2024年11月29日金曜日

NHK『薪能・日光輪光寺』から「薪能あれこれ」(1991年10月10日放送)


 

最近古いビデオをデジタル化している。むかしは結構伝統音楽を録画していたんだなあと感心する。この「薪能あれこれ」は日光輪王寺の薪能(小督、石橋) の後に収録されていた解説コーナーで、山中先生のお話が、とても面白い。

もともと薪能(薪猿楽)は奈良・興福寺の修二会に付随するものだったが修二会の日付が定まらず(南北朝時代の争乱、興福寺の経済的理由から)、諸国を旅する演者たちを集められないということで(観阿弥が興福寺を説得したんだとか)、修二会の日程にかかわらず2月に薪猿楽をやるという習慣になったとのこと。一方で猿楽が面白くなって隆盛する時代だったこともあって、修二会に関わらず猿楽だけは観たいという僧侶たちの思いもあり、本来の宗教的行事から芸能を楽しむ場になっていったということだそうだ。へええ。

2024年11月8日金曜日

フレッド・ラーダール:弦楽四重奏曲第2番 (1982)

フレッド・ラーダール:弦楽四重奏曲第2番 (1982) プロ・アルテ弦楽四重奏団 Fred Lerdahl, Second String Quartet (1982). Pro Arte Quartet. Laurel Record LR-128

とある方から譲り受けたアメリカの弦楽四重奏団のレコード・コレクションを少しずつ聴いています。今回はこのローレル・レコードの1枚です。

作曲者のフレッド・ラーダール (レルダールという発音もあるようですが、どうなんでしょうね?) は1943年ウィスコンシン州マディソン生まれ。ローレンス大学、プリンストン大学、タングルウッドに学びました。プリンストンではアール・キムやミルトン・バビットに指示しています。フルブライト奨学生としてフライブルグ音楽大学に指示し、ウォルフガング・フォルトナーに師事しています。

作曲の教師としてはカリフォルニア大学バークレー校(1969-71年)、ハーバード大学(1971-9年)、コロンビア大学(1979-85年)、ミシガン大学(1985-91年)で教鞭をとり、1991年にはコロンビア大学のフリッツ・ライナー作曲科教授に任命されました。

弦楽四重奏曲第2番 (1980-82) は全米芸術基金の援助を受けてプロ・アルテ・カルテットが委嘱した作品です。この作品の最初のバージョンは、1981年にウィスコンシン州マディソンでプロ・アルテ弦楽四重奏団によって演奏されています。その後改訂版は1983年11月、ニューヨークで開催された国際現代音楽協会(ISCM)のコンサートでやはりプロ・アルテによって初演されています。このLaurel Recordの録音は初演者によるものです。

作曲者が書き記した楽曲解説を転載します (自動翻訳ツールを使用しています)。

弦楽四重奏曲第2番は2つの部分に分かれる長い楽章で、第2部は第1部の拡大版である。各部分は順に(1)静かで憧憬に満ちた序奏部、(2)非常に多声的で複雑かつほとんど暴力的な表現の平行展開部 (parallel developmental sections)、(3)蓄積されたエネルギーを徐々に発散させる波のような旋風のパッセージ、(4)脈打つが控えめなスケルツァンドに続く、より緩やかで叙情的な部分、(5)コラール・コーダに分かれる。最後のコラールは、作品の根底にある和声構造を回顧的に明らかにすると同時に、それに先立つ激動の幻想曲に対する訝しげな安らぎを与えている。

別の見方をすれば、第2弦楽四重奏曲は、ジュリアード弦楽四重奏団から委嘱された第1弦楽四重奏曲 (1978) の続編である。あの作品は、幾何学的に広がる15の変奏曲という形式をとっており、第2四重奏曲はさらに2つの変奏曲で構成されている。第1四重奏曲は内向的で、探求的で、予期せぬ変化や沈黙がある。第2番は外向的で情熱的、発展的、エネルギーと広がりに満ちている。

私の弦楽四重奏曲第2番を演奏するのは簡単なことではない。プロ・アルテは、正確さと作曲家の意図の実現に異常に熱心だということで、作曲家の間で長い間、内輪の評判になっていた。しかし、このクァルテットが私の作品をこれほど見事に演奏してくれるとは、最初から夢にも思っていなかった。私が参加した最初のリハーサルでは、この演奏家たちは作品を止めずに弾き通した(作曲家はこのようなことに慣れていない)。そのため、その後のリハーサルは、バランス、テンポ、ニュアンスの改良に専念することができた。プロ・アルテとの共同作業は、まったく違った意味で、この作品を最初に作曲したのと同じくらい満足のいくものだった。

作風は基本的に無調ですが、ラーダール自身が述べているように情熱的で、はち切れるリリシズムを秘めています。何度か聴いて耳になじませていくと、面白く聞けるようになるのではないかと思います。残念ながらそれほど私は繰り返し聴いていないので、彼のいう変奏曲の感覚まではつかめていません。

