップリングとして取り上げているあたり、ハリスという作曲家も、まだそれなりに認知されていたということかもしれません。

演奏は、オーマンディらしく丁寧なもので、作品の真摯でしっとりした側面がにじみ出ている好演だと思います。もしかしたらBox物としてCDになっているのかもしれませんが、まだ入手していません。ちなみに<田園風>の部分はカットなしの演奏です。

アイヴズについてはまた、機会があれば、取り上げてみたいと思います。

2025年9月19日金曜日

ガンサー・シュラーとの対話

A Conversation With Gunther Schuller, Composer of Seven Studies on Theme...


非売品のレコードで、放送局が使うものとして作られたもののようです。内容としては、インタビューアーの質問にガンサー・シュラーが答えている音源のうち、インタビュアーの部分を全部カットしたというものです。それでインタビュアーの部分はどうなっているかというと、レコードのインサートにその文章が書かれているというものです。

それで、実際に使う場合は、スタジオで放送局の人がインサートに書かれた問いを話し、それに続いてレコードを回すという形で使うということなのですが、それは技術的にはかなりリスキーだと思うので、おそらく現実的にはインタビューの形に編集したテープを流すのが無難なのではないかと思います。

私も一応中古盤でこのレコードを持っているのですが、残念ながらインサートは付いていませんでした。以前 eBayにインサート付きのが出品されたことがあり落札したのですが、eBayの方でアメリカから持ち出し禁止とされたようで、結局レコードは没収され、返金処理がなされました。

インタビューはシュラーの生涯を振り返る内容で、なかなかそれ自体は面白いですが、それに加えてラインスドルフ/ボストン響の演奏による《パウル・クレーによる7つの習作》の各楽章の解説と演奏(フル)が収録されています。

サード・ストリームで有名なシュラーで、管弦楽組曲《パウル・クレー…》にもジャズを使った曲があるのですが、シュラー的には、これはサード・ストリームではないということでした。というのも即興が入っていないからだそうです。オーケストラ奏者は即興できないので、すべて記譜したとシュラーは主張しています。

2025年9月17日水曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団、第407回みなとみらいシリーズ定期演奏会


[日時]
2025年9月13日(土曜日)14:00開演

[場所]
横浜みなとみらいホール

[出演]
エステバン・バタラン(トランペット)(アルチュニアン)
村上公太(テノール)、神奈川ハーモニック・クワイア(男声合唱)(リスト)
クレメンス・シュルト指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団

[曲目]
アルチュニアン/トランペット協奏曲変イ長調
リスト/ファウスト交響曲 S.108

[プレイベント]
榊原徹音楽主幹と神奈川ハーモニック・クワイアのクワイアマスター岸本大氏によるトーク
・リスト/ワイマール賛歌S.313(神奈川ハーモニック・クワイア メンバーによる)

以下、メモ・感想を。

13:35からのプレイベントでは、音楽主幹の榊原さんから、満を持しての《ファウスト交響曲》であるということ、そして最後の5分間で独唱テノールと男性合唱の聴きどころがあるということ、リストがワイマールの宮廷楽長だったこと、ワイマールが《第九》のシラーが住んだ場所でドイツの文学・芸術の町であること、《ファウスト交響曲》と《ワイマール賛歌》についての解説があった。神奈川ハーモニッククワイアの岸本さんからは、メンバーがオペラを中心に活躍している人たちであることが話された。そして常日頃から音楽づくりにドラマを感じていると言うこと、メンバー一人ひとりの自発的な音楽づくりが全体につながっていることなどが話から伝わってきた。《ワイマール賛歌》も聴けて、得した感じ。

本編演奏の方だが…アルチュニアンの作品は、冒頭から懐かしい…というのかな…アルメニアと聞いてなるほど、と思わせる旋律線が登場した。第2楽章では、2種類のトランペット・ミュートが使用されていた。第3楽章の終盤には、圧倒的なカデンツァがあり、盛り上がったところで、シンバルの一撃があった。

トランペットの独奏を担当したバタランは、スター性でアピールと言うよりは、作品そのものへの没入感、あるいはオケとの一体感で聞かせるタイプの人だろうか。実はすごい技巧の持ち主なのに、あまりにも難しい箇所もさくっと吹けて、どこが難しいのかがわからなくなる…という私の大好きな方向かと思った。

アンコール曲(サンドバル:《ミスター・バタラン》)はとてもムーディーなポピュラー曲のアレンジだろうか。フリューゲル・ホーン→クライマックスでトランペット→フリューゲルという持ち替えも行っていた。最後の余韻はもう少し聞きたかったかも。最後の弱音のロングトーンはすごいのだし。

リストの《ファウスト交響曲》といえば、後述するように普段はバーンスタインの録音を聴いているのだが、今回のシュルトのアプローチはそれとはもちろん違っていて、バーンスタインの「暑さ」というよりは、シャープで鋭い感覚が特徴的だったように思う。そしてドラマチックな側面が際立っていて、語り口もとてもうまい。

また、個人的には第二楽章にとても強い興味を抱いた。リストは本当に素晴らしいオーケストレーターだと思うのだけれども、単に大鳴りにするのではなく、いかに自分の目指してる音を効率よく生み出せるかと言うことについての知識がとても豊富だということがわかった。これは彼が宮廷楽団の監督となっていたと言うところも大きいのだろう。やっぱり良いオーケストレーターだなぁと思う。もちろんオルガンの響きやテノール独唱、そして男性合唱なども興味深い。

歌われるファウストの一節は、マーラーの《千人の交響曲》の第2部の終結部にも使わているというのが、改めて面白い。そしてこの女性性なるものと相反するような男性合唱の組み合わせというのも興味深い。最後だけにオルガンと合唱を用いるという仕掛けも贅沢な感じがして、そしてそれが必要であるということも改めてわかった。合唱の響きになかなかじんわりする味わいがあり、やっぱり《ファイスト交響曲》が素晴らしい作品ということが実感でき、生で聴けて本当に良かったと思った。



神奈川フィルを聞いたのは本当に久しぶりだった。そして今回はやはりリストの《ファウスト交響曲》を聴きたくて足を運んだ。《ファウスト交響曲》に関しては、アメリカ留学時代にLawrence KramerのMusic As Cultural Practice, 1800-1900という本の中でフェミニズム理論で《ファウスト交響曲》を読み解く文章があって、あまりその内容は覚えていないのだが、それ以外、何となく曲目だけには親しんでいる、という感じだろうか。Kramer本を読みながら図書館にあったショルティのCDを聞いたのだが、当時はあまり興味が持てなかった。ただ日本に帰ってきて、やはりこれは評論家が推しているバーンスタインだろうと思って、バーンスタインが録音したコロンビア時代の録音の、ニューヨーク・フィルハーモニーだと思ったけれども、CDがあって、改めて聴いて、そちらでは、とても面白いと思った。そして今回の指揮者で、生の演奏を聴いてみたらどうなんだろうなというところだった。



