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1995年の《プロヴァーヴ》は、清らかなソプラノのカノンが冒頭から印象的。ボーイ・ソプラノが歌うと、一段と敬虔な感じが醸し出されるのではないだろうか。その後は、柔らかなオルガヌム(中世の宗教ポリフォニー)の印象。ライヒがペロタンに興味を持っていたことを思い出した (著作集を除いたら、実際にインスピレーションにしていたということのよう)。ただマリンバが入るとやっぱりライヒ、ということになるのかもしれない。ということで、その後はビート (パルスとは言い難い) の中に挿入される「変拍子」 であり、様々な具体音が美的オブジェと言うよりは、音に付随する。文化的文脈を伴って、器楽演奏に織り込まれていく。
《ナゴヤ・マリンバ》(1994) は初期の響きに類似するところはあるが、最小限主義ではなく、印象的ドラマ・ 表現に手段の1つとして使われている。「初期ライヒ風」音楽とでも言うべきか。あるいは開き直ったポピュラー音楽なのだろうか。
《シティ・ライヒ》(1995) は、かつて苦労して取り込んでいた日常音を抽象的なオブジェとして音楽作品にした「ミュージック・コンクレート」が、いまやサンプリングに手軽にできるようになった…ということのようだが、むしろタイトルからして、音のオブジェというよりは、その音がもともと持っている文化的文脈をそのまま(主に使用されているコードによって醸し出される)「ライヒ風」音楽に混ぜているということになるのかもしれない。第3部は1980年代のカール・ストーンみたいだ。(2004.9.7執筆、2025-08-03追記)
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