録音ですが、人工的なエコーがかかったような音で、第2部の途中、違う音バランスのテイクが編集で挿入されていて、とても不思議な感じです。

初演者によるレコードの演奏とは違いますが、YouTubeに同曲の映像がありました。Daedalus Quartetの映像ばかり3つも出てくるのはすごいですね。

YouTube (Daedalus Quartet)  (Gardner Museum、2013年)
YouTube (Daedalus Quartet) (Gardner Museum、2015年)
YouTube (Daedalus Quartet) (The Kosciuszko Foundation, New York City, 2022年4月14日)

併録はエルネスト・ブロッホのピアノ五重奏曲第2番 (1957) です。ラーダール作品に比較すると、こちらの方がぱっと頭に入りやすい作品かもしれません。ブロッホ作品の良き録音の一つとして推薦できるものになりそうです。


Experimental Musical Instruments (EMI) archive

バート・ホプキンがかかわっていた『実験楽器』という冊子、以前はCD-ROMになっていて、一応持ってはいるのですが、絶版になっていて、いまは以下のアーカイヴから読めるようです。ダウンロードも可能です。

2024年11月3日日曜日

アメリカのシェーンベルク ~ 創作、交友、教育 (『都響』エッセイ)

 『都響』エッセイ集の一つとして「アメリカのシェーンベルク ~ 創作、交友、教育」という文章を書きました。どうぞよろしくお願いいたします。

https://www.tmso.or.jp/j/archives/special_contents/2024/2024essay/column/column07.php

ランダル・トンプソン指揮の《アレルヤ》(メモ)

 『ランダル・トンプソン・プログラム A Program of Music by Randall Thompson』から。作曲者指揮ハーヴァード大学・グリークラブ、ラドクリフ・コーラル・ソサイエティ Harvard Glee Club – FH-RT モノラル録音LPレコード

出だしは 40前半〜後半BPMなのだが、盛り上がってくると50BPM台に入る (Lento指示らしいけど、冒頭はLargoじゃないのって思うくらい)。録音のせいなのかもしれないけれど、冒頭とクライマックスとの強弱の差も激しく、再生装置の音量設定もなかなか難しいかもしれない。

2024年11月2日土曜日

レジャレン・ヒラー:ピアノ・ソナタ第4番・第5番

Lejaren Hiller, Sonata No. 4 for Piano (1950); Sonata No. 5 for Piano (1961). Frina Arschanska Boldt (No. 4); Kenwyn Boldt (No. 5). Orion ORS 75176.

レジャレン・ヒラー:ピアノ・ソナタ第4番 (1950)、第5番 (1961)。フリーナ・アルシェンスカ・ボルト、ケンウィン・ボルト(ピアノ)

レジャレン・ヒラーというと、どうしても音楽理論にもとづいたアルゴリズムによってコンピュターに作曲させたという弦楽四重奏のための《イリアック組曲》 (1957) のことを思い浮かべてしまう(曲の方は腑抜けするほどAIの作ったクラシックのような感じというべきか…)。しかし、彼自身が自分の意志で書いた曲 (?) はどんなものなのかな、という疑問を持って、このレコードを入手してみた。ヒラーって、プリンストンで化学を専攻しながら、作曲をミルトン・バビットとロジャー・セッションズに師事していたらしい。そうなると、余計に前衛/無調系なのかな、と思いつつ、でも、サイエンス系・技術系の人は、案外保守的な音楽好みなのでは、という先入観も持ってみたり。

作曲家自身による解説文よると、このレコードが発売された時点で、ヒラーは6曲のピアノ・ソナタを作曲していたらしく、収録されている4番と5番のほかには第1番(1946)、第2番(1947)があるという(3番には言及がない)。他にもピアノのための長大な作品があり、そのうち《12音による変奏曲 Twelve-Tone Variations》は別のレーベルに録音されているとのこと。ちょっと調べてみたら、そのレコードはTurnabout TV-S 34536で、YouTubeでも聴くことができる。

 

さてピアノ・ソナタ第4番の作風の特徴としてヒラー自身が説明するところによると、「最後のソナタを除く他のソナタのほとんどとは対照的に、ソナタ第4番はややプログラム的で、唯一ユーモラスな作品である」のだそうだ。確かにソナタ第4番の第2楽章にはスイングの感覚が感じられたり、黒人霊歌っぽい部分があったり、民謡っぽい部分があったり。クラシックは基本としつつ、いつの間にか異質なものが混ぜ込まれているという印象を持った。一方の第1楽章はロマンティックな作風だったりもする。

第5番のソナタは New World から別のピアニストによる演奏がCDでリリースされている。第1楽章は、すべての音程関係(短2・長2、短3・長3、完全4…)を含む音列が使われているそうだが (C, As, D, F, G, H, B, F, Es, E, A, Fis)、12音全てではなく、F音が重複し、Cesは欠けているとのこと。ソナタ形式を踏襲しつつ、再現部では(2つではなく)3つの主題が逆の順番で提示されるとのこと。


