2005年4月29日金曜日

マダガスカル島民の歌

ラヴェル/ヘブライの歌 [歌曲集] ジェラール・スゼー(バリトン)ほか。東芝EMI(EMI Classics)TOCE-9847

例えばカバレフスキーという作曲家が《道化師》組曲で語られるとすると、彼の作風の全貌を見失うような気がする。ホルストも《惑星》というのは、彼の作品群の中では特異な存在だろう。プーランクには二面性があるというのは有名だ。

ラヴェルの場合も一般的には《ボレロ》などで知られているのかもしれないが、《マダガスカル島民の歌》の<アウア!>に出会った時は度肝を抜かれた覚えがある。タフツ大学というマサチューセッツ州の大学の修士課程の面接に行った時、ついでに授業を受けてみたらと言われ(マーク・ディヴォートという、ピストンの『和声法』の改訂をした人)、確かその時に聴いたのがこの<アウア!>だった。「これがラヴェル? 何かの間違いでは?」と思ったほどである。

もしかするとこの<アウア!>がラヴェルの中では特異な作品なのかもしれない。しかし、一人の作曲家の作風を掴むのが難しいケースも多々あるものだと、改めて思う。

2005年4月26日火曜日

サイト更新

アメリカのクラシック音楽ピストンの項目を改訂。第2交響曲のディスクを追加しました。

音楽雑記帳に4月19日に行われたベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会 第4回公演の楽曲解説を載せました。北日本新聞ホールで行われたコンサートは、おかげさまで大盛況でした。クラシックのコンサートで200人近く収容のホールが埋まるというのは、なかなかのものではないでしょうか。しかも第1回から欠かさずおいでになっておられる方も少なくなく、7月に行われる第5回公演のチケットも、すでに50人近くの申し込みがあったそうです。定員が150人ですから、今度は席を獲得するのも大変になるのかもしれません。岩瀬の田尻酒店で開催されるというのも、話題の一つとなりそうですね。

アップした解説文、ワープロ変換ミスを直しました(汗)。(2005-04-21 19:15:45)

アメリカのクラシック音楽ピストンの項目を改訂。第1交響曲のディスクを追加しました。(2005-04-18 20:46:08)

アメリカのクラシック音楽のコープランドの項目をジャンル別にしました。そして、「交響曲」に小交響曲の音源を追加してあります。(2005-04-17 23:25:04)

2005年4月24日日曜日

雑感

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106《ハンマークラヴィーア》 ウィルヘルム・バックハウス(ピアノ)伊Decca 433 882-2(モノラル全集Box)

ふわっとした感触。リズムも、それを「刻み」という言葉に還元すると、不安定にさえ思えてくる。以前ルドルフ・ゼルキンで同ソナタを聴いた時にも、「ピアニストにおけるテクニックとは何か」と自問することがあった。その頃は作品表現のために必要なテクニックがあれば、そのテクニックは充分であるという認識であった。

超絶技巧の作品ではおのずと求められるものが違ってくるはずだ。「テクニックが難しいことを感じさせない演奏こそ上手な演奏」ということが金言とされるけれど、技術を見せびらかす作品では「難しく聴かせる」テクニックも必要なのではないかと思われる。ホロヴィッツなどは、ものすごく技巧が鮮やかに聴こえるが、手の部分を見ると(手の大きさやあの尋常でない指さばきを除けば)、いとも楽々と超絶技巧作品を弾いてみせる。

技巧は楽であっても作品が超絶技巧の場合、つまり技巧についての不安はまるっきりないにしても、その余裕をもって作品の超絶技巧さをアピールする表現が必要であるということであろうか。

話がそれてしまった。バックハウスのベートーヴェンは、コントラストを極端に演出しない。そのようなものはベートーヴェンの音楽表現において、それほどのウエイトを占めていないという認識なのであろうか。「バックハウスは楽譜通り弾くだけだ」という文言も見かけたことがあるが、少なくとも《ハンマークラヴィーア》の第1楽章では、冒頭はアレグロというより速いアンダンテであるし(ベートーヴェンのメトロノーム指示通りに弾くことができるか、それが適切であるかという議論は別として)、第2楽章の付点の付け方も必ずしも一貫していない印象を持った。

しかし少ないコントラストの中で、剛直なタッチをもって表情をつけるという音楽は一貫しているように思われるし、《熱情》ソナタのフィナーレには、彼なりの結論を出しているように思う。やはり作品の求める質に対するテクニックということなのだろうか。

