2010年3月5日金曜日

クセナキスから、開かれた耳へ?

 今では数多くのディスクで親しめるクセナキス作品ではあるが、おそらくCD2枚組に収められた音源がLPで発売されたときは、現代音楽界に大きな影響を与えたのではないだろうか。
 クセナキス作品を聴く上で、いわゆる「クラシック」の音感覚が邪魔になることは間違いないのではないか。音群を語っているということ自体、一定時間に空間に放たれる音高と、複数であればそれらの組み合わせの「美しさ」に感覚をとぎすます
 コントロールの行き届いた《アトレ》グリッサンドや、突然のクラリネットのロングトーンが、一つの境目となり、次のセクションに入ったような気になる。
 シモノヴィッチは初演者。トランペットやトロンボーンのぶりっとした鳴り方、弦楽器のトレモロ、音色によって、かなり性格が変わるし、楽器のアタックというのも交錯している。
 クラリネットのロングトーンが一つの節目になっているのは確か。ロングトーンがこれ以降増えている。打楽器が入ってこない。性的な展開、音色がものをいうように。トロンボーンのフラッターが印象的。それで沈黙。
 音を重ねるようになってくる? グラデーション的な変化。少しずつエネルギーを増し、グリッサンドも戻ってくる。がっちりとした音の構築を感じさせる作品であり、アーティキュレーションも、発音も明瞭だ。

2曲目は1曲目とちがって、静寂やなめらかさが際だっている。このなめらかさに、聴きいってしまうところがある。

《ヘルマ》…高橋悠治の噛みつき襲いかかる感覚にどうしてもぐいと引かれてしまう。

《ポラ・ティ》…は他の作品に比べ、ドラマ的要素に富んでいる。打楽器の打ち込むようなリズムと、淡々と同音で歌う少年合唱が、突き放したような、それだからこそ持つ、冷めたような、それでいて力強い訴えを持っている。

クセナキスによって開発された統計学的なプログラムをつかって作られたIBM7090による計算を、ここで録音しているシモノヴィチによって1962年に行われたパリ・IBMインスタレーションでリアライズされた。

統計学・数学は、もちろんクセナキスの作品理解の一助になるのだろうけれど、とりあえず虚心に耳を傾けて、音の蠢きを体感せねば、それらも無意味であろう。彼がギリシャで過ごした経験が、少なからずとも自叙伝として彼の音響に反映していることは、おそらく間違いないのだから。

 クセナキスの評価は、おそらくこのCDに収録された音源がLPレコードで発売されたころとは、また違っているのかもしれない。
 クセナキス作品を聴く上で、いわゆる「クラシック」の音感覚が邪魔になることは間違いないのではないか。音群を語っているということ自体、一定時間に空間に放たれる音高と、複数であればそれらの組み合わせの「美しさ」に感覚をとぎすます行為は、与えられた美意識に身を預けてしまうことにもなりかねず、作品をもって新しい美意識を覚醒しうる可能性を、自ら閉じてしまうことになりはしないだろうか。
 もちろん僕自身の中に、19世紀までに培われた音の「美しさ」なるものを肯定する気持ちはあるが、それはそのまま、新しい聴き方・新しい表現を否定することにもなるまい。いずれにせよ、耳を開くことは、「映画音楽のような」と揶揄される、クラシック愛好家に受ける作品に対しても行われるべきではないかという主張も、これまた当てはまる。
 となると、ジョン・ケージが嫌いなベートーヴェンやミューザックも、好き嫌いはともかく、存在を否定することはできなくなってしまうのだろうか。

2009年11月18日水曜日

執筆活動報告

音楽現代12月号に「リゲティ/《アヴァンチュール》〜20世紀の音楽が理論的だという偏見から解放してくれた記念碑的作品」を書きました。

なお、内容はリゲティの考察文ではありません。「私の愛聴する20世紀の名曲たち (交響曲を除く) 」という特集の中で、私が10曲を選んで書いたものです。タイトルは、編集の方が原稿を拝見され、その内容のハイライトとして考えられたということでしょう。

このほか、オーケストラ・アンサンブル金沢の第266回定期公演 (2009年9月6日、石川県立音楽堂コンサート・ホール)、267回定期公演 (9月18日) の演奏評も書いております。

よろしくお願いいたします。

2009年11月2日月曜日

初めての大阪

学会の方の記述がいい加減になってますが、ここはさっき書いたため。やっぱり、帰ってすぐに書かないと忘れちゃいますね。いちいち書類出して書くのも面倒だし (^^;; まあ個人的な日記ということで、ご容赦いただくことにして…。

