2025年11月2日日曜日

The MTT Filesの感想: アメリカ音楽の回

The MTT Files (2025-11-02追記:リンクは切れてしまったようです) のアメリカ音楽の回のうち、第1回を聴きました。コープランドを核として、そこに至るまでのアメリカ音楽史を概観する内容です。アメリカ音楽の「開拓」は、どのように起こったのかを考えさせる内容です。

「アメリカ独自のクラシック音楽」なるものが、コープランドの1930年代以降の作品に起こったのだとすると (僕自身、コープランドをそこまで持ち上げるのは、ちょっとやりすぎだと思う) 、1920年代のヨーロッパに、アメリカ人作曲家がどのような影響を受け、自らの方向性を決めたのか、というのは、確かに論理的に大きいと帰結できるでしょう。しかもドイツではなくフランスである必要が、きっとあったのでしょう。チャドウィックはライプツィヒですが、コープランドはパリでブーランジェ。確かにそのパリがアメリカ音楽が独自な道を歩む起爆剤となったということには説得力があります (もっとコープランドは、アメリカ音楽を再発見しようとでかけた訳ではなかったと思いますが) 。

それと同時に、コープランド以前の、例えばチャドウィックの時代には、「独自」のものは考えられておらず、ただただヨーロッパのスタンダードをそのままそっくりアメリカで再現させることが期待されていました。それが「アメリカ的」といえば、音楽語法ではそうじゃないにせよ、「後進国らしい」と、あるいは言われるのかもしれません。

ただマクダウェルの、アメリカっぽくない作品を出して「アメリカ音楽じゃない」というのは、確かにそうなのですが、絵画の世界でも、アメリカの荒地を描写的に描いて、それを「アメリカ的」と感じていた時期はありました。ハインリッヒが《ナイアガラの滝》を主題とした管弦楽作品を書いていたころは (MTTが演奏したんだ! 音源欲しい!) 、絵画でもやはり同じ動きはでてきたのですね (Hudson-River Schoolとか) 。

MTTは、アンタイルに始まるモダニズムを、アメリカ音楽の転換点と考えているようです。ただ、《バレエ・メカニック》だけ急に持ち込まれると突飛な感じがします。

1930年代は、何かにつけて、アメリカ音楽のナショナリズムが追求された年代です。ガーシュイン、ハンソン、ウィリアム・グラント・スティル、ロイ・ハリス、ルイス・グリュンバーグ、マーク・ブリッツスタイン、ウィリアム・シューマン、ジェローム・モロスあたりも考えねばならないとは思います。ただコープランドが映画音楽を含めて、後のアメリカ音楽に大きな影響を及ぼし、なおかつ彼が、私の先生が言う「よいセールスマン」であったことは否定できません。MTTにとっても、コープランドは魅力的な人物だったようですね。

同じ西海岸でも、せいぜいピーター・シックリーくらいしか認めてくれません。ロイ・ハリスは、晩年、敵を多く作ったようです。ダン・ステーマンに言わせると、ハリスを悪く言うのは「申し訳ないけど、女性が多い」なのだそうですが、何か僕の知らない秘密がアメリカ音楽界にあるのかなあ。

僕のある友人が、レナード・バーンスタインをMTTが取り上げていないことを残念に思っていました。バーンスタインについては、僕も彼の本をいくつか読んで、作曲活動を追ってはいます。ただ音楽史の本では、最近まで触れられることはあまりなかった作曲家だったかもしれません (クラシックではなく、ミュージカルでは大きな扱いでしょうけれど) 。おそらく要するに、音楽様式的に「新しい」ということはないですし、何かを「開拓」したのかと言われると、議論が難しい作曲家であるとは思います。ジャズ/クラシックの融合であれば、すでにガーシュインがやってますし、《ミサ》における4チャンネル・テープの使用は戦後のアカデミズム派がリードしてきたことです。

近年、確かにバーンスタインの作曲活動に光が当たってきていることは確かですが、扱いにくい作曲家ではあると思います。彼とクラシック作曲界が、それほど離れているってことなんでしょうね。

以上、あまり深い考察はせずに、思いつくままに書いてみました。

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