2005年3月30日水曜日

引き続きアニメのサントラなど

バルト(OST)  米MCA Soundtracks MCAD-11388

1995年本国封切りの映画。同年には『トイ・ストーリー』があったせいか、ほとんど注目を浴びなかったアニメ長編。スピルバーグのアンブリメーション最後の作品か。ジェームズ・ホーナーの最後のアニメ・スコアでもある。個人的にはホーナーのアニメ・サントラのベスト。テーマ主題がうまく使われている。クリスマス・シーズンに上映されたことが分かる鈴の音も聞こえてくる(『美女と野獣』にも鈴の音がある)。

映画についてはリアルタイムで体験していないが、DVDで観た感じは、なかなか良く出来ているのではないだろうか。放映当時は「ジフテリアに苦しむアラスカの子供たちのためにワクチンをソリで運んだ際にバルトという犬がリーダーとして活躍したという実話にもとづく映画」というのが売りだったようだ。しかし1000キロともいう道のほとんどを進んだのはトゴという犬でバルトの担当は最後の少しだけだったっとか、ハスキー犬と狼の混血はむしろ歓迎されることが多いなど、本当のバルトと違うところは多いようだ。ディズニーの『ポカホンタス』も随分史実と違うということで批判があったけれど、そもそもアニメという子供向けエンターテイメントにそういった批判をすることがどれだけ作品理解に役立つのかという疑問はある。

おそらくこの『バルト』という映画はそういった「実話」云々よりも、自分らしさについて発見する物語として観た方がずっと面白いのだろう。バルトがジフテリアのワクチンを運んで戻ってきた場面よりも、白狼に出会ってどうなったかの方がずっとドラマ的には重点が置かれるべきではないかと思うのだ。音楽もこの場面、もっとも効果的に使われているように思う。

『アイアン・ジャイアント』(OST) 米Varese Sarabande 302 066 062 2

大音量のスコアに驚く。映画の方はディアローグに合わせて音量が絞られていたのかもしれない。サントラ・ファンの間では、作品を貫くテーマに欠けることが指摘されている。

2005年3月25日金曜日

妙なところが気になる

ハワード・ハンソンの第2交響曲、シュワルツ盤を聴いていた。冒頭のファゴットのピッチがえらく気になる。「間違いではないのか」とさえ思ったため、自演盤と比較(手元にスコアがなかったので)。どうやら一応楽譜通りの音であろうことは分かった。しかしやはり収まりが悪い。おそらくファゴットのピッチがやや高めなのと、他の楽器が小さすぎるからなのだと思う。この冒頭の和音を構成する音としては、ファゴットパートというのは、どちらかと言えば色付け的な役目をしているのだろうから、バランスに気をつけないといけないのだろうと思う。しかしまあ、キワドイ和音を使っていること。指揮者で優れたオーケストレーターだったハンソンならではの楽器法と和声なんだろう。

昨晩は第5交響曲の自演盤LP。ハンソンは5番までをマーキュリーに録音したけれど、私の持っている5番の自演はモノラル盤である。カップリングはバーバーの第1交響曲。

2005年3月20日日曜日

アニメーション映画(+サントラ)いろいろ

アイアン・ジャイアント(1999)

ロボットものアニメはお家芸と考えていた日本のアニメーターたちに衝撃を与えたアメリカのロボット映画と聞く。もちろんクライマックスは日本の初期アニメの時代から知られたおなじみのもの。音楽はマイケル・ケーメンである。地道にアンダースコアの王道を行っているように思う。なにしろ最初に通して観た時は、まったく音楽に注意を払わなかったから。ディズニーと違うのはその辺りだろう。そしてこれは一つの有効なやり方だと思う。

手塚治虫 実験アニメーション作品集

風刺漫画の色合いも見られるような作品が多い。なるほど、こういうものを作っていたのか。個人的にはやはり『ジャンピング』と『おんぼろフィルム』が一番好きだ。後者は音楽のスタイルがサイレント時代を彷佛とさせるもの…と思われるが、正確なことはもう少し勉強の必要があるかもしれない。冨田勲編曲による『展覧会の絵』は、その作られた時代、扱う主題を感じさせる興味深いものだった。まだ観ていない作品も多くある。

