セッションズ:弦楽四重奏曲第1番 (1936) アマド弦楽四重奏団 Apex 1243 (LP)
2025年2月28日金曜日
セッションズ:弦楽四重奏曲第1番 (1936)
レフラー:《異教徒の詩》(ストコフスキー指揮ヒューストン交響楽団)
Charles Martin Leoffler, A Pagan Poem, Op. 14. Houston Symphony Orchestra; Leopold Stokowski, conductor. EMI Classics 7243 5 67569 2 2
私が持っているのはオルフの《カルミナ・ブラーナ》とのカップリングされたCD。スクリャービンの《法悦の詩》やグラズノフの《ライモンダ》とカップリングされたCDもあるっぽい。
自称アルザス地方のミュルーズで生まれ・実はベルリン近郊のシェーネベルク生まれとされるレフラーというと、グリフィスとともに「アメリカの印象派」的な扱いを受けているように思うのだけれど、この作品にも、タイトルからも分かるように、異国趣味的な要素はあるように思う。ただ、室内楽的に楽器を制限するような、取り澄まされた感性というよりは、19世紀ロマン主義的なスケールも保持していて、結局それが、のちのハリウッドにつながっていくサウンドなのかな、と思わされた。ストコフスキー指揮で、ぐいぐいと聴かせてくる。隠れた名曲と思わせるだけの説得力はある。
ライナーノートによると、この《詩》は、ヴァージルの『エクローグ』第8章が元になっていて、テッサリアの少女が恋人に捨てられ、妖術を使って彼を取り戻そうとする物語だという。楽譜が手元にないので確認できないのだが、トランペットが舞台袖で演奏する設定になっているらしい。ただこのCD音源では中央から、ものすごく遠い位置から聴こえてきる。これは「物語の魔術的な要素を表現」しているのだとか。最後の方は、けっこう大きな音で懸命に吹いているっぽいが、録音で無理に抑えられているように聞こえる。生演奏だと、もうすこし自然に聞こえるのかもしれない。 (2025-02-28)
Ephemera. Pepper Adams Quartet.
ジャズはシロートで、しかもバリサクのレコードって本当に知らない。このアルバムはCDになってなくて、僕は某所で聴くことができた。以前どこかでお金を出してデジタル化された音源をダウンロードしたこともあったのだが、スクラッチ・ノイズや針づまり?の音で歪んでいて(しかもクリーニングすれば取れたのでは?というレベル)、がっかりした記憶がある(→こちらのブログでも指摘されている)。B1のJitterbug Waltzを、3拍子の曲の例として、かなり前に富山大学の教養の授業で聴かせたことがあった。
2025年2月15日土曜日
アルバム『弦楽四重奏のメロディー』 (アメリカン・アート四重奏団)
2025年2月13日木曜日
マイケル・コルグラス:《コンサート・マスターズ Concertmasters》(秋山和慶指揮アメリカ交響楽団)
Robert Rudié, Red Violin; Masako Yanagita, Yellow Violin; Ronald Oakland, Blue Violin American Symphony Orchestra; Kazuyoshi Akiyama, Conductor. Turnabout TV 34704 (LP)
先日秋山和慶さんがご逝去されたということで、あまり知られていない秋山さんの録音として、これを取りだしてみました。
マイケル・コルグラスはイリノイ大学卒業後、ウォーリングフォード・リーガーとダリウス・ミヨーに師事。生前は打楽器奏者・指揮者としても活躍し、しばしばアメリカ国内のアンサンブルにゲスト・アーティストとして出演していました。
3つのソロ・ヴァイオリンのための《コンサート・マスターズ》はデトロイト交響楽団が初演した作品で、このレコードでは、1962年、当時80歳だったレオポルド・ストコフスキーによって創設されたアメリカ交響楽団の3人の首席団員(ロバート・ルディエ、マサコ・ヤナギダ、ロナルド・オークランド)が独奏をつとめています。3人は1977年4月17日のカーネギー・ホールでの、初演に続く2度目の公開演奏でも独奏をしているそうです(オーケストラもこのレコードで演奏をしているアメリカ交響楽団です)。
レコードのライナーノートによると、この曲は「ロマンティックな印象主義的、ポスト・ウェーベルン的な作品」で、「作曲者のヴィヴァルディへの憧れと、セリエル技法への憧れが結びついた結果」「18世紀、ロマン派、印象派、ポスト・ヴェーベルンなど、従来の技法と不協和音の技法」を融合しているのだとか。そして「軽やかで叙情的なムードを生み出し」、様々な音楽様式を統合しているとあります。
