2024年3月27日水曜日

ウォールデン弦楽四重奏団によるアイヴズの弦楽四重奏曲第2番 (Period Records)

Ives, Charles. String Quartet No. 2. Walden String Quartet. Period SPLP 501. 
収録作品=チャールズ・アイヴズ:弦楽四重奏曲第2番
演奏=ウォールデン弦楽四重奏団
録音=1946年、ニューヨーク州イタカ、コーネル大学


最近個人のコレクションからお譲りいただいたアメリカの室内楽曲のレコードで、おそらく最も珍しく貴重な1枚。1955年に書かれたハロルド・C・ショーンバーグ著『LPレコード・ガイド:室内楽・器楽曲編』 (Schonberg, Harold C. The Guide to Long-Playing Records: Chamber & Solo Instrument Music. New York: Alfred A. Knopf) には「すでに廃盤となっているが、万が一みつけたときのために心に留めておく価値はある」と記されている。DiscogsによるとLP発売は1956年となっているが、このショーンバーグの記述から、そのデータが誤りである可能性がある。シンクレアの作品目録によると、この演奏は1946年に録音され、1947年頃に SP組レコード 775 として発売されたとある。そうすると、1940年代終わり頃から50年代前半まで録音が出回っていたということになりそうだ。ちなみにリチャード・ワレンによるアイヴズのディスコグラフィーはLP発売を1950年としている。

ただ、ウォールデンSQによる Periodの音源自体は Spotifyでも聴ける (→ Spotify)。またレコードとしても、Folkwaysレーベルからリイシューが出された (Folkways FM- 3369、1967年)。ただオリジナルの盤を私は見たことがなかった。おそらくCDにはなっていないだろう (Smithsonian-FolkwaysがFolkways LP音源をカスタムCDにして売っている可能性はある)。A面に第1・第2楽章(楽章間に長い空白時間が!)、そしてB面に第3楽章という贅沢なカッティング。

一方、上記Spotifyの音源を聴いていただければ分かるように、この演奏は、もともと録音があまりよろしくない (僕が譲り受けたレコードは盤もかなり傷んでいて、特にB面は聴くのが大変だった。ジャケットもスプリットしている)。従って、もともとの演奏を想像力で補って聴く必要はある。

それでも、この演奏が(おそらく無自覚に)マッチョで多分にロマンティックであり、あまりモダンでクールな路線に傾いていないので、充実した響きになっているということなのであろう。マッチョということであれば、緩徐楽章であっても、ラッグルスに通ずる感覚があるのかもしれない。

アイヴズの弦楽四重奏曲第2番の初演は、1946年5月11日、イエール大学の学生によるアンサンブルによるものだった。ウォールデンSQの演奏は、記録として残っている2番目の演奏で、プロの演奏家としては初演だというのがシンクレアの目録にかかれている。1946年9月15日、ニューヨーク州サラトガ・スプリングスで、このウォールデンSQが演奏したのを聴いたルー・ハリソンは「この作品は...アメリカ室内楽の最高傑作だ...。この種の音楽は、50年か100年に1度しか起こらないもので、豊かな信仰と完成の感覚に満ちている」としている。アイヴズ自身も、この作品を「私がやったものの中で最高の一つ」と述べているそうだ。

レコードの方に戻ると、ライナーノーツはヘンリー・カウエルが書いており、執筆同時、アイヴズは70代であったことが分かる。ウルトラモダンの作曲家によって最初に「発見」されたアイヴズは、当初20世紀前衛音楽/実験音楽の中で受容されていたことが良く分かる内容である。

[2024-03-28追記] Smithsonian FolkwaysのカスタムCDに関してはこちらをごらんいただきたい。なおライナーノーツはこのページから無料でダウンロードできるが、執筆者はヘンリー・カウエルではなくサミュエル・チャーターズである。

2024年3月26日火曜日

名古屋フィルハーモニー交響楽団 東京特別公演

2024.3.25 (月) 19:00東京オペラシティ コンサートホール
レスピーギ:交響詩《ローマの噴水》
レスピーギ:交響詩《ローマの松》
休憩
レスピーギ:交響詩《ローマの祭》

個人的には神奈フィルのイメージが強い川瀬賢太郎さんが昨年の4月に名フィル音楽監督に就任して最初の東京公演だそうです。これまで名フィルには何度かアメリカ音楽関連で楽曲解説やエッセイを書いておりまして、そのご縁も感じて行ってまいりました。「ローマ三部作」とあらば、やっぱり生で聴きたいですよね。CDを聴く時のリファレンス・ポイントとできるかな、と思いつつ。