2025年9月16日火曜日

オルガンとその仲間たち【フェリスホール・オルガンコンサート】(2025/9/15)

[日時]
2025年9月15日(月・祝)14時00分開演(13時30分開場)

[場所]
フェリスホール

[出演]
アコーディオン・笙/早川幸子
パイプオルガン/三浦はつみ
パイプオルガン・リードオルガン/宇内千晴

[曲目]
N. ブルーンス:前奏曲とフーガ 第1番 ホ短調 《グレート》
パイプオルガン/宇内千晴

W. B.ブラッドベリー:飼い主わが主よ(讃美歌)
リードオルガン/宇内千晴

H.ジロー:パリの空の下
アコーディオン/早川幸子

菅野よう子(坂本日菜 編曲):花は咲く ―ソプラノとベビーオルガンのための―
E.エルガー:行進曲 《威風堂々》 第1番 ニ長調
リードオルガン/宇内千晴、アコーディオン/早川幸子

雅楽古典曲 《黄鐘調調子》 《越天楽》
笙/早川幸子

アメイジング・グレイス
笙/早川幸子、パイプオルガン/三浦はつみ

W. B.ブラッドベリー:主われを愛す(讃美歌)
リードオルガン/宇内千晴

W. ボルコム:ゴスペル・プレリュード 「主、われを愛す」
J. S. バッハ:ピエスドルグ ト長調 BWV 572
パイプオルガン/三浦はつみ

今年のフェリスホール・オルガンコンサートは、これまではちょっと違う方向性を示していた。すなわちオルガンを出発点としつつも、オルガンと構造的に共通点がある楽器を一同に介して楽しむ企画といえるだろうか。例えば空気を送りこむ点と鍵盤がトリガーになっている点はオルガンと似ているけれども音を出す機構に違いがあるリードオルガン、そしてそこからさらに発展させて、アコーディオンや笙も舞台に乗せるというもの。作品も様々で、北ドイツオルガン楽派のブルーンスからシャンソン、東日本大震災の復興ソング、雅楽、讃美歌、そして最後にバッハのオルガン作品など、既存の「クラシック」に囚われない楽しい内容だった。

宇内先生によるブルーンス作品の後、三浦先生が「かっこうオルガン」という2つの音のみが出せる、ふいごと鍵盤のみに特化したモデルみたいなものを使って、オルガンの音がでる原理を分かりやすく解説されていた(演奏会室の長澤さんが小さなカメラを使って楽器にズームアップし、その映像をステージ奥のスクリーンに投影するというグッドアイディア!)。一応文献の上で、文字の上では楽器のことはわかっていても、実際に簡素ながらも音の出る仕組みがとても分かりやすかった。

リードオルガンの場合も、実際に使われているリードそのものを宇内先生が提示され、金属リードがとても小さいということもわかったし、実はリードオルガンの場合は、息を吸ったときに音が出ると言うことも初めて分かった。アコーディオンの場合の左手の様々なボタンと言うものを、どうやって手探りの状態で探すのかということであったが、ボタンのいくつかは見えなくても印がついているものがあったり、少々凹んでいたり(?)というのが面白かった。とはいえ左手は結構難しそうで、曲の途中に転調がある曲などは正しい調にさっと移動するのが難しそうだなと思った。

笙とオルガンの合奏は特に面白く、曲も《アメイジング・グレイス》であり、これはバグパイプでも演奏する曲だと思うのだけれども、三浦先生がオルガンの、バグパイプっぽくなるストップを使われていて、それがとても面白かったのと、笙とオルガンとの両者の音量についても絶妙なバランスだった。また笙が醸し出す和音と西洋由来のオルガンが生み出す和声のあり方が微妙に違っていのが、かえって興味深く、不思議な合奏に見えたのが、とても印象的だった。

コンサートは終始和やかな雰囲気で、多くのお客さんが来られていた。個人的には私の後ろの列の方が演奏中にお話を始めていたのが、やや残念。楽しいコンサートであるのでリラックスされているのだろうが、やはり話し声は演奏を楽しみたい人には気になるだろう。視線をこの方たちに向けている人もいらっしゃった。

なお、昨年度に引き続き、今年のオルガンコンサートも、私がプログラム・ノートを執筆した。昨年の「オルガンコンサート」はリストのオルガン作品を核としてピアノ曲も含めた重厚な内容でとても勉強になった。演奏をされた三浦先生や宇内先生からそのプログラム・ノートの内容を評価いただき恐縮至極であるが、本年度も書かせていただくことになった。しかも今回は企画内容を尊重し、演奏曲目そのものよりも楽器に重点を内容をご希望いただいた。そのおかげで、リード・オルガンやアコーディオン、笙の楽器構造や歴史について、おおいに勉強になった。また早川先生には執筆のための参考資料もご提供いただき、感謝申し上げたい。



ちなみに今日の午前中は、研究室で仕事用の書類を探していた。アメリカ音楽を扱いながらも、どうしても音楽以外の書籍に手を出さざるを得なくなり、ちょうど探していたテーマに即した、アメリカ思想史(文化史)の関係の本がうまく見つかってとても良かった。ただこれを今後もう少し読み込んでいかないといけないとも思うので、そこは大変かもしれない。


ニュー・ミュージック・アンサンブル『ニュー・ミュージック・アンサンブルII』(自主制作アルバム)

New Music Ensemble II. New Music Ensemble. NME Records 22764. 