ただ個人的には、あまりウェーベルンという感じはしていないように思いました。フレージングはとても古典的ですし(ヴィヴァルディの影響だから、ネオ・バロックということになるのかな?)、アメリカの真面目な無調音楽という感じがしました。
ところで、独奏者については、通常の「第1、第2、第3ヴァイオリン」という用語をコルグラスは意識的に避けており、赤、黄、青という色を用いています。その理由について、作曲者自身の言葉をライナーノートから引用します。
ソリストの名前をどうするかというくすぐったい問題が出てきた。ヴィヴァルディは自分自身と生徒のために書いていたので、I、Il、IlIと指定することができたが、誰が名ヴァイオリニストに2番、いや3番を弾けと言うだろうか?そこで解決策として、ソリストに赤、黄、青(指揮者に近い赤)の名前をつけることにした。これで、好きな色をめぐって論争が起こることだろう!作曲家の苦悩は終わらない。
2025年2月11日火曜日
ボストン・ポップス・ポピュラー・コンサート (フィードラー/ボストン・ポップス)
内容はムード音楽より、ややハイブロウな感じ。聴いた感じではスタジオ録音ではなく、ボストン・シンフォニー・ホールの豊かな反響も入っているようではある(未確認)。そして音が立っていて、歯切れがよい。ジョン・ウィリアムズ時代にくらべると、やや細身かもしれないけれど。
ラグタイム・ナンバー、フォックストロット、デイキミーランド・ジャズ、録音された頃のヒット・チェーン… もちろん「本物」ではないかもしれないが、 これらをまとめてそれなりに楽しく味わうには良い。
演奏は、なかなかのハイ・テンション。でもフィードラーは 淡々と4拍子で振 ってそうなので、面白い。
クラシックを本業とするミュージシャンがポピュラー・チューンに挑戦しているといえるのだろうが、それがマイナスになっているようには思えない。
2. 恋よさようなら
3. サン・ホセへの道
4. サウンド・オブ・サイレンス
5. 明日に架ける橋
6. イージー・ウィナーズ
2025年2月2日日曜日
ゴードン・ムンマ 電子音楽作品リスニング・メモ (2004.9.16)
Gordon Mumma "Live-Electronic Music" Zadik TZ7074
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ナイマンの著作によるとムンマのcybersonic devices使用の作品としてはHornpipe (1967) が最も有名なんだそうだ (Nyman, 101)。
例えばこの曲がフィードバックを使用しているということを知らなければ、ホルンや角笛といった太古、原始を思わせる響きと沈黙に思いを馳せながら、想像力を働かせて聴く行為になるのだろう。一方、一度コンソールの中に入り音楽が変化させられると、リード楽器のような音になる。ゾーンのClassical Strategiesを思い出す。明らかにヒスノイズが聞こえてくる箇所はテープなのか?
「演奏場所の中でのホルンの音の反響をモニターし、自らその反響を補足するように調整する。この調整作業の間、ある回路が不均衡になり、自分の均衡を保とうとする。そして、その過程で、さまざまな組み合わせが生じ、それが純粋に電子的な反応を引き起こす。」(ナイマン、195-196)
《Mesa メザ》 (1966)デヴィッド・テュードア(バンドネオン)、ゴードン・ムンマ(サイバーソニックス)Track 2
冒頭からバンドネオンの音など全く思い起こすことのない、歪んだ電子音的な響き。《ホーンパイプ》と違うのは、長い音が引き伸ばされること。サイバーソニックスに、どれだけ「結果としての音」をコントロールする能力があるのか、という疑問を持った。ナイマンの『実験音楽』によるると、単なる増幅装置ではなく、gate-controlled circuit とコンサート・ホールの音響によって左右される (Nyman, 102) というし。ムンマのシステムを知る必要が出てくるだろう。 (2004.9.16執筆)
スーザ・マーチ集 (ジョニー・グリーン指揮ハリウッド・ボウル・ポップス管弦楽団)
アメリカ音楽 リスニング・メモ (2004年9月)
このアルバムは1950年代から60年代始めにSon NovaとHeliodorからリリースされていた音楽を集めたものだそうだ。案外こういうジャンルの方がアカデミズムを感じないものだ。
