2025年2月28日金曜日

セッションズ:弦楽四重奏曲第1番 (1936)

 セッションズ:弦楽四重奏曲第1番 (1936)  アマド弦楽四重奏団 Apex 1243 (LP)



セッションズ作品はモデラート、アダージョ・モルト、ヴィヴァーチェ・モルトの3楽章からなる。12音技法を用いているらしい。エリザベス・スプレーグ・クーリッジ夫人によって委嘱され、1937年4月にワシントンDCのクーリッジ弦楽四重奏団によって初演された。

セッションズの作品は時折ちゃんと旋律が耳に入ってくるのが「分かりやすい」と思われるのかもしれない。ただ何度か聴かないと、響き全体の中にそういう旋律が埋没してカオスな無調音楽をみなされてしまう可能性はありそうだ。これより古い録音としては、プロ・アルテ弦楽四重奏団のもの (→Spotify) がある。

このApex盤の演奏をしているアマド(アマドー?)弦楽四重奏団については幸松肇氏の『世界の弦楽四重奏団とそのレコード』が、このレコードのライナーをもとに紹介をしておられるように、1970年に結成されたアンサンブルで、メンバー全員が女性である。

併録のウィリアム・フラビジオという作曲家について、詳しくは知らない。ぱっとネット上の情報を探してみるとフランク・シナトラやダイアナ・ロスやペギー・リーやカウント・ベーシーやレイ・チャールズなどと親交があったというのがあったが、全然そんな感じはしない。作品が「ロジャー・セッションズへのオマージュ」だろうか。

レフラー:《異教徒の詩》(ストコフスキー指揮ヒューストン交響楽団)

Charles Martin Leoffler, A Pagan Poem, Op. 14. Houston Symphony Orchestra; Leopold Stokowski, conductor. EMI Classics 7243 5 67569 2 2

私が持っているのはオルフの《カルミナ・ブラーナ》とのカップリングされたCD。スクリャービンの《法悦の詩》やグラズノフの《ライモンダ》とカップリングされたCDもあるっぽい。

自称アルザス地方のミュルーズで生まれ・実はベルリン近郊のシェーネベルク生まれとされるレフラーというと、グリフィスとともに「アメリカの印象派」的な扱いを受けているように思うのだけれど、この作品にも、タイトルからも分かるように、異国趣味的な要素はあるように思う。ただ、室内楽的に楽器を制限するような、取り澄まされた感性というよりは、19世紀ロマン主義的なスケールも保持していて、結局それが、のちのハリウッドにつながっていくサウンドなのかな、と思わされた。ストコフスキー指揮で、ぐいぐいと聴かせてくる。隠れた名曲と思わせるだけの説得力はある。

ライナーノートによると、この《詩》は、ヴァージルの『エクローグ』第8章が元になっていて、テッサリアの少女が恋人に捨てられ、妖術を使って彼を取り戻そうとする物語だという。楽譜が手元にないので確認できないのだが、トランペットが舞台袖で演奏する設定になっているらしい。ただこのCD音源では中央から、ものすごく遠い位置から聴こえてきる。これは「物語の魔術的な要素を表現」しているのだとか。最後の方は、けっこう大きな音で懸命に吹いているっぽいが、録音で無理に抑えられているように聞こえる。生演奏だと、もうすこし自然に聞こえるのかもしれない。 (2025-02-28)

Ephemera. Pepper Adams Quartet. 

ジャズはシロートで、しかもバリサクのレコードって本当に知らない。このアルバムはCDになってなくて、僕は某所で聴くことができた。以前どこかでお金を出してデジタル化された音源をダウンロードしたこともあったのだが、スクラッチ・ノイズや針づまり?の音で歪んでいて(しかもクリーニングすれば取れたのでは?というレベル)、がっかりした記憶がある(→こちらのブログでも指摘されている)。B1のJitterbug Waltzを、3拍子の曲の例として、かなり前に富山大学の教養の授業で聴かせたことがあった。

2025年2月15日土曜日

アルバム『弦楽四重奏のメロディー』 (アメリカン・アート四重奏団)

String Quartet Melodies. American Art Quartet RCA Victor (Bluerbird Classics) LBC-1086 (Mono, LP)



幸松肇氏の『世界の弦楽四重奏団とそのレコード』第1巻 アメリカ編によれば、アメリカン・アート四重奏団は第二次世界大戦中の、1940年代のSP期からLP期にかけて、「アメリカの黎明期」に結成されたアンサンブルだそうだ。西海岸を中心に活躍した実力派といったところなのか、「西海岸=ハリウッド=メロメロ路線」ということではなく、ヴィルトゥオーゾ的な感覚が一方に、上品なリリシズムが一方にというところか。録音の古さゆえに、低音がもっと欲しいところもあるが、聴きき慣れると何とかなるような気がする。