ニコラ・バクリ 室内楽作品集 仏Triton TRI 2001/2

ショスタコーヴィチからシェルシまで、幅広い影響を自己の音楽に認めるフランスの若手作曲家。先日のアンサンブル金沢で彼の作品を聴いたのを契機に購入。一聴した感じ、シェルシの影はほとんどなく、強い叙情性を残した現代風な作風だ。一つの楽章内がいくつかの部分に分かれ、それぞれは違ったテンポやテクスチュアで明確にされている。また、じっくりとフレーズが練り上げられて盛り上がってくる楽想も好んで使っているようだ。

他にはTahraレーベルからリリースされたフルトヴェングラーのコレクションで、『In Memoriam』という4枚組CD+CD-ROMから、ベートーヴェンの《エグモント》序曲を聴く。解説書にはトスカニーニとフルトヴェングラーが対比して述べられている。フルトヴェングラーは常に霧の中にさまよい、拍節もあやふやだという。

しかし、この《エグモント》序曲を聴く限り、そこには確固としたベートーヴェン解釈があるし、迷いは感じられない。確かにテンポの揺れはあるが、アンサンブルに乱れはない。断固としたテンポの揺れではないかと思った。映像を見ると、確かにブレのある指揮では打点が分からないだろうけれど、「あやふや」な拍節感であるのかどうかまでは判断できなかった。

おそらくトスカニーニの、断固として揺れないようなテンポ感というものとは違うという意味で、相対的には分からないこともない。

2005年4月15日金曜日

サイト更新

アメリカ音楽関連のリンクの「アイヴズ関連」にサイト2つを追加。紹介されているディスクが面白いのは個人サイトらしいところでしょうか。3番目のディスカションでは、早速ナクソスのアイヴズ集について触れられてますね。

音・音楽関連のリンク を改訂。 (2005-04-08)

アメリカのクラシック音楽バーバーの音楽のページを若干改訂。(2005-04-05)

フォスターの音楽のページにロジェー・ワーグナー盤を追加。(2005-03-29 22:42)

ハワード・ハンソンの音楽のページの記述に若干の追加。第5交響曲についても簡単に触れてあります。(2005-03-27 23:59)

2005年4月6日水曜日

ABQの大フーガ

ベートーヴェン 大フーガ作品133 アルバン・ベルク弦楽四重奏団 英EMI Classics 5 73606 2(旧全集Box)、CD 4 of 7

符点音符や三連符が支配的なテンポの速いフーガの部分では迫力極まる演奏が聞ける。各奏者の主張が強く、フーガ主題を追うよりも、それと同時進行する多数のフレーズのぶつかり合いの中で飽和する感覚だ。特にアウフタクトでフーガ主題が始まる場所など、そんなに粗野にしなくとも、とさえ思ったくらいだった。一方メノモッソの部分は透明感を持った磨き抜かれた印象で好感が持てた。全体に気負い先行型といった印象。

フーガだからといって、声部から声部へ滔々と楽想が流れ湧き出るバッハ風のものを目指す必要はない。むしろベートーヴェンのフーガは、もっと赤裸々な表現を要求する可能性が強い。ただアルバン・ベルク四重奏団は、やや過剰な演出をしているように聞こえてしまうのである。もしかすると、このフーガを初演時のようにOp. 330のフィナーレとみなしたがためにこういう大段に構える表現になるだろうか。確かにそれならば、こういった音楽になり得なくもないのだけれど。

普段聞いているズスケ四重奏団の自然体な演奏に影響されてしまったのであろうか。

2005年4月3日日曜日

ベートーヴェン、弦楽四重奏全曲シリーズ、第4回

クァドリフォーリオによる、シリーズ第4回目。4月19日、北日本新聞ホールです。
内容は以下の通り。

・ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲連続演奏会実行委員会・会長故・米田寿吉氏追悼
  J.S.バッハ  無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007よりプレリュード
  J.S.バッハ  コラール《主よ人の望みの喜びよ 》
  J.S.バッハ  コラール《目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ 》
  エアー(G線上のアリア)

<< 休憩>>

・弦楽四重奏曲3曲
  第5番  イ長調  作品18-5
  第13番  変ロ長調 作品130
  大フーガ 変ロ長調 作品133

(05.04.28. 追記)
音楽雑記帳にこの演奏会の楽曲解説(PDFファイル)をアップロードしました。ご参照くださいませ。