この世のものとも思えない音たち。アメリカは具体音路線と電子音楽路線の区別なく…と言うのが典型的な歴史的記述だが、前者は確かにそうだろうと思う。後者は電気的手段による音響合成が主である。(2004.9.12)
アール・ブラウン:《4つのシステム》エバーハード・ブルム (フルート) Hat Art CD 6147
沈黙が多く、ケージを思わせるが、その後に現れる音が強いダイナミクスであったり、すごく細かい音符であったりで、まさに「アクション」を思い起こさせるのが強烈である。(2004.9.13)
ヘルベルト・ブリュン:11のためのジェスチャー (1964) ヘルベルト・ブリュン指揮イリノイ室内合奏団 (Chamber Players) CRI SD 321 →YouTube
明らかにセリエリズムまたはアカデミズムの流れを組んでいるが、どこかしらジャズの影響らしきユーモアも感じられる。(2004.9.13)
チャールズ・ドッジ:《イン・セレブレーション》(1975)、《スピーチ・ソング》(1973)、《私たち人生の物語》CRI SD 348→YouTube
ヴォコーダーのテストみたいにも聞こえるのだけれども、後にもっとポピュラー音楽に使われたときのことを考えると、なんとも実験的だ。現代音楽モード、あるいはアカデミズムのはずだけど、やはり、どことなくユーモラス。曲を追って聴く時間があれば楽しめるのかも。(2004.9.13)
ロジャー・レイノルズ:《Ping》(1968)、《Traces》(1969) CRI SD 285
突然大きな音が出てびっくり (Ping)。(2004.9.13)
ジョージ・クラム:《歌、ドローン、そして死のリフレイン》ローレンス・ウェラー (バリトン)、ジョール・ソーメ指揮フィラデルフィア・コンポーザーズ・フォーラム Desto DC 7155
歌詞がわからないのだが、思わせぶりなコメントと、アンプリファイされた楽器の音が、大きな音のする打楽器と合っている。エレキが入っているが、ポピュラー音楽くさくない。(2004.9.13)
2025年1月31日金曜日
Happy Trails: Round-Up 2 (カンゼル/シンシナティ・ポップス・オーケストラ)
カンゼルのヒット・アルバム『Round Up』の続編ということか。第2弾の難しさは、選曲の選曲の難しさである。第1弾にベスト・ヒット を網羅すると、同じ曲の使えない第2弾は、どうしてもマニアックな選曲になるからだ。しかも「みんなが知っている曲」を収録することが何よりも売れ行きに大きく影響するだろうから…。
そんな中で、エンニオ・モリコーネの『続・夕陽のガンマン』やディミトリー・ティオムキンの『ジャイアンツ』『アラモ』などは、やっぱり「おっ」と思わせる。モリコーネはスパゲッティ・ウェスタン(日本的にはマカロニ・ウェスタン)だし、ティオムキンは「アメリカらしさ」を作り出している人がウクライナ生まれということも分かったり。
いまはSpotifyでも聴ける時代なのだから、ちょっと聴いてみてはと思う。 新たな発見をすることは間違いなさそうだし。 (2004.5.21.執筆、2025-01-31補筆)
2025年1月22日水曜日
「マイケル・ティルソン・トーマスの軌跡を記念BOXで振り返る」というレビューを書きました
【生誕80年】マイケル・ティルソン・トーマスの軌跡を記念BOXで振り返る(谷口昭弘) https://recogei.ontomo-mag.com/article/advance-review/p-10374
遅ればせながら『レコード芸術ONLINE』に、マイケル・ティルソン・トーマス (MTT) のCD Box3点をレビューしました。
MTTといえば、ロンドン交響楽団とのマーラーの交響曲第9番をサントリーホールで聴いた (1992年5月19日) のが個人的には思い出に残っています。圧倒的な演奏で、打ちのめされました。しかし当時の新聞批評には「酔えないマーラー」という見出しで否定的な評価がなされ、音楽評論家に不信感を持つようになりました。それで、評論文みたいなもの勢いでしたため、大学学部時代の先生に見せたりしました。残念ながらそのときに書いた文章が見当たらないのですが、演奏についてきちんと書いた文章としては、それが生まれて初めてのものだったかもしれません。
今回まとめてMTTの録音を聴いてみて、波長と合う指揮者であることを改めて実感しました。またMTTの演奏というと、アメリカ音楽ばかりを(自分の専門に近いということもあった)中心に聴いてきたので(マーラーは何枚かあったと思います)、お仕事とはいえ、彼の幅広いレパートリーを堪能できて、本当に良かったです。