NETテレビ「題名のない音楽会」より交声詩 般若心経 (実況録音テープ使用) 黛敏郎指揮交響楽団、高田好篤管長他一山の僧侶、ワーナーブラザーズ・パイオニア L-10001W (レコード)
『題名のない音楽会』の番組そのものという感じのA面である。番組の趣旨は般若心経を読むということで、高田好胤 薬師寺管長が登場し、「般若心経」の「精神」、エッセンスをまず解説する。この高田氏の説明が、いわゆる「お経」に何が書かれているかという、キリスト教の礼拝における説教的なもの、すなわち経文の読み解きというよりも、経文から得られる感覚的なもの、それからそこから連なる道徳的なものの解説になっており、僧侶の価値観なのか、あるいは本当にお経に書かれていることなのか、とても気になるところであった。おそらくお経の読み解きよりも、日々の性格における「行い」の背後にある通俗的な教えに重きを置いているように思われた。その辺りがキリスト教の「説教」と仏教の「説話」の違いなのかな、という気はする。ただ、この番組が収録された時点から、家に神棚も仏壇も年配者もいない核家族化のなかで信仰心が喪失し、社会が荒廃している、知識だけをいくら高等教育機関で身に着けても「きちがいに刃物」(現在は放送禁止用語)でしかなく、「敬う心」が必要だということを述べておられた。キリスト教の場合は神への感謝とともに日常に派遣されるという発想だが、僧侶の教えでは、経文から得られる価値観を以下に日常の行いへと繋いでいくかということに重きを置いているようだった。
次に番組は、高田氏が師から教わったという、節をつけた般若心経を「即席」で披露し(会場も唱和)、次は普段の読経を一通り行ったのち、黛がオーケストラ伴奏を付けた読経を行うということであった。それが交声詩《般若心経》ということになるのだが、最後が D-dur になり、I-V-I-V I-V-I-Vとティンパニーが連打、「ダダダン」と終わるので、ディズニー映画ですか?という感じではある。ただそこに至るまでは、意外と苦心して不協和音を付けているという印象を受けた。とはいえ基本的にロマンティックな路線。「作品」そのものは大したことないけれど、番組の企画そのものは野心的だ。
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