リトルフット(オリジナル・サウンドトラック) 米MCA Records MCAD-6266

スティーヴン・スピルバーグとドン・ブルースによる子ども向け恐竜アニメ映画のサウンドトラック。音楽はジェームズ・ホーナー。映画そのものはナレーターとエピソーディックな会話で進むストレートな叙事詩的なもので、そのスローな展開がやや辛かったことは認めねばならない。ただアニメーションの画的な魅力はあると思う。スピルバーグがスリリングな場面を随分カットしたそうで、確かにソフトな感じがする。しかし子ども向けアニメとしては比較的成功し、それなりの収益も上がったのだとか。この辺のアニメをディズニーと混同すると「ディズニーは子どもっぽいだけのアニメ」という誤解を生むのだろうか???

サントラCDを映像から離して聴いて驚いたのは、その音楽の面白さ。「こんなにゴージャスな音楽が流れていたのか?」と思うくらい。しかし映画そのものが観られないと音楽も聴かれなくなってしまうのがサントラの運命なのかもしれない。

ダイアナ・ロスのエンディング曲も、安易な「ヒット狙い」のポップ・バージョンではなく、スコアのテーマを上手く散りばめたもので、好感を持った。

05.3.21. 追記

『リトルフット』の音楽を書いたジェームズ・ホーナーは、他人の作品をうまく仕立てて映画音楽にするということらしく、かなり争論絶えない人のようだ。『バルト』はそうでもないようだが『リトルフット』の場合は、確かにプロコフィエフを引用したような箇所がある(コープランドとプロコフィエフはよく使われる作曲家のようだ)。

ところで『バルト』のそりが崖に落ちそうになる場面の音楽が『ムーラン』と馬とシャン隊長が崖から落ちそうになって助けられるシーンの音楽に似ていることは否めない。『バルト』のつららの落下場面と『ムーラン』雪崩も速めの6/8拍子が共通(つららの落ちる場面の音楽は良い緊張感が出ている。サントラに収録されていないのが残念)。いや「真似している」というのではなく、同じような場面(あ、後発の『ムーラン』におけるこれらの場面はディズニーの仕業か!)には良く似たような音楽がつくものだと実感…。

2005年3月8日火曜日

サイト更新 オリジナル作品のMP3ファイル

MIDIのページに載せた恥かき専用 (^_^;; の自作品から、《明日》Op. 7と《譚詩曲》Op. 12のMP3ファイルを作りました。音質は良くないですが、ご参考までに。アメリカ時代にシンセのLine Outからアナログ出力したものをMDに録音ものがもとになっています。

ちゃんとしたシンセ音源でも買ったら、またMIDI創作も始めたいと思いますが、しばらくは時間もなさそうなので、すいません。

AACファイルでも良かったのですが、互換性を考えてMP3の方を選びました。

2005年3月6日日曜日

長・短調の入り乱れ

掲示板で『宇宙戦艦ヤマト』の話題が出てきたので、ついでに、前から考えていたことを記しておく。

『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌は、長調と短調をうまく揺れ動く名曲だと思う。イントロはBbのペダルトーン(Ebのドミナント)に乗せて、いかにもEbへと勇ましくつながっていくように始まる(ホルンとトロンボーンのカノンは、より明確にEbを暗示)。ところがストリングス中心に下降形の動機が現れるとサブドミナントを経由して、Cmのドミナントへとつながって行く(電子音のグリッサンドが効果的)。もちろん歌はCmがベース。

しかし歌の部分も、さらば(Cm)/地球よ(F)/(中略)/ヤ(Bb)/マ(Gm)/ト(C)と、微妙にメジャー・コードとマイナー・コードを織りまぜている。そしてさらに女声スキャットもEとEbをミステリアスに動いてCとCmを上手く誘導している(最後のヤ(Ab)/マ(Bb)/ト(C)は明確にメジャーなので、そのフィニッシュの後に聞こえてくるスキャットが更に効果的に聴こえる)。最後も「ダダッダダ」は単音のCなので、メジャー/マイナーの別を超えている(あれ、何かコードになってましたっけ?)