第2楽章は鍵盤の上半分の音域を意識的に使って書かれた「静寂に包まれた」音楽(12分半ほど)。第3楽章は調性の枠組みではないものの対照的な主題を提示するという点でロンドなのだそうだ。ソナタを作曲していた時期が《イリアック組曲》と重なっていたため、「チャンス・プロセス」にも強い関心を持っていたというのも興味深い。ただ聴いた限り、偶然性を感ずるところはなく、アクセントの出し方が面白い、スケルツォ的な性格の楽章なのだろうと思われた。

作曲家自身によると第4楽章は「7/8拍子と10/8拍子による素材の対比」であり、しかもジョン・ケージとの共作《HPSCHD》の「2つのチェンバロ・ソロで引用されている」とのことだった。《HPSCHD》は何度かさらっと聴いたはずなのだが、とっさに《HPSCHD》の曲が思い浮かばなかった…。2分もない、あっさりとしたエピローグだった。

個人的には第4ソナタが面白い発見だった。ヒラーが当時の批評として紹介したものをライナーノーツから引用してみると、「ヒラーのソナタは、ベートーヴェンからポップなダンス音楽まで、さまざまなスタイルのごった煮で、無声映画の音楽のように聴こえることが多い」だそうで、初演をしたピアニストのフリーナ・ボールドについて「中間楽章で聴衆の笑いが抑えられなくなったときに若干崩れたものの、献身的な演奏を披露した」とのこと。いま改めて演奏されたとしたら、案外普通に受け入れるんじゃないかと思う。

第5番の方は、《イリアック組曲》《HPSCHD》への言及で興味をそそられた。聴き比べてみる必要があるとは思う。

2024年8月9日金曜日

レオン・ルイス:《クァルテット・アメリカーナ》(1960)

ルストガルテン四重奏団 Bristol Records 番号なし (片面のみのレコード)


とある方から譲り受けたレコード・コレクションの中の1枚。片面のみ溝が刻まれているレコードは初めて所有することになったかもしれません。作曲者はレオン・ルイスとされていますが、このレコードのジャケットは手書きの赤字で、それ以上の情報はありません。


ということで、調べてみました。

レオン・ルイスは1890年3月30日にミズーリ州カンザスシティで生まれ、シカゴに育ちます。幼い頃から音楽の訓練を受け、「ピアノの神童」として奨学金を得てウイーン国立音楽学校に入学。 そこでピアノをテオドル・レシェティツキーに、指揮と作曲をヘルデン・グレーデラーとテルンに師事したという情報を得ました。テルンというと、カーロイ・テルンという作曲家が有名なのですが、年代的にはルイスが生まれる前に亡くなっているので、2人の息子のうちのどちらか、ということになるんでしょうか? パッと調べてみたところ、息子のウィリもルイスもウイーンでピアニストとして活躍したっぽいですが、エルヴィン・シュルホフも師事したというウィリだったのかなあ?

さてルイスは1910年に帰国し、コンサート・ピアニストとしてヨーロッパ、アメリカ、カナダをツアーします。時代柄、サイレント映画の音楽を担当した経験もあったようです。1920年代にはシカゴのラジオ局WBBMで音楽監督を務め、その後、CBSラジオ・ネットワークの交響楽団の指揮者を長年にわたって務めました。作曲活動に専念するようになったのは1945年頃からで、1960年10月5日、ロサンゼルスの娘を訪ねている最中に亡くなったということです。

《クァルテット・アメリカーナ》は1960年の作品。同年にルイスは亡くなっているので、最晩年の作品ということになりますね。レーベルにもある通り3楽章形式です。どのような経緯でこの曲を作ったかについては、正直分かりません。とあるレコードの解説には「自由、進歩、そして人生を満喫することへの関心」を表現しているとありましたが、うーん、それはタイトルがアメリカだからというところから出発して書いた、アメリカの美化のような感じもしなくもない…。

第1楽章の<ニュー・ランチョ・ディアブロ>ですが、これはどうやらカリフォルニア州にある「ランチョ・ディアブロ」というコミュニティの名前のようで、アメリカ西部との関わりがありそうな雰囲気が漂っています。荒野へ向かっての叫びのような楽想から始まり、ワイルドな感覚があります。

第2楽章は<ニューオーリンズ>と題されており、ついディキシーランド・ジャズなどを想像してしまうのですが、あに図らんや、緩徐楽章になっています。あえていえば、黒人霊歌からのインスピレーションがあるということなのかな。

第3楽章は<ニューヨーク>ということで、なにかジャズっぽい音でもあるのかなと思ったのですが、そういうものはなく、モダンで活力のある都市を描いたものなのでしょうか。確かに第1・第2楽章とは明らかに違う感覚はありますね。

ということで、全体として、曲がどれほど「アメリカーナ」なのかは分かっていないのですが、アメリカを形作る地域的な違いを作曲者なりに音で描き分けたという感じの作品なのかもしれません。