10月24・25日 (土・日) と、大阪大学で開催された、日本音楽学会全国大会に出席。土曜は朝に始まるため、前泊。大阪入りは23日、金曜日の午後ということになった。

昼過ぎの富山発のサンダーバードに乗車。とりあえず宿泊先の東急インに入り、電話で連絡と取って、マイミク j さんと会うことに。jさんはまだ大阪に越されてから日が経ってない上、こちらも大阪は初めてということで、なかなかお目にかかるまでも一波乱。こういう時に携帯電話がなかったら、今回お会いするチャンスもなかったかもしれないと思うと、つくづく文明の利器はありがたい。

初めは梅田駅周辺で夕食を、ということも考えたけれど、お互い要領を得ないところがあり、私の希望から、なんばのタワーレコードに案内いただくことになった。サントラ・セクションで、最近ユニバーサルから出たフランス映画サントラのカタログをいただき、そのままクラシックのセクションへ。正直、渋谷・新宿のタワーに比べると若干寂しい感じだったけど、ホグウッドの《メサイア》を買って来た。いま読んでるアメリカの教科書にサッチモの《Heebie Jeebies》とホグウッド盤の《Rejoice Greatly》を聴いて、スキャットとダ・カーポ・アリアの装飾とを比較する、なんてことが書いてあったからだ。

タワーを出てから、難波の地下街を歩きながら、食べる所を探す。結局、私が最初に「ここ、いいかも」と、テキトーに言ったベトナム料理店に入ってもらうことに。2,000円のコースメニューをいただく。生春巻きからフォー (だったかな?) まで、一通り食べられて、なかなか良かった。その間に、音楽の話題が全開となり、j さんのご専門である映画音楽 (E. Bernstein, Broughton, Goldsmith, Menken etc.)からアメリカ音楽 (Grofe, etc.) 、音楽評論家のUセンセ、片山杜秀さん、はたまたジャズまでと多岐にわたり (John F. Szwed, "Jazz 101" という概説本を紹介いただきました!)、楽しい一時を過ごしました。

さすがに現地で長く研究をされてきた j さんらしく、現場や生の資料に触れられている分野に関しては、おそらく日本でもトップクラスの話の中身だったでしょう。また、拙著をお買い上げいただいただけでなく、当方の署名までさせていただくことにもなり、冷や汗モノでございました。

学会発表は、とても意義深いものばかり。記憶に残ったのは、大正時代の通信教育による音楽講座について、オペラ・レコードとアメリカにおける西洋音楽受容、ポピュラー音楽をクラシック音楽の類似点ならびにポピュラー音楽の分析的研究の必要性の提起、音楽学と大学における音楽教育、世界の音楽学学位、米国の音楽分析の流れ etc. etc. 懇親会で毎回会話する人も少しずつ増えたし、何人か新しい人ともめぐり逢えました。刺激的な2日でございました。

それにしても芸大以外でも音楽学を学ぶ人が増えたんですねえ。こりゃあすごい。

阪大を後にして、梅田駅近くの地下道をうろうろして、イタ飯屋でパスタを食べた。あつあつでとても美味しいものだったけど、電車の時間との兼ね合いを考えてなかったため、いそいで食べた。シェフには申し訳ありませんでしたねえ。

2009年10月22日木曜日

執筆活動報告

レコード芸術』2009年11月号、「海外盤試聴記」において、以下を書きました。

「今月の話題盤:1960年代から70年代にかけて一世を風靡した現代音楽シリーズが復刻 アール・ブラウン/コンテンポラリー・サウンド・シリーズ-2」

Wergoがこういうのをやるとは思いませんでした。アメリカの大学にいた時は、図書館で、よく聴いていた名盤LPです。3枚まとめての復刻です。

2009年8月29日土曜日

7月に聴いたものの記録

Focus on P. J. B. E. Philip Jones Brass Ensemble. Argo ZRDL 1001 (LP).

これがなかなかCDにならなくて、中古LPも探していたのだけれど、偶然ヤフオクに出品されていたので迷わず購入。状態も非常によくて満足。もちろんお目当てはヤン・ケツィアーの《ブラス・シンフォニー》。別の演奏によるCDが出てるけど、どうもショボくてねえ。とはいえ、このLPのも、第1楽章は、ちょっと安全運転気味。PJBEが富山市公会堂でやったときは、もっとインパクトがあったような気がするんだけど、当時は中学生なので、記憶の中で美化されている可能性はある。 (2009年7月8日)

Folk Songs and Dances from the Lands of Doyna and Hora: Rumanian--Gypsy. Colosseum CRLP 192 (LP).

