Gunter Wand: My Life, My Music. 米BMG Classics 82876-63888-9.
前半は彼の生涯を追うドキュメンタリー、後半はインタビューという構成。ボーナスCDも付いている。メインのDVDでは、何といってもインタビューが面白い。彼が若い頃、オペレッタでキャリアを築いていたことは知らなかったし、RCAでリリースされている彼の晩年の録音が、彼の幅広いレパートリーのほんの一部でしかないことが分かって面白かった。
もっと本質的なことでは、例えばスコアから得られるものがいかに大切かを説く場面が刺激的だ。彼によれば、時には文字どおり時間を忘れ研究に没頭することもあるという。
もちろん彼の「スコア研究」というのは、楽曲や和声を理論体系や特定の主張として文章化する「学術活動」ではないだろう。ただ、西洋クラシックの作曲家たちが立ち向かっていった五線譜(それがいかに不完全に情報を提示するとはいえ)というものに、つまり原点(これは作品の質や、音楽の存在をどこに置くかで変わってくるが、ここではそういった美学的な議論はおいておく)となるべきものに接するということだ。特にオーケストラが奏でるレパートリーならば、それが出発点となるはずだ。
しかし、スコアから立ち上がる音を知るには、ただ音符を眺めていても分からない部分が確かにある(楽譜を見て鳴り響く音を完全に想像できる人間というのはほとんどいないと言っていたのは芥川也寸志だっただろうか?)。彼はピアノを使っているが、そうはいっても、彼は生演奏に接した歴史(経験)を持っているはずだ(我々からみて「往年」の名指揮者についての発言が多くある)。生演奏の体験なくして、ただスコアを眺めていても、楽器の音色、音量などは分かりにくい。オーケストラからどのような音を引き出せるのかも分からない。ただどの楽器がどの声部を演奏しているのかということは、ピアノを叩くことによって見えてくることはある。和音の塊もつかみやすい。
一方で、自ら楽譜に接してみる、音を鳴らしてみることの大切さは誰しもが共感するだろう。DTMでスコアを打ち込む人も、その打ち込む作品の楽譜の詳細に触れることがしばしばあり、CDを漫然と聴くだけでは聞こえてこない(見えてこない)音符や音色や楽想を発見することがある。いみじくもヴァントがブルックナーの第8交響曲の第4楽章について、生演奏では指揮者の棒さばきをみて、いつ楽章が始まるか分かるかということを述べていた。そういった演奏の場のビジュアルな情報が作品理解の補助になる場合もある。しかし、原点となる楽譜を知ることで、生演奏による「聞こえている音、聞こえていない音」の違いが分かるようになることは、もっと重要ではないかと思う。
それにしても彼の音楽に対する真摯さには強く心を打たれた。私はヴァントの演奏をそれほど聴いている訳ではないが、彼の言葉に突き動かされたことは確かだ。亡くなってしまったのは極めて残念であるが、きっとそのような彼の真摯さがオーケストラ団員をもヴァントの妥協なきリハーサルへと駆り立てる要因となっているのではないかと思われた。
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