2024年8月7日水曜日

ワリングフォード・リーガー:ピアノ三重奏曲 作品1 (1919-20)

ジョン・コヴェッリ(ピアノ)、ウィリアム・クロール(ヴァイオリン)、アレキサンダー・クーゲル (チェロ) Columbia MS 6189
archive.org




リーガーというと、アメリカ音楽史的には、いち早くセリエル技法を取り入れた作曲家として知られていると思うのですが、この作品1は、ロマン派の延長線上にありますね。ちょっと驚きました(リーガーに言わせると「ポスト・ロマン派」らしいのだけれども)。パデレフスキ賞というのも受賞しているらしいです。

ピアノ三重奏曲が作曲されたのは1919年から20年にかけてでしたが、初演は10年後の1930年で、場所はニューヨークのボヘミアンズというところでした。このボヘミアンズというのは「ニューヨーク・ミュージシャンズ・クラブ」とも呼ばれており、ニューヨークの著名な音楽家と音楽愛好家からなる組織だそうです。そして会員のためのディナーや室内楽コンサートを企画し、若いアーティストを支援し、著名な音楽家を顕彰しているとのこと。

僕が驚いたのは、リーガーがこんな曲を書いていたのか(考えてみればそんなに驚くべきことじゃないのかもしれないけど…最初の作品からバリバリ無調というのも時代的背景からして不自然なんだろうし)というだけでなく、作品自体がとても魅力的だということです。「書く力」がある人だったのですね。

なおYouTubeにも音源がアップロードされていましたが、残念ながら左右が逆になっています。ヴァイオリンが右から、チェロが左から聞こえてきます。

2024年5月18日土曜日

《山の音楽家》の原曲?→ Sing Hallelujah, Praise the Lord! (Swertner/Bechler)

Wikipediaで《山の音楽家》を調べると、おそらく歌詞の内容からドイツ民謡のIch bin ein Musikante が原曲であると書かれている。ただ、そこから原曲とされているYouTube動画を見ると、旋律は全く違っていてむずむずしたりする。歌詞にしても、小鳥・うさぎ・小リスなどの動物が登場しないのである。

ところがアメリカの音楽史を調べていて、Sing Hallelujah, Praise the Lord! というモラヴィア派の賛美歌に出会った(チューンネームはBECHLAR。19世紀、John Christian Bechlerという人が作曲したことに由来する)。そしてこの賛美歌旋律が、《山の音楽家》の歌いだしと全く同一なのである。AABA形式で、Bの部分は《山の音楽家》とは全く違うのだが、A部分については、Ich bin ein Musikante どころではない一致だ。


この旋律と《山の音楽家》に何か関係があるのか、あるいはこの賛美歌が、そもそも何か音楽家を扱った民謡を参照しているのか、現在の自分には突き止められていないのだが、とりあえずモヤモヤするので、投稿しておきたい。

2024年4月25日木曜日

ディズニー・マジカル・ワールド (エリック・カンゼル指揮シンシナティー・ポップス)

意外といいんですよ、このアルバム。もちろんオリジナルじゃなくて、カヴァーになると思うんですけど、「ディズニー・オン・クラシック」が好きな方だったら、これも楽しんでいただけるんじゃないかと。ステージ感満載ですし、録音もよいですし、アレンジも素敵かなと。

メンケンが担当した3作品とエルトン・ジョンの『ライオン・キング』ということで、「ディズニー・ルネサンス」の最盛期の名曲揃いですから安心ですね。

『ライオン・キング』の《サークル・オブ・ライフ》は、レボMの「ガツーン」というヴォーカルじゃないし、歌は斉唱で始まるので、「えっ」と思われるかもしれません。でもオープニングはハンス・ジマーのスコアでLKの世界に浸れるんですよね。歌本体もサビまでくれば、これもありかも!と思えるんです。


収録内容
1 『ライオン・キング』組曲 《サークル・オブ・ライフ》
2 『ライオン・キング』組曲 《王様になるのが待ちきれない》
3 『ライオン・キング』組曲 《ハクナ・マタタ》
4 『ライオン・キング』組曲 《準備をしておけ》
5 『ライオン・キング』組曲 《愛を感じて》
6 『ライオン・キング』組曲 《キング・オブ・プライド・ロック》
7 『アラジン』組曲 《アラビアン・ナイト》
8 『アラジン』組曲 《ひと足お先に》
9 『アラジン』組曲 《フレンド・ライク・ミー》
10 『アラジン』組曲 《ホール・ニュー・ワールド》
11 『アラジン』組曲 《アリ王子のお通り》
12 『リトル・マーメイド』組曲 イントロダクション
13 『リトル・マーメイド』組曲 《パート・オブ・ユア・ワールド》
14 『リトル・マーメイド』組曲 《アンダー・ザ・シー》
15 『リトル・マーメイド』組曲 《哀れな人々》
16 『リトル・マーメイド』組曲 《レ・ポワソン》
17 『リトル・マーメイド』組曲 《キス・ザ・ガール》
18 『リトル・マーメイド』組曲 《ハッピー・エンド》
19 『美女と野獣」組曲 プロローグ
20 『美女と野獣」組曲 《ベル》
21 『美女と野獣」組曲 《ひとりぼっちの晩餐会》
22 『美女と野獣」組曲 《ガストン》
23 『美女と野獣」組曲 《美女と野獣》