ニュー・ミュージック・アンサンブルは楽譜を使わないで行う即興演奏のグループとして最初のものだったかと思います。集団即興グループ自体は、これ以前にも、例えばルーカス・フォスがやっていたと思いますが、演奏者を楽譜から解放するという意図で考えられた即興方法は、演奏者に一定程度の選択肢を与えてはいるものの、五線譜からの発想であることは変わりなく、また、大まかな指示はあっても、聞こえてくるものは割と「確定」された感覚があります。このグループは、ずっと臨場感があります。

もともとは1963年にラリー・オースティンのもとでスタートしたグループでしたが、これは、後述するように、彼がローマに行っていて参加していない2枚目のアルバムですね。個人的にはオースティンが参加している1枚目よりも即興が濃厚になっているように思います。ただ、それぞれの即興の時間は短いです。また1枚目には1枚目の魅力があるとは思います(あちらはステレオ録音ですし)。

オースティンはサバティカル(研究のための長期休職)の年、1964年から65年にかけてローマを訪れ、そこでニュー・ミュージック・アンサンブルのテープやレコードを聴かせたといいます。特にフランコ・エヴァンジェリスティが興味を持ち、それがグルッポ・ディ・インプロッヴィザツィオーネ・ヌオーヴァ・コンソナンツァの結成につながったとされていますね。


2025年9月15日月曜日

ペンデレツキ作品集(広島の犠牲者に捧げる哀歌、蛍光、コスモゴニア、デ・ナトゥラ・ソノリス第2番)

Penderecki: Threnos to the Victims of Hiroshima, Fluorescenses, Kosmogonia, De Natura Sonoris II. Philips (Sequenza Special) 412 030-1 (レコード)

ステファニア・ヴォイトヴィチ (ソプラノ)、カジミェシュ・プステラーク (テノール)、ベルナルド・ワディシュ (バス)、ヴィトルド・ロヴィツキ (《哀歌》のみ) マルコフスキ指揮ワルシャワ・フィルハーモニー交響楽団ならびに合唱団

Naxos Music Library (コスモゴニア/時と静寂の次元/デ・ナトゥラ・ソノリス第2番)
Amazon (同上)

富山の書庫から持ってきたレコード。ペンデレツキといえば、僕的にはこの1枚かなあ。中でも《コスモゴニア》が圧巻。すこしずつ暴れて盛り上がり、突然の協和音から乱れ歌う声楽陣。クラスターも面白いし、ホワイト・ノイズ的な音響にもすごみがある。

その他の作品も面白い。《哀歌》は最初軽いかな〜と思ったけど、これはこれでいいんではないかなあ。

記憶によれば、確か石丸電気で買った1枚。

2025年8月27日水曜日

ノーマン・デロ・ジョイオ:《ルーブルからの風景》:リハーサル風景と通し演奏

Rehearsal Fragments: "Scenes from the Louvre" with the Composer, Norman Dello Joio. The Baldwin-Wallace College Symphonic Band; Kenneth Snapp, conductor.  Century Records 25856 (10-inch).

非売品のレコード、Century Records 25856  (10インチ盤) 、モノラル録音です。吹奏楽曲《ルーブルからの風景》は、アメリカのネットワーク・テレビ局NBCが1964年に放送したルーブル美術館を題材にした番組の音楽を演奏会用の組曲にしたものです。バールドウィン・ウォーレス大学バンドとその指揮者ケネス・スナップによって委嘱されたそうですが、レーベル記載の演奏者のクレジットから、この録音は、その委嘱者たち=初演者たちによるものといえそうです。
10インチなので、リハーサルもそれほど長い間収録されていませんが、作曲者の立会いのもとで行われているため、内容そのものは、非常に濃いものです。デロ・ジョイオ自身がコメントをした部分が分かるように最低限のリハーサル演奏が収められています。大学のバンドですが、技術的には安定しており、とても聴きやすいです。

 第1曲で印象に残っているのは、冒頭のティンパニーの一つひとつに性格を与えて欲しいという要望でしょうか。デロ=ジョイオは特に最初の2音をしっかりと鳴らして欲しかったようなのですが、学生の方は、なかなか思い切って叩けないようでした。このバンド、デロ=ジョイオが想像していたよりも多くの女子学生がいたことに驚いている発言もあるのですが、どういう男女比なのか、ちょっと気になりますね。

《ルーブルからの風景》自体は、少なくとも本国アメリカでは人気があるのか、それなりに録音もありますが、やはり初演者ということと、作曲者の肉声と、演奏上のアドバイスが収録されているのが貴重かと思います。

ジャケットは付いておらず、レコードのみを入手しました。

ポール・クレストン:交響曲第1番 第1楽章・第3楽章 (それぞれ冒頭部分のみ) (演奏者不明) (米国戦争情報局)

Contemporary American Music Series No. 21: Paul Creston: Symphony No. 1, Opus 20, First Movement (Beginning) and Third Movement (Beginning). Office of War Information Overseas Branch No. 13-3157 (78 rpm).


レーベルにある Office of War Information は、Wikipediaによると、「第二次世界大戦期の1941年7月11日にフランクリン・ルーズベルト大統領が設置したアメリカ合衆国の諜報・プロパガンダ機関」だそうです。またレーベルの情報を頼りにすると、おそらく音源は『現代アメリカ音楽』というラジオ番組の第21回ということのようですね。

演奏されているのは、イタリア系のアメリカ人作曲家、ポール・クレストンの交響曲第1番の抜粋です。ラベルが残っている Part 4は、確かにその第3楽章の冒頭です。78回転盤なので、途中で終わってしまいます。現在はNaxosレーベルから別の録音 (CD) があるので、曲を知るには問題がありませんが、それが出るまでは、作品の音を聴くことはできなかったということになりそうです(商業録音はなかったので)。

Part 4の裏側はラベルがはがされちゃったのでしょうか、真っ白なのですが、実際に聴いてみたら、交響曲第1番 第1楽章の冒頭でした。そうすると、Part 1ということになるのかな? となると、オート・チェンジャーで聴くことを前提とした面切り?がされていて、どこかにPart 2とPart 3があるのでしょうか。残念ながら、僕がもっているのは、この1枚だけです。

また残念なのが、このレーベルには演奏者の表記がないので、指揮者やオーケストラは分かりません。おそらく番組の情報から探ることも可能でしょうが、そこまでやる気がおこらないので、現状は放置状態です(汗)。

2025年8月21日木曜日

ノーマン・レダーマンとゲイリー・バーク:『ステレオ・シダの蘭オーケストラ』(45回転ドーナツ盤)

Norman Lederman and Gary Burke: Stereofernic Orchidstra. Sounds Reasonable Inc. 番号なし

Stereofernic Orchidstra

珍しいレコードを入手しました。ちなみにデイヴィッド・コープの『現代音楽キーワード事典』 (春秋社) の p. 205 に取り上げられています。

とりあえずジャケット裏の説明を読んでみます(自動翻訳ツールを下訳に用いています)。
植物は知性を持っているのだろうか?人間は植物とコミュニケーションを取ることができるのだろうか? 誰にも確かなことは分からない。 
このレコードのA面は、インドのアザレア、フィロデンドロン、ボストン・タマシダ、アマリリスという4種類の植物の複雑な電気化学活動を記録する非科学的な試みである。4つの植物は上記の順序で聴かれる。これらの植物の「音 sound」は、国立植物園で特別に構築された「植物アンプ plant amplifier」を使用し、4チャンネルの業務用録音機の別々のトラックに録音された。B面では同じ録音を使用しているが、各植物の信号が巨大な電子音楽シンセサイザーに送られ、その結果がミュージック・コンクレートとして提示されている。音楽家と植物の人間的波形の両方 がシンセサイザーの出力を制御している (Both the human wave form [from?] musician and the plants control the synthesizer's output) 。このレコードが、植物のステレオフェニックな世界への想像力と感性を刺激することを願っている。