#あるいは、旋律的にはドリアンを基礎にしてマイナーと混ぜたということなのでしょうか? さらにコードを付けたというか。

勇壮に進むヤマトと、誰も踏み入れたことのない宇宙の未知の空間の神秘といった雰囲気がうまく表現されていると思う。

2005年3月5日土曜日

夜明け後の世界は?

近づく喝采 -富山市芸術文化ホール- (富山市広報番組『富山市民のひろば』、北日本放送、 29分) 富山市立図書館所蔵のビデオテープ VT771/3

建設中のオーバード・ホールを見学しながら、ホールの概要と芸術監督性の意義などをアピールした広報番組。歴史資料として興味深い。

富山の友人に新しいホールができると聞いて、「どういうホールなの?」と尋ねると、ほぼ条件反射的にでてきた言葉が「三面半」だった。演劇やオペラには詳しくない私は、それがどういったものか分からなかった。いや、現在も分かっていないのかもしれない。このビデオをみて、どういった演出が可能であるか、はじめて説明をされたような気がした。幕によってセットを全く違ったものにする時、それがいかに効率良くできるか、またその効率の良さのおかげで、演出に制限を感ずることなくのびのびとプロダクションが組めるというのが強みなのだろう。

おそらくこのホールができた時は、その可能性に酔いしれていた、あるいは「何だか分からないが、すごいものができるらしい」という感覚だったのかもしれない。市立図書館にはオーバード・ホール関連だけで3つのビデオがあるのだが(いずれも富山市の広報番組)、これらを観ると私も夢を見るような不思議な感覚を覚える。オペラ劇場? 芸術によるまちづくり? すごい。ただただすごい。「最高」という言葉は何度発せられただろう。

さて、夢から覚めた夜明けの世界はどうだったのだろうか。それは現在までどのようにつながってきたのだろうか? 

バーンスタインのR. シューマン

ロベルト・シューマン 交響曲第2番 レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団 Deutsche Grammophon 477 0002

シューマンの第2交響曲というと、バーンスタインによるPMFのリハーサル風景をNHKで放送していたのが忘れられない。最初から呼吸が合ってないとオーケストラがバラバラになってしまうと言いながら、何度も演奏をやり直していたのを思い出す。

そして、この番組で演奏されていた曲目として気になっていたシューマンの第2交響曲を晩年のウイーン・フィルと録音したCDで入手。ところが、どうもイマ一つこの番組に感じた熱っぽさが聴こえてこない。

ボストンのラジオ局(おそらくWHRB)でもシューマンの第2交響曲を放送する機会があった。モノラルの録音だったが、第1楽章からして、ものすごい熱気。「そうそう、これなのだ。私がイメージしていたものは」という演奏だった。

しかしこの録音はCDになっておらず、ボストン大学の寮から歩いて15分のところにあったニューベリーSt. のタワー・レコードでSonyのロイヤル・エディションのステレオ録音を入手。悪くはない。でもやっぱりあのラジオの演奏ほどのものはない。

マレーシア製のソニーのラジカセで録音したエアチェックテープを大事にしながら、この録音がいつかCDにならないかと思っていた。するとレコード雑誌の広告で、DGのOriginal MastersのセットCDとして米デッカの録音が収録されていると知った。さっそく購入。やっぱりバーンスタインのシューマン2番は、これが一番面白い。第2楽章の最後の壊れ方もさすが。

『Leonard Bernstein: The 1953 American Decca Recordings』と名付けられたこのBox、シューマン以外のCDも楽しみだ。

ところでバーンスタインがシューマンのオーケストレーションについて語っているのは嬉しい。実は私も「シューマンはオーケストレーションが下手だ」という批判は、どうしてもピンとこなかったからだ。これは一体だれが言い出したのか、とても興味がある。私の場合はNHKの番組(おそらく『リクエストアワー』)の解説であったと思う(「ドヴォルザークやチャイコフスキーは一度卒業したら戻ってこない、母親のようなもの」というM氏の偏見 (?) もラジオから聞いた)。