《ローマの噴水》は、やはり三部作の中では描写的な要素が強く、オーケストラのきらびやかな音色が「映える」内容でした。落ち着いて、安心して味わえる演奏でした。「敬虔さ」ということでは、やっぱりこの曲なのかも。あまりカトリック的な要素はこの曲にはないのかもしれないけど。

《ローマの松》は、<アッピア>も含めて、僕なんかはどうしても(最近になって)ナショナリズムを感じてしますのですが、「松」そのものに何かを背負わせるのは難しいともいえますね。日本の能にしても、松は海にも山にも、季節を問わず存在する訳で、松そのものの描写というわけではありませんしね。バンダに関しては、トロンボーンがオルガンの左側、トランペットは下手側・上手側、客席中央に、ぞれぞれ。オルガンはオーケストラだけでは出せない重低音を継続して生み出すのに効果がありますね(《噴水》でもそうでしたが)。ナイチンゲールは、前後左右のサラウンドな感じ。そうそう<カタコンブ>の盛り上がりは、楽曲解説にもありますが「荘厳」でありました。

《ローマの祭り》は、古代の「野蛮」な競技のファンファーレ(バンダはオルガンの左右に2本ずつ)を経て(レスピーギにしては、かなり挑戦的な無調/調性ギリギリだったのかも)、からマンドリンの哀愁を経て、「エピファニー」の騒々しさ(これって一応クリスマスの最終日のはずだけど、イタリアのクリスマスのエンディングはこうなのかな?)。なかなか終わらないエンディングともいえるかと思うのですが、テンポや次のセクションへの入り方も工夫し、緊張感が保たれ、心臓のバクバクも止まりませんでした。あと、タヴォレッタを実演で見られて良かったかも。

音響の飽和状態も含めて、興奮の公演でございました。

この公演をもって引退されるというコンサート・マスターの日比浩一氏が紹介され、アンコールとして、マスカーニの《カヴァレリア・ルスティカーナ》の間奏曲が演奏されました。当たり前ながら「オペラの国・イタリア」を思い出しましたし、弦楽器の美しい歌が、得も知れぬ余韻となりました。





「ローマ三部作」で「お腹いっぱい」 (川瀬さん談) になり「魅惑の夜」(アンコール) を過ごし、初台から横浜へ帰りました。行きは相鉄→東横直通で、新宿三丁目まで乗換なしで来れるのはすごい。帰りも初台→新宿で、JR・相鉄直通線で帰りました。

2024年3月24日日曜日

アメリカの音楽:18〜19〜20世紀 (MIA-117)

The Society for the Preservation of the American Musical Heritage MIA 117.

BENJAMIN FRANKLIN (1706-1790)
Quartetto for Three Violins and Cello
PLAYED BY
MEMBERS OF THE ROYAL PHILHARMONIC (LONDON)

SIDNEY LANIER (1842-1881)
Wind Song (Flute solo), Blackbirds (Flute and Piano)
Danse des Moucherons (Flute and Piano)
PLAYED BY
SEBASTIAN CARATELLI, Flutist and RAYMOND VIOLA, Pianist

CHARLES T. GRIFFES (1884-1920)
Two Sketches for String Quartet Based on Indian Themes
PLAYED BY
THE DELME STRING QUARTET (LONDON)

収録作品=ベンジャミン・フランクリン:3挺のヴァイオリンとチェロのための四重奏曲、チャールズ・T・グリフィス:《弦楽四重奏のための2つのスケッチ》(インディアンの主題にもとづく)、シドニー・ラニアー:《風の歌》、《からす》、《ブヨの踊り》
演奏=ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団メンバー (フランクリン作品)、デルメ弦楽四重奏団 (ロンドン) (グリフィス作品)、セバスチャン・カラテッリ (フルート)、レイモンド・ヴィオラ (ピアノ) (ラニアー作品)


最近個人所有のコレクションからアメリカ音楽関連の音源を譲り受けた。CRIのレコードも多く、そちらはSpotifyなんかで簡単に聴けるしライナーもNew World Recordsのサイトから簡単にダウンロードできる。しかし中には入手が難しいものもあり、これもその1枚といえる。Music in Americaのシリーズは一般発売されておらず、もっぱら図書館に納入されていたアメリカ音楽のシリーズだ。アメリカ音楽遺産保存協会というのだろうか、カール・クリューガー (アメリカ国会図書館サイトの情報によると、彼は「アメリカ人指揮者」だそうだ) が創設し、運営したということになっているらしい。クリューガーが指揮した音源については、Bridge レコードがいくらかCD化している。ただ、CD化されていない音源も多い。