2024年4月23日火曜日

モートン・グールド:《アメリカン・シンフォネット》(?) 第1番

 Morton Gould: American Symphonette #1, 1st mvt. only. Gould cond. unk. orch. 
モートン・グールド:《アメリカン・シンフォネット》第1番、第1楽章 (アレグロ・モデラート) のみ モートン・グールド指揮オーケストラ (詳細不明) 

モートン・グールドの《アメリカン・シンフォネット》のシリーズは、確か4番までが残されていたと思うのだが、商用発売されている音源で聴けるのは2番以降の3曲のみ。1番というのは、この録音を聴くまで一度も聴いたことがない。

この録音はラジオ放送のトランスクリプション・ディスクなのか、レコード盤特有のノイズが入っている。番組のホストは曲を《アメリカン・シンフォニエッタ》と紹介しているが、単に間違ってタイトルをアナウンスしているのだろうか…。金管楽器やギター、サキソフォンはノリノリのスウィング・リズムなのに対し、弦楽器やフルートをはじめとした木管楽器はクラシックのスクエア・リズムで、それがまた絶妙に面白い。第2楽章<スウィング・タイムのメヌエット>も引き続き演奏されていたみたいだが(1楽章ごとにアナウンスが入っていたっぽい)、ここには収録されていない。第1楽章だけでも、なかなか面白そうなので、実に残念。

なので、なんでこの《アメリカン・シンフォネット》の第1番は録音されないのか、前々から不思議なのだが、もしかすると楽譜が残っていないということなのだろうか?

なお曲については、こちらでも紹介した。

2024年4月20日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 みなとみらいシリーズ定期394回(感想メモ)

 開演時間:14:00
公演場所:横浜みなとみらいホール
指揮者:沼尻竜典(音楽監督)

ブルックナー/交響曲第5番変ロ長調(ノヴァーク版)

2024-25シーズン最初の定期公演ということで「記念碑的な作品」を選んだという沼尻氏。メリハリの効いたコントラストに目を瞠る第1楽章から、はっきりくっきりした旋律線が聞こえてくる。そして全楽章に共通する特徴として、金管のハーモニーの気持ちよさ。情熱を込めて奏される低弦のトレモロにも心が揺り動かされる。単なるアルコの引き伸ばしでないところにも、きっと意味があるのだろう。

第2楽章は、さらりとしつつも深い歌い込み。美しい。分かりやすく整理されたスケルツォ(第3楽章)につづき、第4楽章は、3楽章までの主要動機が散りばめつつ始まり、立体的でドラマチックなフーガに続き、ブルックナーとしては意外なほどに作られた抜け目ない充実したフーガを、沼尻氏は畳み掛けるようにがっちりリードした。

これは、聴衆がすぐにブラヴォーを始めるんだろうな、と思っていたら、案の定、最後の一音が高らかに鳴り響くとすぐにブラヴォーが。沼尻氏は「最後の一音の余韻まで」を想定していたのか、必死に拍手を止めてほしいというジェスチャーを送っていたようだった。最近ネットでは「フライング・ブラヴォー」について批判的な論調が展開しているようで、それはそれで一定の正当性を感じつつも、今回のこれは、仕方ないところもあるんだろうなあと思ったりも。気持ちが抑えきれなくなる、というくらいの良い感情の流れだった。聴衆の反応までをコントロールすることは、そもそも不可能だし、難しいところではある。

2024年4月18日木曜日

ドン・ギリス作品のSP音源

ドン・ギリス:《辺境の町の肖像 Portrait of a Frontier Town》組曲から第3曲<牧場主の家でのパーティー Ranch House Party>演奏=スタンフォード・ロビンソン指揮ニュー・コンサート・オーケストラ(New Concert Orchestra; Stanford Robinson, conductor)

ギリス:《これが我らのアメリカだ This is Our America》作曲者指揮管弦楽団、レイ・ミドルトン (Ray Middleton 独唱)、リズ・モーガン・シンガーズ (The Rhys Morgan Singers)
ドン・ギリスというと、陽気で能天気な作風で、また「アメリカン・サウンド」そのものという感じがする。風の抜けるような勢いのようなもの、あるいは団結して歌い上げたくなる気持ちの良さというか。《これが我らのアメリカだ》は愛唱歌<アメリカ>(チャールズ・アイヴズがオルガン変奏曲を作った旋律)なども引用されていて、時代的に第2次世界大戦と関係があるのかな、という感じがする。ただarchive.orgのデータだとリリースは1951年とあるので、ちょっと分からない。