ということで、実際に聴いてみましたが、うーん、どうでしょう…。A面は最初から最後まで「ギュイーーーーーーン」という音がフェードイン・フェードアウトして終わりという感じでしょうか。それぞれの植物の音…というのは分からないです…。B面の方は、若干加工してあるので、全体として、ちょっとは「作品」ぽくなったのかなあ。資料としては価値がありそうですが、鑑賞として楽しいかというと面白くないかもしれません。

2025年8月15日金曜日

カザルス:《国際連合賛歌》


実家に置いてあるビデオを帰省時に少しずつデジタル化しています。これもその一つ。《鳥の歌》の映像はYouTubeでも観られるのですが、意外と《国際連合賛歌》をカザルス自身が振った映像がないことに気づきました(→と思ったら、3年前にアップされていました)。この映像は大学院時代にとある先生からお借りしたビデオテープに入っていたもので、おそらくNHKで放送されたものかと思われます。冒頭に4:10の時刻が表示され「国際連合総会議場で録画」とされています。個人的には中間部のオーデンの詩がちょっと怖かったのを覚えています。とてもインパクトがあります。以下、その中間部からの字幕をそのまま転載してみます。もちろん音楽による戦意高揚やプロパガンダが過去にあったことを認めつつ、やはり私たちは平和の歌を紡いていきたいものです。
人みな言葉に心せよ
うそをつき
平和をいいくるめ
いくさのときには
邪悪が正しきことを語り
偽りの約束が結ばれる

なれど 歌は真実
平和の歌を模範とせよ…

2025年8月3日日曜日

ハリソン/フェルチアーノ作品 (ガムランを使った作品2曲収録)

Richard Felciano: Glossolalia (A1), In Celebration of Golden Rain (B)
Lou Harrison: Gending Pak Chokro (A2). 
Cambridge Records CRS 2560 (LP)

留学時に聴いたレコードを振り返ってみたいと通販で購入した1枚です。ジャケットの真ん中に横一線の紙の剥がれがあって残念なのですが、盤そのものはとても質が良く、音楽を楽しむという点ではうれしいですね。

フェルチアーノの《グロッソラリア Glossolalia》はピッツバーグのセント・ジョン・フィッシャー教会に新しいオルガンが献呈される際に、ロバート・スノーから委嘱を受けて作曲されたものだそう。この作品だけはガムランとは関係がなく、テープ、打楽器、バリトン、オルガンのための作品。テクストは旧約聖書の詩編150編ということだから、とても祝祭的な音楽…になるのかと思ったのですが、シリアスな感覚の無調の響き。テープは神秘的な音が時々。

ハリソンの《Gending Pak Chokro》は、むかし所属していたフロリダ州立大学の図書館で聴いたことがあったのですが、レコードを購入してじっくり聴いてみると、ルバーブっぽい音も入っているように聴こえました(意外と覚えていないものです)。でも写真にも解説にも言及はないなあ。スリンの音はもっとはっきりと聞こえます。途中でアップテンポになるところが素敵。テープが一部ドロップアウトするところがちょい残念。おそらくマスターからなんでしょう。

フェルチアーノの《In Celebration of Golden Rain》は、ガムランとオルガンの組み合わせ。不思議な感じ。ガムランの音色は使っているのですが、イディオマティックじゃないというか。オルガンにポツリポツリ合わせたり、別々に鳴らしたり…。

ライヒ:プロヴァーヴ (1955)、ナゴヤ・マリンバ (1994)、シティ・ライフ (1995)

アマゾン

1995年の《プロヴァーヴ》は、清らかなソプラノのカノンが冒頭から印象的。ボーイ・ソプラノが歌うと、一段と敬虔な感じが醸し出されるのではないだろうか。その後は、柔らかなオルガヌム(中世の宗教ポリフォニー)の印象。ライヒがペロタンに興味を持っていたことを思い出した (著作集を除いたら、実際にインスピレーションにしていたということのよう)。ただマリンバが入るとやっぱりライヒ、ということになるのかもしれない。ということで、その後はビート (パルスとは言い難い) の中に挿入される「変拍子」 であり、様々な具体音が美的オブジェと言うよりは、音に付随する。文化的文脈を伴って、器楽演奏に織り込まれていく。

《ナゴヤ・マリンバ》(1994)  は初期の響きに類似するところはあるが、最小限主義ではなく、印象的ドラマ・ 表現に手段の1つとして使われている。「初期ライヒ風」音楽とでも言うべきか。あるいは開き直ったポピュラー音楽なのだろうか。

《シティ・ライヒ》(1995) は、かつて苦労して取り込んでいた日常音を抽象的なオブジェとして音楽作品にした「ミュージック・コンクレート」が、いまやサンプリングに手軽にできるようになった…ということのようだが、むしろタイトルからして、音のオブジェというよりは、その音がもともと持っている文化的文脈をそのまま(主に使用されているコードによって醸し出される)「ライヒ風」音楽に混ぜているということになるのかもしれない。第3部は1980年代のカール・ストーンみたいだ。(2004.9.7執筆、2025-08-03追記)


2025年6月22日日曜日

『ライオン・キング』《愛を感じて》 (シンバとナラのデュエット version)

『ライオン・キング』といえば、オープニングの《サークル・オブ・ライフ》と《愛を感じて》が2大名曲といってもいいかもしれません。そしてアニメ映画で使われている《愛を感じて》は、ティモンとプンバァがヴァースで始め、本体部分は第三者の歌声、そして最後は再びティモンとプンヴァという感じですが、うーん、この不採用になったシンバとナラのデュエットというのもいいんですよねえ。歌詞もとても良い。大人のロマンティックな世界観が溢れています。まあでも、子どもたちがどう思うかっていうのがあって、最終的には採用されなかったのでしょうね。

2025年5月15日木曜日

フィードラー名曲集 日本ビクター LS 2077

フィードラー名曲集 アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団 日本ビクター LS 2077 (モノラル録音)