このレコードの場合は、シドニー・ラニアーのフルート作品が、珍しい音源といえそうで、ベンジャミン・フランクリン(開放弦の響きが面白い曲)とグリフィス作品については、コホン弦楽四重奏団による Vox Box レーベルの録音がいまでは入手できる (→Amazon)。

作品として聴いて面白いのは、そうは言ってもグリフィスの《弦楽四重奏のための2つのスケッチ》(インディアンの主題にもとづく) だろう。いわゆる「インディアニスト」の流れの作品で、マクダウェルの《インディアン組曲》と比べると、若干第2曲に下行音型に先住民音楽特徴があるとはいえるが、第1楽章の、神秘的でメランコリックな特徴はマクダウェルと共通したところがある。ただ、おそらくより悲哀のこもった響きがするあたり、コロニアリズムから脱したいという欲求が聴けるのか、どうか(難しいかなあ)といったところだろうか。

ラニアー作品は、米国産無伴奏フルートのレパートリーとして《風の歌》が貴重なのかな、という感じがする。残りの2作品は、学生なんかが取り上げるコンサート小品としては面白いのかもしれない。

“Certified organic.” Performance Today - March 18, 2024

NPRのラジオ番組『Performance Today』で聴いたアメリカ音楽作品のメモ。

Ernest Bloch: At Sea Lara Downes, piano. Album: America Again (Dorian 92207)
ブロッホがフィラデルフィア滞在時に書いた作品なんだそうだ。美しい。

Harry T. Burleigh: From the Southland: Movements 1, 2, 5, 6. Lara Downes, piano. Brevard Music Center, Parker Concert Hall, Brevard, NC.
バーレイっていうと、黒人霊歌のアレンジで有名だけれど、途中に《誰も知らない私の悩み》が登場してびっくりした。1910年の作品。

Margi Griebling-Haigh: Rhapsody for Violin and Piano. Peter Otto, violin; Randall Fusco, piano. Cleveland Composers Guild, Drinko Recital Hall, Cleveland State University, Cleveland, OH
マーギー・グリーブリング=ヘイっていうのは初めて聞く作曲家だ。番組ホストのフレッド・チャイルドによると、彼女は奨学金を得て大学で作曲を学んだのだけれど「アカデミックな作曲」に興味が持てず、最終的にはオーボエ演奏で学位を得た人だそうだ。ただ作曲自体はプライベートな関心として続け、娘の誕生を機に書いたのが、このヴァイオリン・ソナタだそう。「アカデミック」というのは、この場合、やはり「無調」「セリエル」ということなのか、とてもロマンティックなヴァイオリンの小品だ。

Florence Price: Passacaglia & Fugue. Alan Morrison, organ. Spivey Hall, Clayton State University, Morrow, GA
プライスって、ニューイングランド音楽院で作曲と同時にオルガンも習っていたのですね。シカゴ、1930年に虐待のため離婚し、シングル・マザーになった彼女はサイレント映画やラジオのためにオルガンも演奏したことのこと。1927年のこのオルガン作品は、タイトルからしてバッハ色が濃厚。

2024年3月23日土曜日

日本テレビ系列『世界一受けたい授業』最終回「ディズニー音楽の秘密を徹底解説!」の授業

 『世界一受けたい授業』の最終回、ディズニーの授業 (→公式サイト) では、私が書いた本『ディズニー・ミュージック』の内容をうまく番組情報として使っていただいたように思います。また、事前に打ち合わせした時にお話したことも内容に反映されておりました。以下、こういう内容が番組にあったなあという点を列挙してみます。

・民族楽器の使用(ダラブッカ、笛子、スティールパン)

・ディズニー独自色を出すためのクラシックの使用

・『ピノキオ』におけるライトモティーフ(登場人物ごとの旋律など)の使用

・『アラジン』に短く挿入された《星に願いを》

・《朝の風景》のCメロの使用(これは谷口出演の回でも紹介されました)

・『白雪姫』のスコアに書き込まれた「指示」(これも谷口出演の回でも紹介されました)

・『オリバー』におけるビリー・ジョエルの起用

・『バンビ』における「人間の動機」(実はハラミちゃんが言及されていた「雨の音」もあるんです)

