2009年1月4日日曜日

古い「音楽史レコード」を聴いてみる+α

リュク=オリヴィエ・ウディア編、『ピアノの歴史』 日本コロムビア OL 3165 (LP) (c) 61・7

フランス語のナレーションによる、ラジオ・ドキュメンタリーの、お勉強になったはずの1枚。ワンダ・ランドフスカのチェンバロ、アルド・チッコリーニのピアノ・フォルテが聴ける。ランドフスカのチェンバロは、いわゆるピリオド演奏の初期であり、その剛直な音が、すでに「歴史的」なものになりつつある。その一方でピアノ・フォルテの方は、それほど「歴史的」に聴こえないのが面白い。モーツァルトが使ってたクラヴィコード、ショパンが愛用したピアノ・フォルテなど、アプローチがよりピリオド的ということなのだろう。なお原題はTrois Claviers Célèbres au la Très Belle Histoire du Piano。こんなレコードが、日本でも発売されていたのですね。

ただ、よく聴くと、最近のピアノ・フォルテの演奏にあるような、独特のアゴーギクというか、ニュアンスは、やっぱり追求されてないんじゃないかという気がした。

また、進行役のアナウンスの内容が、実にモダニズムを反映していて、現代のピアノへの進歩史観を貫いている。ピリオド楽器の演奏の後「不完全な楽器である」「ベートーヴェンには物足りなかった」といったコメントがあるからだ。

いや、もちろん、作曲家が曲を書いていた頃の楽器が「完璧」だというつもりはない。そもそも「完璧」なんてあり得ないのだし、なにが「より良い」「より精巧」などというのが相対的であったり、人によって違うのだし、解釈によって、いくらでも変わるだろう。「ピリオド派」の演奏だって、historically-informed performance なんて言われる通りで、演奏の質 (学問的な議論に馴染まない言葉!) を保証するものではないということだと思う。

俵孝太郎『新・気軽にCDを楽しもう』コスモの本

意外と図書館にはないようなので、買ってしまった。第1弾の方は本屋で立ち読みして、面白いと思ってたんだけど、いつの間にか入手困難になりつつあるので、マーケットプレイスで安く購入。読めればいいので、背表紙やが焼けててもいいや。

左翼のせいで信時潔の《海道東征》が聴かれない、なんてことが書いてあるけれど、これは今では普通に聴けるようになった (僕は、かなり昔に『題名のない音楽会』で部分的に放送されたのを録画している) 。おそらくかつては、いわゆる保守層でさえ、戦前の社会を知る人が多く、当時の文化には触れてほしくないというのがあったんではないかと思うのだが、どうなのだろう。

僕個人としては、「歴史を繰り返さない」ためにも、戦中文化は知っておいてよいと思うのだが、「国粋主義よもう一度」ならば、お断りだ。

Roy Harris, Symphony No. 11; Morton Gould, Cowboy Rhapsody; Cecil Effinger, Little Symphony No. 1; Douglas Moore, Symphony No. 2 in A Major. Sinfonia Varsovia; Ian Hobson, conductor. Albany. 

ハリスの10番以降の交響曲が、ようやくCDになって聴けるようになるのだろうか。とても楽しみ。グールドの "Cowboy Rhapsody" も、自演 (Columbia LP) 以来の新録音。

・Miracles of Sant'iago: Music from the Codex Calixtinus. Anonymous 4. HMF 907156.

AMSのregional meetingの1日目、夜のコンサートで教会に行ったことがある。僕の母校のルネサンスの先生が合唱団をやってて、ちょうど、こういう感じの残響で、ポリフォニックな作品を聴いた。ああ、本当にこういう音響空間があるのだと、当たり前のことに驚いたことを思い出した。

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