このアルバムの音源自体は、ソロ演奏家としても活躍した第1ヴァイオリン奏者にちなんだ『アート・オヴ・ユーディス・シャピロ』 (→タワーレコード、 →Spotify) というBiddulphのコレクションに今は収録されている(シャピロについては青弓社のサイトを参照→第14回 ユーディス・シャピロ (Eudice Shapiro、1914-2007、アメリカ))。ただし、オリジナル・アルバムでは、このCDの4トラック目 (メンデルスゾーン:スケルツォ - 弦楽四重奏曲 第4番 ホ短調より)と5トラック目 (チャイコフスキー:《アンダンテ・カンタービレ》) は曲順が入れ替わっている。

2025年2月13日木曜日

マイケル・コルグラス:《コンサート・マスターズ Concertmasters》(秋山和慶指揮アメリカ交響楽団)

Robert Rudié, Red Violin; Masako Yanagita, Yellow Violin; Ronald Oakland, Blue Violin American Symphony Orchestra; Kazuyoshi Akiyama, Conductor. Turnabout TV 34704 (LP)

Spotify

先日秋山和慶さんがご逝去されたということで、あまり知られていない秋山さんの録音として、これを取りだしてみました。

マイケル・コルグラスはイリノイ大学卒業後、ウォーリングフォード・リーガーとダリウス・ミヨーに師事。生前は打楽器奏者・指揮者としても活躍し、しばしばアメリカ国内のアンサンブルにゲスト・アーティストとして出演していました。

3つのソロ・ヴァイオリンのための《コンサート・マスターズ》はデトロイト交響楽団が初演した作品で、このレコードでは、1962年、当時80歳だったレオポルド・ストコフスキーによって創設されたアメリカ交響楽団の3人の首席団員(ロバート・ルディエ、マサコ・ヤナギダ、ロナルド・オークランド)が独奏をつとめています。3人は1977年4月17日のカーネギー・ホールでの、初演に続く2度目の公開演奏でも独奏をしているそうです(オーケストラもこのレコードで演奏をしているアメリカ交響楽団です)。

レコードのライナーノートによると、この曲は「ロマンティックな印象主義的、ポスト・ウェーベルン的な作品」で、「作曲者のヴィヴァルディへの憧れと、セリエル技法への憧れが結びついた結果」「18世紀、ロマン派、印象派、ポスト・ヴェーベルンなど、従来の技法と不協和音の技法」を融合しているのだとか。そして「軽やかで叙情的なムードを生み出し」、様々な音楽様式を統合しているとあります。

ただ個人的には、あまりウェーベルンという感じはしていないように思いました。フレージングはとても古典的ですし(ヴィヴァルディの影響だから、ネオ・バロックということになるのかな?)、アメリカの真面目な無調音楽という感じがしました。

ところで、独奏者については、通常の「第1、第2、第3ヴァイオリン」という用語をコルグラスは意識的に避けており、赤、黄、青という色を用いています。その理由について、作曲者自身の言葉をライナーノートから引用します。

ソリストの名前をどうするかというくすぐったい問題が出てきた。ヴィヴァルディは自分自身と生徒のために書いていたので、I、Il、IlIと指定することができたが、誰が名ヴァイオリニストに2番、いや3番を弾けと言うだろうか?そこで解決策として、ソリストに赤、黄、青(指揮者に近い赤)の名前をつけることにした。これで、好きな色をめぐって論争が起こることだろう!作曲家の苦悩は終わらない。

2025年2月11日火曜日

ボストン・ポップス・ポピュラー・コンサート (フィードラー/ボストン・ポップス)

 『ボストン・ポップス・ポピュラー・コンサート』フィードラー指揮ボストン・ポップス・オーケストラ ドイツ・グラモフォン (ユニバーサル・ミュージック)  UCCG-9358

1970年〜73年の録音。バート・バカックの《雨にぬれても》 (1969年の映画)《サン・ホセへの道》 (1968年、ディヴォンヌ・ワーウィックが歌って大ヒット) の品の良いアレンジ(残念ながら編曲者の名前がCDには明記されてい ないが、元LP (ポリドール・レーベル) のジャケットを見てみたら、どうやらリチャード・ヘイマンらしい)。

内容はムード音楽より、ややハイブロウな感じ。聴いた感じではスタジオ録音ではなく、ボストン・シンフォニー・ホールの豊かな反響も入っているようではある(未確認)。そして音が立っていて、歯切れがよい。ジョン・ウィリアムズ時代にくらべると、やや細身かもしれないけれど。

ラグタイム・ナンバー、フォックストロット、デイキミーランド・ジャズ、録音された頃のヒット・チェーン… もちろん「本物」ではないかもしれないが、 これらをまとめてそれなりに楽しく味わうには良い。