・バンビが立ち上がる時のミッキーマウジング

・『ピーター・パン』におけるチャイム音の工夫

・『シンデレラ』から始まった、外部のシンガー・ソングライター起用

その他、知識としては知っていましたが、私がお話していない内容としては、EDMバージョンのディズニー・ソングなどもありますね。

そのほか目黒先生の授業で勉強になった点ですが、例えば「いろんな国の言葉で吹き替えをする時、『キャラクターの口の動きにその国の言葉を合わせる』というルールがあるというのは、実は私は授業のコメントとして学生からそれっぽい内容をいただいたことがあったのですが、ディズニーのプロダクションに関わっておられる方からお話を伺えて本当によかったです。また「キャラクターアニメーションに呼吸の動きを取り入れ、リアルな歌唱シーンを作るという工夫がされている」というのは、気が付かなかった点で、勉強になりました。

今回は収録日・放送日まで時間がなかったと思うのですが、その中で、この1時間枠を作られたのは大変だったと思います。制作関係者のみなさま、お疲れ様でした。また、<協力>として、谷口の名前と所属先をクレジットしていただきました。ありがとうございます。



2024年3月20日水曜日

映画『アメリカン・グラフィティ』

一応お勉強のために拝見。『ALWAYS三丁目の夕日』ですか?というのが最初の印象。それほど美化された1950年代という感じが最後まで残った。まあ、最後に文字で説明される情報で、それが…とも言えなくもないのだろうけど、それって『風立ちぬ』的なところなんかねえ。若い時にこれ観てアメリカに憧れるってことがなくて良かったかも。1973年だから、余計にベトナム前/公民権運動前の「オールディーズ世界」っていうことになるのかな。いやもちろん、この映画が大好きっていう人がいてもいいし、肯定的に観るひとを否定するつもりはない。

しかしこれ、ジョージ・ルーカス監督なのね。しかも、やっぱりあれ、ハリソン・フォードかぁ。『スター・ウォーズ』の時ほど顔に彫りがないように思えた。

2024年3月19日火曜日

ジェイコブ・ドラックマン作品のレコード

ジェイコブ・ドラックマン:《アニマスIII Animus III》(1968)、《シナプス→バレンタイン Synapse —> Valentine》(1969) アルヴィン・ブレーム (コントラバス) Nonesuch 71253 (レコード)

2部分からなる作品。まず後半の<バレンタイン>はコントラバスのためのヴィルトゥオーゾ・ピースといえるのだろう。動物的な感覚を感じさせる、直感的にも楽しめる作品。共鳴体を叩いたり、声を出すなど、通常のコントラバスの演奏法を稀にしか使わない作品ともいえる。これは県立音楽堂でライヴを聴いた作品だね。第1部<シナプス>は電子音のみによる。《バレンタイン》につながる意味を持たせているようだけれど、電子音の方にどのくらい減衰音があったのかどうか。ドラックマンが、その後ネオロマンに転向しなかったら、どうだったのかなあ?

2024年3月18日月曜日

映画『イージー・ライダー』

 冒頭のお気楽なイメージから…そう来たかあ。映画音楽史的には、既存のポピュラー名曲を使った(しかもテンプトラックについていたものも多い)作品として、その後「ヒット・ソングをただ使えばいい」的な安易路線へと映画音楽界を堕落させた先駆的な存在、のように語られるのかもしれないけど、いやはや、映画そのものは、特に後半、エスタブリッシュメントと信仰に触れる部分からは、けっこうエグいものがあるねえ。映像のスタイルも、なんというか、フランス的なところからかなり影響を受けているというか。これが1969年の作というところもすごいね。「暴力」とはなにか、という問いを突きつけてくるね。当時の衝撃作であったことは容易に想像できる。


僕は映画を観る時は、できるだけ作品に関する情報を入れないようにしている。サントラのライナーを冒頭だけ読んで、そのテーマを知ってしまって、ちょっと後悔はしているが、とはいえ、さすがにエンディングを予測するのは難しいかも。物語のそれまでのペースを考えても。


そうそう、挿入歌は基本的に移動シーンのモンタージュの背景に流れるという感じだけれど、実は移動先のエピソードになると、背景音楽が全然ないというのも、アメリカ映画としては珍しいかもしれない。ニューオーリンズ以降のシーンになると、ようやく背景音楽…というか、特殊映像と音楽との組み合わせがすごいね。