(第1面)
(1) 行進曲「威風堂々」第一番           エルガー作品39の1
(2)ただあこがれを知る者のみ            チャイコフスキー作品の6
(3)雷鳴と稻妻—ポルカ                         J・シュトラウス 作品324
(4)松葉ぼたん—間奏曲                        ボスク
(5)舞踏会の響き                                    ジレー
(6)小牧神の入場                                    ピエルネ
(7)蚊の踊リ                                            ホワイト
(8)燕                                                        セラデル~ファインドレイ
(9)ラデッキー行進曲                             J・シュトラウス
(第2面)
(1)円舞曲—舞組曲「眠りの森の美女」より
                                                                      チャイコフスキー
(2)短劍の舞—歌劇「ナトマ」より    ハーバート
(3)ウィーンはウィーン                        シュランムル
(4)ラ・カンパネラ(「鐘」)            パガニーニ
(5)蝙蝠—ポルカ                                    J・シュトラウス作品362
(6)バースデイ・ファンタジー           カイエー編
(7)バットル・ヒム・オブ・ザ・リパブリック
                                                                    ステッフ~グールド

Discogsのデータによると、このアルバムの収録曲は、本国アメリカではFiedler's 25th というアルバム(ボストン・ポップスとの25年の関係を祝すアルバム)と同じようですが、ジャケットのデザインは Music for a Summer Night を使っているということになりそうです。確かに Fidler's 25th のデザインだと売れそうにはないですね。しかし、曲を聴いてみると、当たり前ですがMusic for a Summer Night の「夜」感はないかもしれません(いきなり《威風堂々》第1番ですし…)。ムード音楽路線として、美しい女性のジャケットで売ろうということなのか、ジャケ買いを誘う路線といいますか。Fiedler Conducts Your Favorites というのは、従って日本独自の英語アルバム・タイトルになるのでしょうか。

演奏の方は、洗練された抒情性に、クラシカルな、折り目正しく、ビシっとしたリズム感が冴えます。録音の方はヘッドフォンで聴くと低音も入っているように思いますが、うちのブックシェルフ・スピーカーで聴くと痩せた音になってしまうようです。

2025年5月14日水曜日

《富山県民の歌》、軽音楽《富山県民の歌》

辻本俊夫 作詩、牧野良二作曲、大西修 編曲:《富山県民の歌》、軽音楽《富山県民の歌》コロムビア合唱団(第1トラックのみ)、原信夫とシャープス・アンド・フラッツ、監修 原信夫 日本コロムビア PS-218 (ソノシート、モノラル録音)

《富山県民の歌》の同音源は県庁サイトにも上がっているのですが(→こちらです)、音質がいまいちでしたので、このソノシートが欲しかったんです。演奏が原信夫(=東岩瀬出身)とシャープス・アンド・フラッツということは知られているのですが、編曲者大西修も含めて県庁HPにはクレジットがなされてなかったような気がします。それにしても、編曲・演奏がフツーに素晴らしいんです。

ちなみにソノシートは片面のみの収録なのですが、入手してみて、トラックが2つ刻まれていることに気づきました。よく見ると、レーベルには「軽音楽 富山県民の歌」と記されています。歌とは違ったイントロで始まり、キーもFではなく、Gから始まりAbへ転調するというもの。歌なしの別アレンジですね。まあ2分半の歌入り1曲だけだと、さすがに片面収録でも寂しかったということかな。

「監修 原信夫」とわざわざ記してあるところ、きちんとした仕事感があります。


参考サイト:「新潟・富山・石川・福井の県民歌」『北陸のレコード歌謡(富山の歌を中心に-)』

2025年3月8日土曜日

即興II (ジェリー・ハンコック)

 Improvisation II. Gerre Hancock, organ. Gerre Hancock (自主制作盤) 29307


Side 1
A mighty fortress is our God (Ein' Feste Burg; Martin Luther, 1529)
Amazing grace! how sweet the sound (Amazing Grace; Early American Melody)
Abide with me: fast falls the eventide (Eventide; William H. Monk, 1861)
For the beauty of the earth (Dix; Conrad Kocher, 1838)
O beautiful for spacious skies (Materna ; Samuel A. Ward, 1882)

Side 2
He is risen, he is risen (Meander; Joachim Meander, 1680) 
Were you there when they crucified my Lord  (Were You There; Early American Melody)
How firm a foundation, ye saints of the Lord (Foundation; Early American Melody)
What child is this, who, laid to rest (Greensleeves; English Melody, before 1642)
The God of Abraham praise (Leoni; Traditional Melody)

基本的に賛美歌を題材にした即興演奏で、即興といっても、いわゆる「前衛」的な要素は皆無です。ただとても品が良く、かつ聴き応えのある内容です。ライナー・ノーツによると「即興演奏の本質は自発性であるため、テープは編集も加工もされておらず、周囲の雑音やレジストレーションの変更も含まれている」とあります。まず「えっ、これ全部即興なの」「通しで録音しただけなの」と驚かされます。周囲の雑音やストップの切り替えとか、全然気になりませんでした。

収録曲ですが、《神はわが砦 (神はわがやぐら) 》 (A面1曲目)、《くすしき恵み (アメイジング・グレイス) 》(A面2曲目)、《グリーン・スリーブス》 (B面4曲目)くらいは、ぱっと聴いて分かる人も多いでしょうか。もちろん《グリーン・スリーブス》はもともと賛美歌ではないのですが、賛美歌としても歌われている、という文脈の収録になるのかもしれません。

選曲としてびっくりするのは、A面5曲目です。アメリカ人だったら誰もが知っている《美しきアメリカ》または《アメリカ・ザ・ビューティフル》の旋律なのですね。サミュエル・A・ワードという人が作曲しているのですが、もともとは"O Mother dear, Jerusalem"という賛美歌の歌詞に付ける旋律として1882年に考えられたとものの、1892年まで出版はされなかったそうです。それで、有名な《アメリカ・ザ・ビューティフル》の歌詞はキャサリン・リー・ベイツという人が1895年に書き、その両者が最初に合わさって歌として発表されたのは1910年とのこと。現在はむしろアメリカ独立記念日なんかに歌う愛国歌としての知名度が高いですよね。なので、これを賛美歌の文脈で入れたというのは、「通」な感じがします。

演奏をしているジェリー・ハンコック (1934-2012) はテキサス州生まれ。テキサス大学オースティン校に学び、大学院はニューヨークのユニオン神学校 (実は初めてニューヨークに行った時に、図書館に寄ったことがあります) に進みます。フランスにも行ってたっぽく、マリ・クレール・アランに学んでいたり、オルガン即興はナディア・ブーランジェに教わったこともあったらしい。その後、ジュリアードで教鞭を執り、イエール大学やイーストマン音楽学校にも客員教員として即興を教えていたとのこと。このレコードを作った時、彼はニューヨークのセント・トーマス教会のオルガニスト兼聖歌隊長だったようです。