《辺境の町の肖像 Portrait of a Frontier Town》は、ギリス自演のLPがLondon (英Decca) から出ていたと記憶しているが、SPでは、別の指揮者による録音もあるということか。

2024年4月17日水曜日

ラッグルス&アイヴズ 世界初録音集 (ニュー・ミュージック・クォータリーSPレコード)

ラッグルス:《ライラック》《おもちゃ》
アイヴズ:《ワシントン誕生日》から<バーンダンス><夜に> 

ニコラス・スロニムスキー指揮パン・アメリカ管弦楽団(《おもちゃ》以外)、ジュディス・リトアンティ(ソプラノ)、伴奏者不明(《おもちゃ》のみ)
New Music Quarterly 1013 (N.M.Q.R. 12・13、SPレコード) <録音=1934年5月>

CARL RUGGLES: Lilacs; Toys, Judith Litante, soloist
CHARLES IVES: Barn Dance; In the Night (from "Washington's Birthday")

Pan American Orchestra
Nicholas Slonimsky, conductor

FIRST RECORDINGS
New Musical Quarterly 78rpm disc 1013A, B (N.M.Q.R. 12, 13)
Recorded in May, 1934
Digital transfer by F. Reeder

ヘンリー・カウエルが主導し、チャールズ・アイヴズが資金援助をしていた New Music Quarterly の録音。Archive.org にはいろんなトランスファーがあるようだけど、録音自体は、これだけということかな。おそらくスロニムスキーの録音は、かつて他の曲がLPレコードとしても出ていたので、それもこのNMQRじゃないかと思うのだけど、とりあえず、これ自体は貴重な録音だろう。アイヴズは、やっぱりおっかなびっくり感(これでいいのかなあ、っていう感じ)があるなあ。

ノイズ処理がやや派手なので、アイヴズは背後にシャリシャリ感がどうしても残ってしまうけど、それが気になる方は他のトランスファーもあるようなので、探してみてほしい。

2024年4月9日火曜日

ニコライ・ベレゾフスキー (1900-53):交響曲第4番, Op. 29

Nicolai Berezowsky: Symphony No. 4.  Kansas City Philharmonic; Hans Schwieger (?), conductor.
ハンス・シュウィーガー指揮カンザス・シティ・フィルハーモニー管弦楽団

《クリスマス祝祭序曲》を紹介したときにベレゾフスキー紹介文を書いた (→当該ページ) 。今回は、他の資料も援用して、改定したものを掲載する。

ニコライ・ベレゾフスキーはロシア革命前のロシアに生まれ、声楽、ヴァイロイン、ピアノを学び、1916年にサンクトペテルブルグ宮廷聖歌隊から卒業。サラトフやモスクワの歌劇場管弦楽団においてヴァイオリン奏者を数年経験後、西側に行くことを決意。1922年にニューヨークに到着し、ジュリアードにてパウル・コハンスキ(パヴェウ・コハンスキ)にヴァイオリンを、作曲をルビン・ゴールドマークに師事した。すぐにヴァイオリン奏者として頭角を現し、ニューヨーク・フィル [第1ヴァイオリン] とクーリッジ弦楽四重奏曲のメンバーをつとめ、CBS交響楽団の団員でもあった。さらに指揮者、作曲者としても知られ、ボストンのセルゲイ・クーセヴィツキーがベレゾフスキー作品の演奏をすすんで取り上げた。このうち4つの交響曲 (1925年、29年、36年、43年) がボストンやその他のアメリカのオーケストラで取り上げられた。このほかベレゾフスキーの作品には、ハープ協奏曲、チェ ロと管弦楽のための《コンチェルト・リリコ》(ピアティゴルスキーとクーセヴィツキーにより初演)、ヴァイオリン、ヴィオラ、テレミンを独奏楽器にした協奏曲、弦楽四重奏曲、木管五重奏曲、ギルガメシュのバビロニアの物語を題材とした大スケールのカンタータも書いている。

ベレゾフスキーの大作の作風の特徴は、プロコフィエフを出発点とした、大戦間のフランス=ロシア風と呼べるが、活気ある軽妙な作品を作曲する才能にも恵ま れており、亡くなる数ヶ月前には、ジャン・ド・ブリュノフによる有名な絵本『ぞうのババール』をオペラ化した作品で成功を収めている。

その他にも《シンフォニエッタ》を作曲している。《シンフォニエッタ》はNBC放送が行った作曲コンクールで第4位を取り、1,000ドルの賞金を獲得した。楽譜も出版されている。

交響曲第4番は1942年の春遅くにニューヨークで作曲が始まり、11月に完成された。この交響曲は(クーセヴィツキー夫人を記念して設立された)クーセヴィツキー音楽財団の委嘱によるもので「親愛なるナタリア・コンスタンティノヴナ・クーセヴィツキーの思い出に 」という献辞が添えられている。