その他のキーワード=カトリック (少数派、JFK) 。使徒信条・主の祈り。

2024年3月16日土曜日

フィル・ニブロック『バオバブ』

Phill Niblock "Baobab" 
Quatuor Bozzini qb CQB 1924

「ハードコア・ドローン」と呼ばれるジャンルがあるらしい。どうやら反復ではない、音を長く引き伸ばす系の、ラ・モンテ・ヤング流のミニマル・ミュージックを継承するもので、リラックスして聴くことは困難な音楽のことのように思われた。

アルバムに収録されているのは《Disseminate》(1988)と《Baobab》(2011) の2曲。どちらも22〜23分のトラックである。通して流し聴きした感じ、ドローンの洪水の中に浸らされている感覚を覚える。しかし曲の原理原則は、とても繊細に考えられていることを思わされるという作品なんだろう。

ライナーによると、どちらの作品も、ボッゾーニ弦楽四重奏団のメンバーが20のトラックを使ったというマルチ録音で、5つの弦楽四重奏団に相当する20の楽器が演奏されているとのこと。

微分音が使われていて、聴きながら、おそらく倍音の操作なども、しっかりと耳と巧みな演奏技術で調整しながら進めていく作品なのだろう。そういった背後にあるものを考えれば、確かにしっかりと音に対峙しないといけない二作品であるとは思う。とは言っても、楽譜に向かい合う演奏者ではないリスナーは、あまり細やかな音の変化を追うことはできないのも事実だ。だから、どこまで「真剣」に「真摯」に向かうのか、その度合を慮るのも難しい。

最終的には各自で好きなように聴けばいい、ということになるとは思うが、かといって、リスナーの思いのままに、ということでもないだろう。その塩梅を常に思考しつつ向き合うことが、おそらく大切なのだ。

パワフルな作品である。

なお、演奏しているQuatuor Bozziniは「1999年にカナダで誕生した弦楽四重奏グループ」で、「ジョン・ケージやジェームズ・テニー、トム・ジョンソンなど巨匠勢の作品を100曲以上演奏」しているとのこと (→Art into Lifeさんのサイトから)

2024年3月15日金曜日

フェリス女学院大学音楽学部 卒業記念発表会 (2024年3月14日)

フェリス女学院大学の山手キャンパスにある、フェリスホールにて、音楽学部の卒業記念発表会を行いました。

最初に卒業研究論文や映像作品などのプレゼンテーションがあり、その後、いわゆる「卒業演奏」をする学生という順番でした。
フェリスホール舞台のプロジェクター

同窓会Fグループからは、素晴らしいお花をいただきました。ありがとうございます。

会場外には、卒業プロジェクトのパネル展示やPCによる映像作品・作成プログラム等の紹介もありました。

2024年3月11日月曜日

映画『サンセット大通り』(音楽=フランツ・ワックスマン)

 映画界の「忘れられたスター」の悲哀、ということなのだろうけど、最初にエンディングを見せるなど、プロットそのものよりも、execution の見事さに感動させられる作品というべきか。ロマンティックでメランコリックなスコアが全編に流れる。一方で、一昔前の音楽としてタンゴが登場し、それが幕切れにとても効果的に使われていつのは、映画の音楽の使い方を熟知している人たちの作品だなあと思った。

2024年3月10日日曜日

クリストファー・ラウス:The Surma Ritornelli (1983)

American Masters for the 21st Century. Society for New Music. Innova.
Spotify

11人の音楽家のための作品。ラウスの音楽はロックに影響されているなんて言われているようだけれども、これはストラヴィンスキーの《春の祭典》とかヴァレーズ辺りの音楽を思い出させる作風かも。

2024年3月9日土曜日

映画『GIANT』(1956、音楽=ディミトリ・ティオムキン)

カウボーイ・ソングをはじめとした、アメリカ民謡が随所に散りばめられた音楽。ロシア生まれのティオムキンは、映画音楽の世界で「アメリカン・サウンド」を聴かせ続けた作曲家なのだろう。 映画のほうはとても長い作品なので、実は全て通しで観てはいないのだが、一組の男女をもとにして、時代の移り変わりを映し出したものと理解した。基本的には『風と共に去りぬ』路線の叙事詩的な作品だと思うのだが、舞台がジョージア州ではなくて、テキサス州などが大きな違いということだろうか。それと時代がより現代に近いので、いわゆるラティーノ差別の問題など、後半には時代を映し出す展開も待っている。そのほかには、牧畜から石油産業への転換なども興味深い点である。ジェームズ・ディーン最後の出演映画と言うことも知った。いろいろ探ってみると、やはり後半の展開のディーンの立ち振る舞いがとても不自然だと言う指摘があった。確かにそうなのだが、この映画の筋書き上、それはやむを得ないのかもしれない。音楽的にも、ディーン役には特別に、常につきまとうテーマ音楽が流れているところもなかなか興味深かった。ディーンは主人公では無いのだろうが、彼の特異なキャラクターがとても生き生きとしていると言う感じもした。ただそれ故に、彼が亡くならなかったとして、彼がどれだけ多くの映画に出演できだのだろう、ということも感じた。特異なキャラに固定されてしまうが故の問題というか。デ・ニーロなんかもそうなんだろうけど。

