2009年2月21日土曜日

メモ (映画音楽)

映画『マグノリアの花たち』を観た。いかにもドルリューに合ってそうっていうのは変な言い方かなあ? 彼のやってるフランス映画って、ここまで芝居臭くないとはいえ、淡々と物事が進むものが多いから (これはフランス映画じゃないけど) 。『サルバドル』みたいなのは、むしろちょっと変わっているというべきか。ただ、キューの入れ方という点で驚かされたのは、ゴダールの『軽蔑』の方。同じモティーフが執拗に繰り返されるのだけれど、「えっ、そんな場面から音楽をスタートさせるの?」っていう箇所がいくつもあった。それが妙に合ってるような気にさせるのだから、とても不思議。あのスポッティングはどういう風に出てきたのだろう???

2009年2月19日木曜日

執筆活動報告

レコード芸術』2009年3月号に、4つのディスクをレビューしました

・コリリアーノ ヴァイオリンとピアノのための作品集 イダ・ビーラー (vn)、ニーナ・ティックマン (p) Naxos 8.559306 <録音=2006年10月>

・コリリアーノ ミスター・タンブリン・マン:ボブ・ディランの7つの詩、3つの幻覚 (映画『アルタード・ステイツ/未知への挑戦』より)  ヒラ・プリットマン (sop)、ジョアン・ファレッタ指揮バッファロー・フィルハーモニー管弦楽団 Naxos 8.559331 <録音=2007年3月、2008年6月>

・コリリアーノ ディラン・トーマスの詩による三部作 トーマス・アレン (Bar.) 、タイ・ジャクソン (ボーイ・ソプラノ)、ジョン・テシエ (テノール) Naxos 8. 559394<録音=2007年12月>

・ムジカ・エレットロニカ・ヴィーヴァ 40周年アルバム 収録曲 《宇宙船》 (1967) 、《戦争をやめろ》(1972)、その他以下における即興演奏「アムステルダム近代美術館」(1982)「ベルン市立美術館 (スイス) 」(1990)「ニュー・ミュージック・アメリカ、ニューヨーク、ニッティング・ファクトリー」(1989) 、「イタリア、フェラーラ」 (2002)、「現代音楽祭、タングルウッド・ミュージック・センター」 (2007)、アルヴィン・カラン (電子機器、シンセサイザー)、フレデリック・ジェフスキ (ピアノほか)、リチャード・タイテルバーム、(ムーグ・シンセサイザーほか)、スティーヴ・レイシー (ソプラノ・サックス)、ガレット・リスト (トロンボーン) ほか New World 80675-2<録音=1967年10月、1972年12月、1982年4月、1990年11月、1989年11月、2002年6月、2007年8月>

2009年2月7日土曜日

[訃報]マックス・ニューハウス (1939-2009)

テキサス出身のサウンド・アーチスト、実験打楽器、電子音楽奏者で、ジョン・ケージ、モートン・フェルドマン、アール・ブラウンなどを演奏したディスクで知られたマックス・ニューハウスが亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。

The Next Generation to Pass ("Sequenza 21")

UBUWEBにある音源
http://www.ubu.com/sound/neuhaus_electronics.html

[訃報] ルーカス・フォス (1922-2009)

1月に亡くなったジョージ・パールに続き、指揮者としても有名だった作曲家フーカス・フォスが亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

ルーカス・フォス没 (「やくぺん先生うわの空」)

2月2日からインフルエンザでダウンしてしまい、ようやく今日、フォスの訃報に触れました。

2009年2月6日金曜日

整理法の本についてのメモ

前にも書いたと思うのですが、私は情報整理のノウハウに興味を持っています。実際自分ができるかどうかは別として、発想が広がりますよね。学生時代には山根一眞さんの『スーパー書斎の仕事術』に強い影響を受けまして、一時期「山根式袋ファイル」を作ったりしましたが、封筒を買うのが面倒になってやめてしまったという経緯もあります。でも発想自体はとても良かったですし、不要の封筒が家にたくさんあって、その整理に困るような職業の方だったら、トライしてみる価値もあろうかと思いました。