楽譜は、フルート2本とピッコロ、オーボエ2本とイングリッシュホルン、クラリネット2本とバスクラリネット、ファゴット2本とコントラファゴット、ホルン4本、トランペット4本、トロンボーン3本とチューバ、ティンパニ、バスドラム、サイドドラム、トライアングル、木琴、グロッケンシュピール、チャイム、チェレスタ、弦楽器で構成されている。

交響曲第4番は作曲家指揮によるボストン交響楽団により、1943年10月22日 (金曜日のマチネー) に初演されている。4つの楽章からなり、以下のような構成になっている。

I. Allegro non troppo, cantabile
II. Scherzo, vivace
III. Andante, molto sostenuto
IV. Allegro commodo, ma bravura

2024年4月8日月曜日

モートン・グールドのアルバム『ムービー・タイム』

 →Spotify

米Columbia時代のモートン・グールドの録音は、LP初期のモノラル録音(おそらくSPでもリリースされていたのだろう)のせいか、あまり聴かれることはないように思う。『日曜洋画劇場』のエンディング・テーマだった《ソー・イン・ラヴ》が収録されていたアルバム『カーテン・タイム』は、僕もオリジナルの音を突き止めるために買ったが、そのほかのアレンジもののアルバムはどうなのかな、と思って、ミュージカルの『カーテン・タイム』ではなく映画テーマ音楽が集められた『ムービー・タイム』も、実は入手している。

《ソー・イン・ラヴ》のような、ラフマニノフ風のシリアスなアレンジこそないのだけれど、いやあ、モートン・グールドのピアノは、このアルバムでも冴えていること。独特の哀愁が漂いますね。ピアノ作品の自作自演というレコードも米Daccaから出しているグールドなのですが、意外とそちらの方が耳に入ってこなかったんですよね。

モートン・グールドは、やっぱりオーケストラと共演した時の方が面白いのかな、と思いました。

惜しむらくは、このアナログ音源のデジタル化。もう少しうまく音響処理できなかったのかなあ、というところだろうか。

2024年4月5日金曜日

フィリップ・ジェームズ《ラジオ局WGZBX》(1932)

ジュリアス・ヘギー指揮アルバニー交響楽団 (Albany Symphony Orchestra; Julius Hégyi, conductor)
YouTube (こちらではオーケストラはアラバマ交響楽団 [Alabama Symphony Orchestra]になっている)

1932年、アメリカの民間ラジオ放送NBCによって主催された作曲コンテスト(全米のラジオリスナーも参加し投票した)で、見事1位を獲得し、ジェームズの名を一躍有名にした作品。ニューヨークで8月に作曲され、10月にオーケストレーションが行われている。放送初演はコンテストの審査員の1人のレオポルド・ストコフスキーによる指揮で、オーケストラは(トスカニーニが来る前の)NBC交響楽団である。

《ラジオ局WGZBX》は4曲からなる組曲で、「WGZBX」は存在しない放送局の名前である。作曲者ジェームズによると、この曲は「ラジオの音、ラジオの感動的な力、ラジオの若さ、ラジオの活気、ユーモア、苛立ち、そしてラジオと私たちの日常生活との関係」を描いたという。初演以来、この作品はラジオを風刺する曲と解釈されてきたが、それは作曲家の意図したところではなかったようだ。初演時はあちこちで演奏されたようだが、1940年代に入ると、その人気も失せてしまった。

<ロビーにて>と題された8分の6拍子の第1曲は、「大きなラジオ局の廊下 」を描いている。賑やかな放送局の雰囲気がロンドのように繰り返し登場するテーマで描かれ、間にラジオ番組の背景音楽なのか、「インディアン音楽」、中国風の音楽、そしてサキソフォンが飛び出す(ジャズの番組?)などが挟み込まれている。

第2曲<混信>は嵐が吹き荒れるなかで聴くラジオ番組という趣旨のようで、緊張感のある弦楽器から曲が始まる。機械文明を象徴するのか「ロボット」も登場する(この録音だと、舞台下手側、メガホン?か何かで叫んでいるようにしか聞こえないのだが…)。ピッコロが高音で「ピー」っという、ラジオからのノイズらしいものを吹く箇所もある。

<眠りの時間>と第された第3曲はメロドラマの一風景なのか、ヴァイオリンのロマンティックな音楽。ロンド形式による第4曲<マイク狂>は、我先にとマイクに群がる素人集団の賑やかな様子ということで、ラジオがお茶の間のエンタメのメインを牛耳っていた時代を象徴するかのようだ。

いまや忘れられた描写音楽という感じだが、初演当時は、ラジオが普及していた時代でもあるし、当世風だったのかもしれない。

2024年4月2日火曜日

ケンジ・バンチ (1973- ):交響曲第1番《リキテンスタイン三連画》(2008)

Kenji Bunch: Symphony No. 1 (2008). Santa Rosa Symphony; Jeffrey Kahane, conductor.
ジェフリー・カヘーン指揮サンタ・ローザ交響楽団
SoundCloud

