現代アメリカ音楽講座の2005年1月分をアップロードしました。
2005年1月30日日曜日
2005年1月27日木曜日
音楽振興のためのアイディア:富山の場
とある方と富山の音楽の将来について考えていたときに思い付いたアイディアを箇条書きにしたことがあった。とりあえずここに披露しておく。
富山に音楽を専門とした高等教育機関が必要な理由
(1)地方の音楽についての研究調査
・民俗芸能(新しいものも含む)
チンドンについてはドイツの研究者がいる
・富山の西洋音楽史(演奏史・創作史)
・富山在住の外国人の音楽文化
(2)地域の音楽家ネットワーク作り
・どこで誰がどのような活動をやっているかを調べ、公表する。
・交流の場を与える(音楽祭?)
→ジャンル横断型の交流音楽祭(民謡+クラシック+スチールバンド???)
・富山に関心のある人でないと、やってくれない
(3)知識を持った大学の専門家が興行主と共同作業する
・富山大学の学生がプロデュースしたコンサートを市民プラザで行う etc.
・ホール運営を行っている人に大学に来てもらって構想を練る
(4)音楽を通しての外国との交流
・富山なりのユニークなもの。環日本海でみた音楽文化の交流
(5)アマチュア音楽活動の支援
・大学の先生によるマスタークラス、セミナーなど
とやまの音楽アーカイヴ
富山における音楽活動を記録・保存し、地元の研究を促進すると共に、資料はで
きるだけ公開し、広く県民に関心を持ってもらうことを目的とする。
(1)富山の作曲家に関する資料の菟集。
・文献、雑誌資料、新聞記事、映像・音源
・オンライン目録の制作
(2)富山の音楽活動に関する調査
・プログラム、映像・録音資料、企画書 etc.
・聞き取り調査(オーラル・ヒストリー)
・公会堂における演奏の記録、富大、桐朋 etc.
(3)民俗芸能、民謡の調査
・フィールド・ワーク、先行研究の調査
・富山県ひとづくり財団の活動を拡大する
(4)コンサート
・富山の作曲家の室内楽、歌曲、管弦楽曲etc.
・積極的に音楽家に演奏してもらう(楽譜貸出)。
演奏家が楽曲を研究するためのアーカイヴ
(1)東京文化会館?
(2)市立図書館の拡大?
「ここにくれば音楽の情報がある」というものを
2005年1月20日木曜日
アブ・アイワークス
The Hand behind the Mouse: The Ub Iwerks Story. Walt Disney Home Video 24196 (VHS).
ミッキー・マウスを最初にキャラクターとして描いたのはウォルト・ディズニーではなくアブ・アイワークスだということを本で読んで知ってはいたけれど、こういう風にドキュメンタリーにしてみると、実際のアニメ作品の断片も多く観られることもあって、非常にいきいきとした(=animated!)歴史として楽しむことができた。また彼が『メリー・ポピンズ』やヒッチコックの『鳥』の撮影技術革新に関わっていたことは、初めて知った。そのうち同名の書籍も取り寄せて読んでみたいものである。
このドキュメンタリーの後には『プレーン・クレージー』と『蒸気船ウィリー』が収録されている。ただ後者に関してはカットされた版であることをお知らせしておく(ドキュメンタリー本体でカットシーンを観ることができる。なおWalt Disney Treasuresでリリースされたものはノーカット版である)。
2005年1月17日月曜日
サウンドトラック
最近サウンドトラックと呼ばれるCDやLPを購入する機会が増えた。でもこの「サウンドトラック」というのは不思議な言葉だ。なぜなら買うCDの大半は映画の音楽を収録したもので、音そのものではないからだ。例えば効果音や対話だって音、つまり「サウンド」のはずだからだ。おそらく昔この言葉が生まれた時は映画からの音をそのまま落としたからだったのかもしれないけれど、やはりサントラに効果音がバシバシはいっていたり、おしゃべりがそのまま挿入されていると、「音楽に集中できない」という事態になるのかもしれない。
実際に対話が起こっている映像、効果音の発生する文脈が分かる映像をみれば、むしろ音楽「だけ」というのは不自然であろうし、むしろ特別な効果を狙っていると思われるだろう。しかし映像がないと、とたんに「音楽だけになってほしい」という欲求になるのはどうしてなのだろうか。
いわゆるスコア盤というCD・LPもあるけれど、あれもやはり、クリアに音楽だけ楽しみたい、映画制作時に制約のあった録音機材では掴み切れなかった音楽を聴きたいという欲求から作られるものなのだろうか。
しかし映像を見ながら演奏したOSTは、映画の映像を通して聴いた音楽を扱っているし、なぜか真に迫ってくるものがあるようにも思う。音質が悪いのも「オリジナルに近い」と思うこともある。
カートゥーンの音楽の場合、映像がないと、突然拍子やテンポが変わったり、奇妙な楽器法が使われているなど、かなり実験的なことをやっている場合が多い一方、いわゆる実験音楽のようなラディカルな方向性を向けないといったところがある。「昔からポストモダン的な音楽をやっていた」と評論家が言うのはちょっとこそばゆい感じがするけれど、確かにスタイル混合の面白さはあるように思う。
『ムーラン』の海賊盤サントラはジェリー・ゴールドスミスが作ったスコアが全て収録されているそうだが、一つ一つの曲はごく短く、アンダースコアとは何かを如実に感じさせてくれることになった。また場面場面でモティーフがきっちり入れ替わる辺り、映像を分かっていると面白い一方、そうでないと激しく変わる楽想にどういった意味付けがなされているのか分からないことが多い。
映画音楽=主題曲、挿入歌というイメージは依然強い。しかし私はこういったスコアの魅力というのを最近感ずるようになった。サウンドトラックというのは、本当はミュージック・トラック、スコア・トラックなのかもしれないな。