2024年3月3日日曜日

映画『嵐の青春』(1942、音楽=エーリッヒ・コルンゴルト)

エロール・フリンの路線とは一味違うコルンゴルトのスコア。原題はKing’s Rowなのだが、コルンゴルトは当初、これを町の名前だと思ってなかったらしく、どこかの王国の話だと思ったらしい。登場する旋律がジョン・ウィリアムズの『スター・ウォーズ』に似ているという人もいるのだとか。言われてみれば、そうかもしれない。 しかし、この映画にロナルド・レーガンが出ているのは気が付かなかった。あとで写真を見て、「あ〜なるほど〜」と思った次第。しかし話としては、サディズムの医師という設定らしいのだが、うーむ、この映画が上映されたときは、ホットなトピックだったんだろうか。

【期間限定配信】YOKOSUKAで楽しむ女子旅 【制作:横国フェリス放送研究会のみなさん】

2024年3月2日土曜日

NETテレビ「題名のない音楽会」より交声詩 般若心経

 NETテレビ「題名のない音楽会」より交声詩 般若心経 (実況録音テープ使用) 黛敏郎指揮交響楽団、高田好篤管長他一山の僧侶、ワーナーブラザーズ・パイオニア L-10001W (レコード)

『題名のない音楽会』の番組そのものという感じのA面である。番組の趣旨は般若心経を読むということで、高田好胤 薬師寺管長が登場し、「般若心経」の「精神」、エッセンスをまず解説する。この高田氏の説明が、いわゆる「お経」に何が書かれているかという、キリスト教の礼拝における説教的なもの、すなわち経文の読み解きというよりも、経文から得られる感覚的なもの、それからそこから連なる道徳的なものの解説になっており、僧侶の価値観なのか、あるいは本当にお経に書かれていることなのか、とても気になるところであった。おそらくお経の読み解きよりも、日々の性格における「行い」の背後にある通俗的な教えに重きを置いているように思われた。その辺りがキリスト教の「説教」と仏教の「説話」の違いなのかな、という気はする。ただ、この番組が収録された時点から、家に神棚も仏壇も年配者もいない核家族化のなかで信仰心が喪失し、社会が荒廃している、知識だけをいくら高等教育機関で身に着けても「きちがいに刃物」(現在は放送禁止用語)でしかなく、「敬う心」が必要だということを述べておられた。キリスト教の場合は神への感謝とともに日常に派遣されるという発想だが、僧侶の教えでは、経文から得られる価値観を以下に日常の行いへと繋いでいくかということに重きを置いているようだった。

次に番組は、高田氏が師から教わったという、節をつけた般若心経を「即席」で披露し(会場も唱和)、次は普段の読経を一通り行ったのち、黛がオーケストラ伴奏を付けた読経を行うということであった。それが交声詩《般若心経》ということになるのだが、最後が D-dur になり、I-V-I-V I-V-I-Vとティンパニーが連打、「ダダダン」と終わるので、ディズニー映画ですか?という感じではある。ただそこに至るまでは、意外と苦心して不協和音を付けているという印象を受けた。とはいえ基本的にロマンティックな路線。「作品」そのものは大したことないけれど、番組の企画そのものは野心的だ。

これからの“学び” フェリス女学院大学 【泉区】2023年12月22日放送【特集 ピックアップ アーカイブ】

2024年3月1日金曜日

Nancy van de Vate (b. 1930) - Chernobyl (1987)

いまさらながら、この《チェルノブイリ》という管弦楽曲で名前を知ったナンシーなナンシー・ファン・デ・ヴェートが亡くなっていたのを知りました。昨年の7月29日、92歳だったそうです。アメリカの作曲家だそうですが、晩年の38年はウイーンに住んでいたのですね。