中公新書から出版された野口悠紀雄さんの『「超」整理法』を読んだ時のインパクトも大きくて、なるほど使ったファイルの時系列で行なう方法もあるか、と思ったりしました。ただ私の場合、いわゆる「神様ファイル」 (将来必ず必要になるので捨てられないファイル、という解釈でよろしいでしょうか) にするハードルが低いためか、「捨てる」ことができないので、残念ながら実行には移せませんでした。当時はフロリダにいて、現地で容易に入手できるものでも、日本、ましてや富山ではほぼ入手不可能というものもあると考えていたからです。

で、先日地元の本屋さんで『超「超」整理法』という本に出会いました。基本はGmailによるキーワード検索と、「神様ファイル」のPDF化によるダウンサイジングということなんでしょうか。メールソフトの検索能力の高さについては、私も昔から感じておりまして、納得できるところがあります。一つの書類の中でのキーワード検索でしたら、どんなエディタ/ワープロソフト/表計算ソフトでもすぐにできるのですが、複数の書類になると、いちいち個々のファイルを開いてキーワード検索するしかない。しかしメールだと、数年のメール本文を一気にメールソフトがキーワード検索してくれるのですね。「ああ、こういう機能がコンピュータにあればなあ」と思ったものでした。

ただその不満も、Mac OS Xに付いているSpotlightで、かなり解決できるようになりました。しかもSpotlightの場合は、メールだけじゃなくて、あらゆる書類を検索してくれるので、本当に便利です。コンピュータ本体に、かなりの負担がかかってるんじゃないかと不安になったりしますが、OS自体丈夫ですし、快適ですね。

「神様ファイル」のPDF化も心動かされました。ただ私の場合、書類の数も多いですし、それぞれのページ数もそれなりにあって、とてもじゃないけど、実行はできません。本当に実行するとしたら、何年もかかってしまい、その作業に取られる時間がもったいないという気がします。ながら運転も可能とは思いますが、集中して何かに取り組んでいる時、そういった作業に、小刻みに時間を取られるのは辛いところがあります。例えば最近カセットからCD-Rを作ることが多くて、単に垂れ流して置けばいいものの、カセットをひっくり返す手間だけでも、デッキのところに行きますし、その数秒で集中が解けてしまったりする。難しいところです。でも、これからコンピュータを中心にして、データベースを構築されるかただったら、最初からPDF前提でやった方がいいですよね。学術論文や『ニューヨーク・タイムズ』の過去の分は、いまやPDFに全面移行ですから。

クラウド・コンピュータの使用についても、確かに魅力的なものがありますね。どこの端末からもアクセスできますし、商用コンピュータの方が耐久性が強いという考え方もできそうです。一時期、私も複数のコンピュータで作業をする時、Yahoo! のブリーフケースやメモパッドを使っていたため、その利点は何となく感じられます。もっとも最近はメモリースティックの方が素早いので、ブリーフケースは使わなくなりました。

でも、こういう本が売れるっていうのは、みんな書類整理に悩んでいるということなんでしょうか?

2009年2月1日日曜日

映画『SHOAH ショアー』

ショア(SHOAH)は、1985年のフランス映画。クロード・ランズマン監督。上映時間は9時間30分。製作には1974年から11年の歳月を費やした。日本での公開は1995年、東京日仏学院で行われた。

ユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)に関わった人々へのインタビュー集であるが、演出もところどころ行われており、全くのドキュメンタリーではない。