《日没の踊り》(A/4) の雰囲気が、ディニークの《ホラ・スタッカート》にすごく似てる。というか、こういう音楽にディニークが影響されたんでしょうね。改めて、ディニークがルーマニア生まれのヴァイオリニストだったことを確認。(2009年7月9日)

マーラー 交響曲第1番ニ短調《巨人》 リッカルド・ムーティ/フィラデルフィアO. ウイーン楽友協会 1984.5.19. 1984.11.26. エアチェック (カセットテープ)

海賊盤が出てるんだったら、そっちの方が音がいいだろうけど、白熱の演奏で良いです。ただ最後でティンパニーが落っこちてたりするのがご愛嬌。この前に収録されているファリャの《三角帽子》からの <粉屋の踊り> でもコール・アングレが 最後の G の刻みをコケている。僕はほかのちゃんとした録音を聴くまで、このコールアングレの最後の音はオクターブ上げるように楽譜に書いてるものだと思ってた。「GGGGGg」みたいに。コココココケッ。ライブって怖い…。 (2009年7月14日)

Shotakovich, The Symphonies. Gurzenich-Orchester Koln; Kitajenko. Capriccio.

キタエンコはOEKで2回聴いてて、とてもよい印象を持っているので、これも入手。とりあえず第3から聴いているけれど、やはりソ連のオケとの違いを改めて実感した次第。録音も素晴らしい。ケースとCD収入袋の作りが弱そうだったので、入れ直した。

Chopin, Piano Works. Leonskaja. MDG.

レオンスカヤ、好きなんですよ。先日オンライン・ラジオでスケルツォ第2番をエアチェックしたんですが、つながりが悪く、音が途切れてました。ライブだったので残念。でもこれで途切れてないのを聴くことができそうです。

Husker Du, New Day Rising. SST.

のっけから、とてもいい感じです。アメリカのFM放送でいうと、メインのポピュラー・ステーションじゃなくて、カレッジ・ステーションでかかってそうなっていうか。僕のフロリダ時代、Student Union 辺りでライブをやってたバンドのスタイルを思い出します。ライナーに歌詞が掲載されているのは、とても良心的。

長崎の月琴 日本フォノグラム PH-7521 (LP).

明清楽の貴重な録音と構えて聴いてみたんだけれど、なんだかお気楽な音楽。のちのポピュラー音楽への影響云々と言われているみたいだけど、まだちゃんと耳と頭がつながっていない。

小泉文夫の民族音楽 第8章 インドネシア I:バリ島の芸能 (ラジオたんぱ、カセットテープ)

小泉文夫の解説は、しゃべりがとてもうまいんだけど、その音楽観や文化観が、どうしても一世代前という感じがしてしまう。あと、社会と音楽の結びつきに関する考察が、かなり表面的なような気がする。もっとも文化人類学とかバリ島社会については門外漢なので、何とも突っ込みのしようがないのも事実であったり。やはり住民として住んでみないと分からないこともあるだろうなあ。皆川厚一さんの『ガムラン武者修行』が好きだったりする。皆川さんの本の内容、特にインドネシアの音楽教授法については、僕の論文の審査をしてくれた先生の一人、Michael B. Bakan がCollege Music Symposiumに書いてるのと近いものがある。とにかくjumping-inする、ひたすらやってみるっていう。聴くと同時に体が反応するという部分がそうだ。 (以上2009年7月19日)

イタリアの民族音楽 I アルバトロス (キング)

なんでイタリアというとカンツォーネだけなのっていう素朴な疑問が出てきますよねえ。サルタレッロやらタランテッラっていうのは、もちろんクラシックでも大作曲家が作ってたりするんですが、民族楽器で演奏したものって、こうなんだっていうのがあります。もっとも、この音源がクラシックに影響を及ぼした「オリジナル」なのかどうかは、歴史的な変化を考えれば、難しいんでしょうけどね。

希望音楽会〜20人の楽聖とその音楽 (下) リストからチャイコフスキーまで  ヴォックス (ビクター) VOX 5593 (LP)

いわゆるクラシックの名曲集ということになるんですが、リストのハンガリー狂詩曲第2番をハンガリア民族アンサンブルが演奏したものが興味深い。もちろん原曲はピアノなのだけれど、民族楽器で演奏すると、独特の荒っぽさがでるもんだ。チボール・ゲーザ指揮西南ドイツ放送交響楽団とかやらによる《軽騎兵》序曲も、なーんだか独特のアゴーギクで、妙に田舎っぽくてイイ。エンディングでファンファーレを演奏する箇所、ショルティ/VPOと同じでテンポを落としている。(以上2009年7月26日)

(mixi日記から抜粋)