収録時間がそれぞれの面で20分もないのですが、そのためか、内周部分も音がひどく劣化することなく聴けます。

このレコードに最初に出会ったのは、新潟大学の音楽学の先生の研究室でしょうか。お借りしてカセットに入れていました。しかしカセット音質に満足できす、オークションで落札。届いたのが驚くほど盤質が良いもので、とてもうれしいです。

2025年2月28日金曜日

セッションズ:弦楽四重奏曲第1番 (1936)

 セッションズ:弦楽四重奏曲第1番 (1936)  アマド弦楽四重奏団 Apex 1243 (LP)



セッションズ作品はモデラート、アダージョ・モルト、ヴィヴァーチェ・モルトの3楽章からなる。12音技法を用いているらしい。エリザベス・スプレーグ・クーリッジ夫人によって委嘱され、1937年4月にワシントンDCのクーリッジ弦楽四重奏団によって初演された。

セッションズの作品は時折ちゃんと旋律が耳に入ってくるのが「分かりやすい」と思われるのかもしれない。ただ何度か聴かないと、響き全体の中にそういう旋律が埋没してカオスな無調音楽をみなされてしまう可能性はありそうだ。これより古い録音としては、プロ・アルテ弦楽四重奏団のもの (→Spotify) がある。

このApex盤の演奏をしているアマド(アマドー?)弦楽四重奏団については幸松肇氏の『世界の弦楽四重奏団とそのレコード』が、このレコードのライナーをもとに紹介をしておられるように、1970年に結成されたアンサンブルで、メンバー全員が女性である。

併録のウィリアム・フラビジオという作曲家について、詳しくは知らない。ぱっとネット上の情報を探してみるとフランク・シナトラやダイアナ・ロスやペギー・リーやカウント・ベーシーやレイ・チャールズなどと親交があったというのがあったが、全然そんな感じはしない。作品が「ロジャー・セッションズへのオマージュ」だろうか。

レフラー:《異教徒の詩》(ストコフスキー指揮ヒューストン交響楽団)

Charles Martin Leoffler, A Pagan Poem, Op. 14. Houston Symphony Orchestra; Leopold Stokowski, conductor. EMI Classics 7243 5 67569 2 2

私が持っているのはオルフの《カルミナ・ブラーナ》とのカップリングされたCD。スクリャービンの《法悦の詩》やグラズノフの《ライモンダ》とカップリングされたCDもあるっぽい。

自称アルザス地方のミュルーズで生まれ・実はベルリン近郊のシェーネベルク生まれとされるレフラーというと、グリフィスとともに「アメリカの印象派」的な扱いを受けているように思うのだけれど、この作品にも、タイトルからも分かるように、異国趣味的な要素はあるように思う。ただ、室内楽的に楽器を制限するような、取り澄まされた感性というよりは、19世紀ロマン主義的なスケールも保持していて、結局それが、のちのハリウッドにつながっていくサウンドなのかな、と思わされた。ストコフスキー指揮で、ぐいぐいと聴かせてくる。隠れた名曲と思わせるだけの説得力はある。

ライナーノートによると、この《詩》は、ヴァージルの『エクローグ』第8章が元になっていて、テッサリアの少女が恋人に捨てられ、妖術を使って彼を取り戻そうとする物語だという。楽譜が手元にないので確認できないのだが、トランペットが舞台袖で演奏する設定になっているらしい。ただこのCD音源では中央から、ものすごく遠い位置から聴こえてきる。これは「物語の魔術的な要素を表現」しているのだとか。最後の方は、けっこう大きな音で懸命に吹いているっぽいが、録音で無理に抑えられているように聞こえる。生演奏だと、もうすこし自然に聞こえるのかもしれない。 (2025-02-28)

Ephemera. Pepper Adams Quartet. 

ジャズはシロートで、しかもバリサクのレコードって本当に知らない。このアルバムはCDになってなくて、僕は某所で聴くことができた。以前どこかでお金を出してデジタル化された音源をダウンロードしたこともあったのだが、スクラッチ・ノイズや針づまり?の音で歪んでいて(しかもクリーニングすれば取れたのでは?というレベル)、がっかりした記憶がある(→こちらのブログでも指摘されている)。B1のJitterbug Waltzを、3拍子の曲の例として、かなり前に富山大学の教養の授業で聴かせたことがあった。

2025年2月15日土曜日

アルバム『弦楽四重奏のメロディー』 (アメリカン・アート四重奏団)

String Quartet Melodies. American Art Quartet RCA Victor (Bluerbird Classics) LBC-1086 (Mono, LP)



幸松肇氏の『世界の弦楽四重奏団とそのレコード』第1巻 アメリカ編によりますと、アメリカン・アート四重奏団は第二次世界大戦中の、1940年代のSP期からLP期にかけて、「アメリカの黎明期」に結成されたアンサンブルだそうです。西海岸を中心に活躍した実力派といったところなのか、「西海岸=ハリウッド=メロメロ路線」ということではなく、ヴィルトゥオーゾ的な感覚が一方に、上品なリリシズムが一方にというところでしょうか。録音の古さゆえに、低音がもっと欲しいところもありますが、聴き慣れると何とかなるような気がします。

このアルバムの音源自体は、ソロ演奏家としても活躍した第1ヴァイオリン奏者にちなんだ『アート・オヴ・ユーディス・シャピロ』 (→タワーレコード、 →Spotify) というBiddulphのコレクションに今は収録されています(シャピロについては青弓社のサイトを参照→第14回 ユーディス・シャピロ (Eudice Shapiro、1914-2007、アメリカ))。ただし、オリジナル・アルバムでは、このCDの4トラック目 (メンデルスゾーン:スケルツォ - 弦楽四重奏曲 第4番 ホ短調より)と5トラック目 (チャイコフスキー:《アンダンテ・カンタービレ》) は曲順が入れ替わっています。

2025年2月13日木曜日

マイケル・コルグラス:《コンサート・マスターズ Concertmasters》(秋山和慶指揮アメリカ交響楽団)

Robert Rudié, Red Violin; Masako Yanagita, Yellow Violin; Ronald Oakland, Blue Violin American Symphony Orchestra; Kazuyoshi Akiyama, Conductor. Turnabout TV 34704 (LP)

Spotify

先日秋山和慶さんがご逝去されたということで、あまり知られていない秋山さんの録音として、これを取りだしてみました。

マイケル・コルグラスはイリノイ大学卒業後、ウォーリングフォード・リーガーとダリウス・ミヨーに師事。生前は打楽器奏者・指揮者としても活躍し、しばしばアメリカ国内のアンサンブルにゲスト・アーティストとして出演していました。