インタビューの対象は、被害者たるユダヤ人生還者、加害者たる元ナチス、傍観者たるポーランド人に大別することができる。

クロード・ランズマン監督はこれまでのホロコーストをテーマとした映画にきわめて批判的である。特に『シンドラーのリスト』に対しては、出来事を伝説化するものであるとして舌鋒鋭く批判している。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「ショア (映画)」の項目。http://ja.wikipedia.org/wiki/ショア_(映画))
すごい映画です、これ。語られる内容は軽いものから重いものまで様々。確かに全9時間という長い映画ではありますが、あっという間に観てしまいました。

よく"Let the truth speak for itself" と言いますが、この映画は、ただの垂れ流しでは絶対にないでしょう。 細かいカットが挿入されていたり、カメラの距離や方角などの変化があり、明らかに「素材」ではないことは分かります。誰へのインタビューをどういう順番でいれるかということも、大きな要素になりそうですし。

そして、音・音楽は意外と大きな要素になっています。まず音楽ということであれば、歌声の美しさによって一命を取り留めたユダヤ人の話もありますし、チェコのユダヤ人がこれからガス室に入ろうとする前に《希望》というタイトルの国歌を歌ったという特務員の証言に、私は込み上げるものを感じてしまいました。水木しげるの『総員玉砕せよ! 』における《女郎の歌》の部分と重なってしまって…。

音まで含めて考えますと、語られる過去と映画を撮った時点の「現在」とは対位法的にならざるを得ないということもあって、いろんな対比を考えてしまいます。映画撮影時の虐殺現場の静けさと、そこで起こったことを語る証言の中の叫び、ユダヤ人を運ぶ汽車の走る音と田園風景の静けさ、自然界に住む鳥たちの声と社会の中で強制的に歌わされる人間の歌等々。ああ、ライヒの《ライヒ/ディファレント・トレインズ》の重みは、この映画を観ると分かるのかもしれません。 撮影された場所の音を聴くだけでも、逆説的な「リアルさ」が伝わってきます。こんなに静かで美しい場所で、どれだけの人が殺されていったのだろう、淡々と語られる証言から、体を震わされてしまいます。

『ショアー』には、作曲家が改めて作るスコアの入り込む余地はありません。もちろん扱われている題材もそうですけれど、ドキュメンタリーであるということも一つでしょうか。ふと日本の報道ドキュメンタリーのことが頭に浮かんだりもします。とはいえ、NHKにしても、民放にしても、ドキュメンタリーには、結構いろんな音楽が入ってたりするような気がします。特にナレーション部分にです。やはり、この映画ほど徹底したものではないでしょう。

しばしば比較対象になる『シンドラーのリスト』は、明らかに違うタイプのプロダクションでしょう。「表象」の問題は、以下のサイトでもちょっと触れられていますが、表象が「ある・ない」ではなく、その質とバランスの問題ということなんでしょうか。まあさらに突き詰めれば、「事実とは何か」という問いかけになり (ちょっと本多勝一入っちゃいますが、何を取捨選択するかという時点で、書き手/作り手の視点はどうしても入ります) 、最終的には個々人の受けとめ方まで行き着いてしまいそうです (テクスト/ディコンストラクション etc.) 。

・早尾貴紀「パレスチナからの手紙」 (「文化フォーラム」)
http://archivista.hp.infoseek.co.jp/bunzemi/hayao99.html

僕自身、『ショアー』と『シンドラー』と、どちらの映画が勝ったか負けたかなどということには興味がないのですが、ホロコーストについて僕が俄然興味を持つことになった映画は『ショアー』です。

それにしても、いかに「効率よく」ユダヤ人を虐殺するか、熱心に研究できてしまう精神状態とはどういうものなのでしょう (トラックの形状、列車ダイヤの考案 etc. ) 。ドイツ人というのが、ひどく勤勉であることを感じながら、その勤勉さを発揮する方向が、ここまで狂ってしまうというのは、恐ろしいことです。

日本の歴史認識は、ランズマンのような厳しい問いかけをする監督を生み出すことができるのでしょうか?

とにかく壮絶な映画でした。残酷な映像というのは一つもないんですけれど。