ポール・クレストンは自身の『レジェンド』についてこう述べている。「この作品に特定の伝説が結びついているわけではない。音楽そのものの最も力強い特性の一つ、すなわち物語を紡ぐ力に触発されたものだ。したがってこれは純粋に抽象的な楽曲であるが、ただし聴き手が容易に自らの物語を創造できるという修正を加えている」《賛美歌とフーガ風旋律第1番》について、その作曲者ヘンリー・カウエルはこう語る。「この作品は率直に言ってビリングスやウォーカーといった初期アメリカ様式の影響を受けて書かれている。しかし初期様式をそのまま模倣したわけでもなくこれらの初期巨匠からメロディを借用したわけでもない。むしろ自問したのは『もしこの優美で厳粛な初期様式がアメリカで発展していたらどうなったか』という問いだった」 古式旋法や開放和音など初期様式の特性を用いた《賛美歌とフーガ風旋律第1番》は、この古き様式を現代的に解釈した作品である。」《荒野の道》はエリー・ジーグマイスターによる雰囲気ある作品である。彼の数多くの作品にはシアター・ギルド制作『歌え、甘い大地よ』の音楽も含まれる。
2025年11月29日土曜日
現代吹奏楽フェスティバル (ピーター・トッド指揮リーズ・コンサート・バンド)
2025年11月28日金曜日
カーメン・ドラゴンは男でござる!
『レコード芸術』のバックナンバーを覗いていたら、「カーメン・ドラゴンは男でござる!」という見出しの記事がありました。これは福西潤氏による「世界レコード界の動き」という情報コーナー一角なのですが、おそらくファースト・ネームの Carmen から「カーメン・ドラゴンは男か?女か?」というのが「時々問題」になり、「現に某紙にも“女”指揮者となっていた」そうです。で、この記事にはドラゴンの写真が掲載され「御覧のごとく、ドラゴンは立派な男性である!」とのこと (笑)。
そういう時代もあったのですねえ、という記事でありました。(『レコード芸術』第5巻第7号、1956年7月、21ページ)
2025年11月22日土曜日
合唱曲集〜モンテヴェルディ、印象主義、後期ロマン派 (シェーンハウゼン合唱団、ニーダーライン室内合唱団)
Chormusik: Monteverdi, Impressionismus, Spätromantik. Aulos FSM 43 525 AU (レコード)
1. モンテヴェルディ:優しく愛しい口付けよ
2. 同:私を死なせて
3. 同:愛する女の墓に流す恋人の涙
ヘルムート・カールへーファー指揮シェーンハウゼン合唱団
1. ラヴェル:神よ!あの人を見目麗しく創造し給うたお方よ
2. 同:ニコレット
3. ジャック・シャイエ:楽園の木
4. エルネスト・ペッピング:私にとって一年で最上の時期は
5. コダーイ:セーケイの悲しみ
6. 同:夕べ
ハンス・ヨーゼフ・ロート指揮ニーダーライン室内合唱団
これはおそらく、大学学部時代に上京した際、石丸電気で購入したレコードです。購入時期がある程度はっきりしているのは、モンテヴェルディのマドリガル《私を死なせて》が収録されているからこれを購入したというのが分かるからです(合唱団や他の曲については全く知識がなかったのでした…)。
モンテヴェルディの《私を死なせて》は大学に入るまで全く知らなかったのですが、曲に出会ったのは、私が大学学部時代に所属していた新大室内合唱団 カンマーコールで歌ったのがきっかけです。そして「カンマー」の指揮者で私の声楽の師匠であった箕輪久夫先生が持ってこられた曲、という訳です。購入当時は、もっぱら《私を…》しか聴いていなかったと思いますが、デジタル化を期に、ほかの曲も聴いてみて、モンテヴェルディもさることながら、B面の近代曲にも面白さを感じることになりました。作風も多様で、軽妙な曲が揃っています。ラヴェルの《ニコレット》なんて響きが楽しいですね。
演奏者の情報については、以下、ライナーに記された情報を自動翻訳を使って日本語訳してみたものになります。
1957年にクレーフェルトで設立されたェーンハウゼン合唱団は、60人の男女、そのほとんどが音楽教師、学生、教育者で構成されています。国内外での大規模なコンサートツアーや、数多くのラジオ録音を通じて、この合唱団は名声を確立しています。西ドイツを代表する室内合唱団のひとつです。15 世紀から現代までの宗教音楽および世俗音楽のア・カペラ楽曲、そしてヘンデル、バッハ、ハイドン、ブラームス、フォーレのオラトリオもレパートリーに含まれています。