3つのソロ・ヴァイオリンのための《コンサート・マスターズ》はデトロイト交響楽団が初演した作品で、このレコードでは、1962年、当時80歳だったレオポルド・ストコフスキーによって創設されたアメリカ交響楽団の3人の首席団員(ロバート・ルディエ、マサコ・ヤナギダ、ロナルド・オークランド)が独奏をつとめています。3人は1977年4月17日のカーネギー・ホールでの、初演に続く2度目の公開演奏でも独奏をしているそうです(オーケストラもこのレコードで演奏をしているアメリカ交響楽団です)。

レコードのライナーノートによると、この曲は「ロマンティックな印象主義的、ポスト・ウェーベルン的な作品」で、「作曲者のヴィヴァルディへの憧れと、セリエル技法への憧れが結びついた結果」「18世紀、ロマン派、印象派、ポスト・ヴェーベルンなど、従来の技法と不協和音の技法」を融合しているのだとか。そして「軽やかで叙情的なムードを生み出し」、様々な音楽様式を統合しているとあります。

ただ個人的には、あまりウェーベルンという感じはしていないように思いました。フレージングはとても古典的ですし(ヴィヴァルディの影響だから、ネオ・バロックということになるのかな?)、アメリカの真面目な無調音楽という感じがしました。

ところで、独奏者については、通常の「第1、第2、第3ヴァイオリン」という用語をコルグラスは意識的に避けており、赤、黄、青という色を用いています。その理由について、作曲者自身の言葉をライナーノートから引用します。

ソリストの名前をどうするかというくすぐったい問題が出てきた。ヴィヴァルディは自分自身と生徒のために書いていたので、I、Il、IlIと指定することができたが、誰が名ヴァイオリニストに2番、いや3番を弾けと言うだろうか?そこで解決策として、ソリストに赤、黄、青(指揮者に近い赤)の名前をつけることにした。これで、好きな色をめぐって論争が起こることだろう!作曲家の苦悩は終わらない。

2025年2月11日火曜日

ボストン・ポップス・ポピュラー・コンサート (フィードラー/ボストン・ポップス)

 『ボストン・ポップス・ポピュラー・コンサート』フィードラー指揮ボストン・ポップス・オーケストラ ドイツ・グラモフォン (ユニバーサル・ミュージック)  UCCG-9358

1970年〜73年の録音。バート・バカックの《雨にぬれても》 (1969年の映画)《サン・ホセへの道》 (1968年、ディヴォンヌ・ワーウィックが歌って大ヒット) の品の良いアレンジ(残念ながら編曲者の名前がCDには明記されてい ないが、元LP (ポリドール・レーベル) のジャケットを見てみたら、どうやらリチャード・ヘイマンらしい)。

内容はムード音楽より、ややハイブロウな感じ。聴いた感じではスタジオ録音ではなく、ボストン・シンフォニー・ホールの豊かな反響も入っているようではある(未確認)。そして音が立っていて、歯切れがよい。ジョン・ウィリアムズ時代にくらべると、やや細身かもしれないけれど。

ラグタイム・ナンバー、フォックストロット、デイキミーランド・ジャズ、録音された頃のヒット・チェーン… もちろん「本物」ではないかもしれないが、 これらをまとめてそれなりに楽しく味わうには良い。

演奏は、なかなかのハイ・テンション。でもフィードラーは 淡々と4拍子で振 ってそうなので、面白い。

クラシックを本業とするミュージシャンがポピュラー・チューンに挑戦しているといえるのだろうが、それがマイナスになっているようには思えない。

【トラック内容】
1. 雨にぬれても
2. 恋よさようなら
3. サン・ホセへの道
4. サウンド・オブ・サイレンス
5. 明日に架ける橋
6. イージー・ウィナーズ
7. シュガー・ケーン・ラグ
8. 12番街のラグ
9. ダークタウン・ストラッターズ・ボール
10. タイガー・ラグ
11. 昼も夜も
12. ミュージカル《ラ・マンチャの男》メドレー (ドゥルシネア / アルドンサ / マンブリーノの金の兜 / 彼のことしか考えず / 哀れな騎士 / いとしのドゥルシネアへ / 見果てぬ夢)
13. ミュージカル《ヘアー》メドレー( アクエリアス / ドナ / フランク・ミルズ / イニシャルス / エイント・ゴット・ノー / ヘアー / バレ・クリシュナ / エアー / グッド・モーニング・スターシャイン / レット・ザ・サンシャイン・イン) (2004.6.14記述、2025-02-11補筆)

2025年2月2日日曜日

ゴードン・ムンマ 電子音楽作品リスニング・メモ (2004.9.16)

Gordon Mumma "Live-Electronic Music" Zadik TZ7074

《ホーンパイプ (角笛) Hornpipe》(1967) ゴードン・ムンマ (狩猟ホルン、ホルン、サイバーソニックス) Track 3
アマゾン

ナイマンの著作によるとムンマのcybersonic devices使用の作品としてはHornpipe (1967) が最も有名なんだそうだ (Nyman, 101)。

例えばこの曲がフィードバックを使用しているということを知らなければ、ホルンや角笛といった太古、原始を思わせる響きと沈黙に思いを馳せながら、想像力を働かせて聴く行為になるのだろう。一方、一度コンソールの中に入り音楽が変化させられると、リード楽器のような音になる。ゾーンのClassical Strategiesを思い出す。明らかにヒスノイズが聞こえてくる箇所はテープなのか?

「演奏場所の中でのホルンの音の反響をモニターし、自らその反響を補足するように調整する。この調整作業の間、ある回路が不均衡になり、自分の均衡を保とうとする。そして、その過程で、さまざまな組み合わせが生じ、それが純粋に電子的な反応を引き起こす。」(ナイマン、195-196)

《Mesa メザ》 (1966)デヴィッド・テュードア(バンドネオン)、ゴードン・ムンマ(サイバーソニックス)Track 2

冒頭からバンドネオンの音など全く思い起こすことのない、歪んだ電子音的な響き。《ホーンパイプ》と違うのは、長い音が引き伸ばされること。サイバーソニックスに、どれだけ「結果としての音」をコントロールする能力があるのか、という疑問を持った。ナイマンの『実験音楽』によるると、単なる増幅装置ではなく、gate-controlled circuit とコンサート・ホールの音響によって左右される (Nyman, 102) というし。ムンマのシステムを知る必要が出てくるだろう。 (2004.9.16執筆)

スーザ・マーチ集 (ジョニー・グリーン指揮ハリウッド・ボウル・ポップス管弦楽団)