演奏は、なかなかのハイ・テンション。でもフィードラーは 淡々と4拍子で振 ってそうなので、面白い。

クラシックを本業とするミュージシャンがポピュラー・チューンに挑戦しているといえるのだろうが、それがマイナスになっているようには思えない。

【トラック内容】
1. 雨にぬれても
2. 恋よさようなら
3. サン・ホセへの道
4. サウンド・オブ・サイレンス
5. 明日に架ける橋
6. イージー・ウィナーズ
7. シュガー・ケーン・ラグ
8. 12番街のラグ
9. ダークタウン・ストラッターズ・ボール
10. タイガー・ラグ
11. 昼も夜も
12. ミュージカル《ラ・マンチャの男》メドレー (ドゥルシネア / アルドンサ / マンブリーノの金の兜 / 彼のことしか考えず / 哀れな騎士 / いとしのドゥルシネアへ / 見果てぬ夢)
13. ミュージカル《ヘアー》メドレー( アクエリアス / ドナ / フランク・ミルズ / イニシャルス / エイント・ゴット・ノー / ヘアー / バレ・クリシュナ / エアー / グッド・モーニング・スターシャイン / レット・ザ・サンシャイン・イン) (2004.6.14記述、2025-02-11補筆)

2025年2月2日日曜日

ゴードン・ムンマ 電子音楽作品リスニング・メモ (2004.9.16)

Gordon Mumma "Live-Electronic Music" Zadik TZ7074

《ホーンパイプ (角笛) Hornpipe》(1967) ゴードン・ムンマ (狩猟ホルン、ホルン、サイバーソニックス) Track 3
アマゾン

ナイマンの著作によるとムンマのcybersonic devices使用の作品としてはHornpipe (1967) が最も有名なんだそうだ (Nyman, 101)。

例えばこの曲がフィードバックを使用しているということを知らなければ、ホルンや角笛といった太古、原始を思わせる響きと沈黙に思いを馳せながら、想像力を働かせて聴く行為になるのだろう。一方、一度コンソールの中に入り音楽が変化させられると、リード楽器のような音になる。ゾーンのClassical Strategiesを思い出す。明らかにヒスノイズが聞こえてくる箇所はテープなのか?

「演奏場所の中でのホルンの音の反響をモニターし、自らその反響を補足するように調整する。この調整作業の間、ある回路が不均衡になり、自分の均衡を保とうとする。そして、その過程で、さまざまな組み合わせが生じ、それが純粋に電子的な反応を引き起こす。」(ナイマン、195-196)

《Mesa メザ》 (1966)デヴィッド・テュードア(バンドネオン)、ゴードン・ムンマ(サイバーソニックス)Track 2

冒頭からバンドネオンの音など全く思い起こすことのない、歪んだ電子音的な響き。《ホーンパイプ》と違うのは、長い音が引き伸ばされること。サイバーソニックスに、どれだけ「結果としての音」をコントロールする能力があるのか、という疑問を持った。ナイマンの『実験音楽』によるると、単なる増幅装置ではなく、gate-controlled circuit とコンサート・ホールの音響によって左右される (Nyman, 102) というし。ムンマのシステムを知る必要が出てくるだろう。 (2004.9.16執筆)

スーザ・マーチ集 (ジョニー・グリーン指揮ハリウッド・ボウル・ポップス管弦楽団)

スーザ・マーチ集 (星条旗よ永遠なれ、ワシントン・ポスト・マーチ、サンダラー・マーチ、エル・キャピタン・マーチ) ジョニー・グリーン指揮ハリウッド・ボウル・ポップス管弦楽団 テイチク (Decca) DEP-58


Discogsのデータはアメリカ盤(6曲入り10インチ33 1/3回転盤だ!)。私が持っているのはテイチク発売の国内盤 (45回転EP盤)。これをなぜ買ったのかと言うと、おそらく演奏がハリウッド・ボウルの名が付いたオーケストラによるものだったからだろう。ポップス・オーケストラの資料として買ったのだ。ライナーには「今や、アメリカ楽壇に、嘖々(谷口注:さくさく)たる名声を馳せているジョニー・グリーンが、わが国でもFENを通して、お別染のハリウッド・ボウル・"ポップス" オーケストラ(Hollywood Bowl "Pops" Orchestra)を率いて、初めでデッカ・レコードにお目見得しました」と紹介されている。演奏は、まあ悪くはないのだけれど(弦楽器が入るのは許そう)、トリオ部分にいつもベルリラの音が入ってきて、それが個人的には耳障りというか…好みに合わないのである。米Deccaの録音も、ちょっと音が遠く、高音がシャリシャリな感じで、こちらも好みではないかもしれない(もしかするとオリジナルはSPと同時に発売されているような時代かも)。

というわけで、この音源は純粋に資料として保持している1枚なのだろう。懐かしくこの1枚を思い出される方には申し訳ないのだが…。