ニーダーライン室内合唱団は、1960年に、ハンス・ヨーゼフ・ロト指揮のもと、デュルケン市立成人教育センターの共同作業グループとして設立されました。この合唱団は、特定の分野に特化しているわけではありません。難度の高い古楽および現代合唱曲を取り上げています。その幅広いレパートリーの中から、「構造よりも音楽性に重きを置いた」合唱曲を選曲しています。
2025年11月2日日曜日
The MTT Filesの感想: アメリカ音楽の回
「アメリカ独自のクラシック音楽」なるものが、コープランドの1930年代以降の作品に起こったのだとすると (僕自身、コープランドをそこまで持ち上げるのは、ちょっとやりすぎだと思う) 、1920年代のヨーロッパに、アメリカ人作曲家がどのような影響を受け、自らの方向性を決めたのか、というのは、確かに論理的に大きいと帰結できるでしょう。しかもドイツではなくフランスである必要が、きっとあったのでしょう。チャドウィックはライプツィヒですが、コープランドはパリでブーランジェ。確かにそのパリがアメリカ音楽が独自な道を歩む起爆剤となったということには説得力があります (もっとコープランドは、アメリカ音楽を再発見しようとでかけた訳ではなかったと思いますが) 。
それと同時に、コープランド以前の、例えばチャドウィックの時代には、「独自」のものは考えられておらず、ただただヨーロッパのスタンダードをそのままそっくりアメリカで再現させることが期待されていました。それが「アメリカ的」といえば、音楽語法ではそうじゃないにせよ、「後進国らしい」と、あるいは言われるのかもしれません。
ただマクダウェルの、アメリカっぽくない作品を出して「アメリカ音楽じゃない」というのは、確かにそうなのですが、絵画の世界でも、アメリカの荒地を描写的に描いて、それを「アメリカ的」と感じていた時期はありました。ハインリッヒが《ナイアガラの滝》を主題とした管弦楽作品を書いていたころは (MTTが演奏したんだ! 音源欲しい!) 、絵画でもやはり同じ動きはでてきたのですね (Hudson-River Schoolとか) 。
MTTは、アンタイルに始まるモダニズムを、アメリカ音楽の転換点と考えているようです。ただ、《バレエ・メカニック》だけ急に持ち込まれると突飛な感じがします。
1930年代は、何かにつけて、アメリカ音楽のナショナリズムが追求された年代です。ガーシュイン、ハンソン、ウィリアム・グラント・スティル、ロイ・ハリス、ルイス・グリュンバーグ、マーク・ブリッツスタイン、ウィリアム・シューマン、ジェローム・モロスあたりも考えねばならないとは思います。ただコープランドが映画音楽を含めて、後のアメリカ音楽に大きな影響を及ぼし、なおかつ彼が、私の先生が言う「よいセールスマン」であったことは否定できません。MTTにとっても、コープランドは魅力的な人物だったようですね。
同じ西海岸でも、せいぜいピーター・シックリーくらいしか認めてくれません。ロイ・ハリスは、晩年、敵を多く作ったようです。ダン・ステーマンに言わせると、ハリスを悪く言うのは「申し訳ないけど、女性が多い」なのだそうですが、何か僕の知らない秘密がアメリカ音楽界にあるのかなあ。
僕のある友人が、レナード・バーンスタインをMTTが取り上げていないことを残念に思っていました。バーンスタインについては、僕も彼の本をいくつか読んで、作曲活動を追ってはいます。ただ音楽史の本では、最近まで触れられることはあまりなかった作曲家だったかもしれません (クラシックではなく、ミュージカルでは大きな扱いでしょうけれど) 。おそらく要するに、音楽様式的に「新しい」ということはないですし、何かを「開拓」したのかと言われると、議論が難しい作曲家であるとは思います。ジャズ/クラシックの融合であれば、すでにガーシュインがやってますし、《ミサ》における4チャンネル・テープの使用は戦後のアカデミズム派がリードしてきたことです。
近年、確かにバーンスタインの作曲活動に光が当たってきていることは確かですが、扱いにくい作曲家ではあると思います。彼とクラシック作曲界が、それほど離れているってことなんでしょうね。
以上、あまり深い考察はせずに、思いつくままに書いてみました。