スーザ・マーチ集 (星条旗よ永遠なれ、ワシントン・ポスト・マーチ、サンダラー・マーチ、エル・キャピタン・マーチ) ジョニー・グリーン指揮ハリウッド・ボウル・ポップス管弦楽団 テイチク (Decca) DEP-58


Discogsのデータはアメリカ盤(6曲入り10インチ33 1/3回転盤だ!)。私が持っているのはテイチク発売の国内盤 (45回転EP盤)。これをなぜ買ったのかと言うと、おそらく演奏がハリウッド・ボウルの名が付いたオーケストラによるものだったからだろう。ポップス・オーケストラの資料として買ったのだ。ライナーには「今や、アメリカ楽壇に、嘖々(谷口注:さくさく)たる名声を馳せているジョニー・グリーンが、わが国でもFENを通して、お別染のハリウッド・ボウル・"ポップス" オーケストラ(Hollywood Bowl "Pops" Orchestra)を率いて、初めでデッカ・レコードにお目見得しました」と紹介されている。演奏は、まあ悪くはないのだけれど(弦楽器が入るのは許そう)、トリオ部分にいつもベルリラの音が入ってきて、それが個人的には耳障りというか…好みに合わないのである。米Deccaの録音も、ちょっと音が遠く、高音がシャリシャリな感じで、こちらも好みではないかもしれない(もしかするとオリジナルはSPと同時に発売されているような時代かも)。

というわけで、この音源は純粋に資料として保持している1枚なのだろう。懐かしくこの1枚を思い出される方には申し訳ないのだが…。

アメリカ音楽 リスニング・メモ (2004年9月)

ケネス・ゲイブロー:《レモンのしずく》《ハリーのために》 アルバム『電子音楽のパイオニア』CRI SD 356
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このアルバムは1950年代から60年代始めにSon NovaとHeliodorからリリースされていた音楽を集めたものだそうだ。案外こういうジャンルの方がアカデミズムを感じないものだ。

この世のものとも思えない音たち。アメリカは具体音路線と電子音楽路線の区別なく…と言うのが典型的な歴史的記述だが、前者は確かにそうだろうと思う。後者は電気的手段による音響合成が主である。(2004.9.12)

アール・ブラウン:《4つのシステム》エバーハード・ブルム (フルート) Hat Art CD 6147

沈黙が多く、ケージを思わせるが、その後に現れる音が強いダイナミクスであったり、すごく細かい音符であったりで、まさに「アクション」を思い起こさせるのが強烈である。(2004.9.13)

ヘルベルト・ブリュン:11のためのジェスチャー (1964) ヘルベルト・ブリュン指揮イリノイ室内合奏団 (Chamber Players) CRI SD 321 YouTube

明らかにセリエリズムまたはアカデミズムの流れを組んでいるが、どこかしらジャズの影響らしきユーモアも感じられる。(2004.9.13)

チャールズ・ドッジ:《イン・セレブレーション》(1975)、《スピーチ・ソング》(1973)、《私たち人生の物語》CRI SD 348YouTube

ヴォコーダーのテストみたいにも聞こえるのだけれども、後にもっとポピュラー音楽に使われたときのことを考えると、なんとも実験的だ。現代音楽モード、あるいはアカデミズムのはずだけど、やはり、どことなくユーモラス。曲を追って聴く時間があれば楽しめるのかも。(2004.9.13)

ロジャー・レイノルズ:《Ping》(1968)、《Traces》(1969) CRI SD 285

突然大きな音が出てびっくり (Ping)。(2004.9.13)

ジョージ・クラム:《歌、ドローン、そして死のリフレイン》ローレンス・ウェラー (バリトン)、ジョール・ソーメ指揮フィラデルフィア・コンポーザーズ・フォーラム Desto DC 7155

歌詞がわからないのだが、思わせぶりなコメントと、アンプリファイされた楽器の音が、大きな音のする打楽器と合っている。エレキが入っているが、ポピュラー音楽くさくない。(2004.9.13)

2025年1月31日金曜日

Happy Trails: Round-Up 2 (カンゼル/シンシナティ・ポップス・オーケストラ)

"Happy Trails: Round-Up 2" エリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス. オーケストラ、ジーン・ オートリー、 シェリル ・ミルンズ 、ロイ・ロジャース、米国空軍シンギング・サージェントの男声合唱団員 Tearc CD-80191

カンゼルのヒット・アルバム『Round Up』の続編ということか。第2弾の難しさは、選曲の選曲の難しさである。第1弾にベスト・ヒット を網羅すると、同じ曲の使えない第2弾は、どうしてもマニアックな選曲になるからだ。しかも「みんなが知っている曲」を収録することが何よりも売れ行きに大きく影響するだろうから…。

そんな中で、エンニオ・モリコーネの『続・夕陽のガンマン』やディミトリー・ティオムキンの『ジャイアンツ』『アラモ』などは、やっぱり「おっ」と思わせる。モリコーネはスパゲッティ・ウェスタン(日本的にはマカロニ・ウェスタン)だし、ティオムキンは「アメリカらしさ」を作り出している人がウクライナ生まれということも分かったり。

いまはSpotifyでも聴ける時代なのだから、ちょっと聴いてみてはと思う。 新たな発見をすることは間違いなさそうだし。  (2004.5.21.執筆、2025-01-31補筆)

2025年1月22日水曜日

「マイケル・ティルソン・トーマスの軌跡を記念BOXで振り返る」というレビューを書きました

 【生誕80年】マイケル・ティルソン・トーマスの軌跡を記念BOXで振り返る(谷口昭弘) https://recogei.ontomo-mag.com/article/advance-review/p-10374

遅ればせながら『レコード芸術ONLINE』に、マイケル・ティルソン・トーマス (MTT) のCD Box3点をレビューしました。

MTTといえば、ロンドン交響楽団とのマーラーの交響曲第9番をサントリーホールで聴いた (1992年5月19日) のが個人的には思い出に残っています。圧倒的な演奏で、打ちのめされました。しかし当時の新聞批評には「酔えないマーラー」という見出しで否定的な評価がなされ、音楽評論家に不信感を持つようになりました。それで、評論文みたいなもの勢いでしたため、大学学部時代の先生に見せたりしました。残念ながらそのときに書いた文章が見当たらないのですが、演奏についてきちんと書いた文章としては、それが生まれて初めてのものだったかもしれません。

今回まとめてMTTの録音を聴いてみて、波長と合う指揮者であることを改めて実感しました。またMTTの演奏というと、アメリカ音楽ばかりを(自分の専門に近いということもあった)中心に聴いてきたので(マーラーは何枚かあったと思います)、お仕事とはいえ、彼の幅広いレパートリーを堪能できて、本当に良かったです。