3楽章形式。Varoom!、We Rose Up Slowly、In the Carというタイトルが付いている。

ケンジ・バンチ氏 (→作曲者サイト) は母親が日本人で父親がイギリス・スコットランド系アメリカ人なんだそうだ。なるほど、それで「ケンジ」ということか。ただ日本語が堪能かというとそうではないらしく、「半日本語 (half-Japanese)」が堪能なんだとか。よくわからない…。

この交響曲第1番は、おそらく商用音源にはなっていないとおもう。アメリカの画家ロイ・リキテンスタイン(→参考)へのオマージュということだそうで、3枚のコミック風の絵画の大胆な高揚感と色彩からインスピレーションを得ているとのこと。ジャズやポップスの要素を柔軟に取り入れているのだけれども、そのポピュラー音楽の影響が強いためか、「これって本当に交響曲と呼んでいいの?」という感覚を覚える。折衷主義が主流のアメリカ音楽の「いま」を聴くということになるのかな。

2004年、カリフォルニアサンタローザのサンタローザ交響楽団(指揮=ジェフリー・カヘーン)によって初演されたということだから、このSoundCloudの音源は初演時のものなのかも。

2024年3月27日水曜日

ウォールデン弦楽四重奏団によるアイヴズの弦楽四重奏曲第2番 (Period Records)

Ives, Charles. String Quartet No. 2. Walden String Quartet. Period SPLP 501. 
収録作品=チャールズ・アイヴズ:弦楽四重奏曲第2番
演奏=ウォールデン弦楽四重奏団
録音=1946年、ニューヨーク州イタカ、コーネル大学


最近個人のコレクションからお譲りいただいたアメリカの室内楽曲のレコードで、おそらく最も珍しく貴重な1枚。1955年に書かれたハロルド・C・ショーンバーグ著『LPレコード・ガイド:室内楽・器楽曲編』 (Schonberg, Harold C. The Guide to Long-Playing Records: Chamber & Solo Instrument Music. New York: Alfred A. Knopf) には「すでに廃盤となっているが、万が一みつけたときのために心に留めておく価値はある」と記されている。DiscogsによるとLP発売は1956年となっているが、このショーンバーグの記述から、そのデータが誤りである可能性がある。シンクレアの作品目録によると、この演奏は1946年に録音され、1947年頃に SP組レコード 775 として発売されたとある。そうすると、1940年代終わり頃から50年代前半まで録音が出回っていたということになりそうだ。ちなみにリチャード・ワレンによるアイヴズのディスコグラフィーはLP発売を1950年としている。

ただ、ウォールデンSQによる Periodの音源自体は Spotifyでも聴ける (→ Spotify)。またレコードとしても、Folkwaysレーベルからリイシューが出された (Folkways FM- 3369、1967年)。ただオリジナルの盤を私は見たことがなかった。おそらくCDにはなっていないだろう (Smithsonian-FolkwaysがFolkways LP音源をカスタムCDにして売っている可能性はある)。A面に第1・第2楽章(楽章間に長い空白時間が!)、そしてB面に第3楽章という贅沢なカッティング。

一方、上記Spotifyの音源を聴いていただければ分かるように、この演奏は、もともと録音があまりよろしくない (僕が譲り受けたレコードは盤もかなり傷んでいて、特にB面は聴くのが大変だった。ジャケットもスプリットしている)。従って、もともとの演奏を想像力で補って聴く必要はある。

それでも、この演奏が(おそらく無自覚に)マッチョで多分にロマンティックであり、あまりモダンでクールな路線に傾いていないので、充実した響きになっているということなのであろう。マッチョということであれば、緩徐楽章であっても、ラッグルスに通ずる感覚があるのかもしれない。

アイヴズの弦楽四重奏曲第2番の初演は、1946年5月11日、イエール大学の学生によるアンサンブルによるものだった。ウォールデンSQの演奏は、記録として残っている2番目の演奏で、プロの演奏家としては初演だというのがシンクレアの目録にかかれている。1946年9月15日、ニューヨーク州サラトガ・スプリングスで、このウォールデンSQが演奏したのを聴いたルー・ハリソンは「この作品は...アメリカ室内楽の最高傑作だ...。この種の音楽は、50年か100年に1度しか起こらないもので、豊かな信仰と完成の感覚に満ちている」としている。アイヴズ自身も、この作品を「私がやったものの中で最高の一つ」と述べているそうだ。

レコードの方に戻ると、ライナーノーツはヘンリー・カウエルが書いており、執筆同時、アイヴズは70代であったことが分かる。ウルトラモダンの作曲家によって最初に「発見」されたアイヴズは、当初20世紀前衛音楽/実験音楽の中で受容されていたことが良く分かる内容である。

[2024-03-28追記] Smithsonian FolkwaysのカスタムCDに関してはこちらをごらんいただきたい。なおライナーノーツはこのページから無料でダウンロードできるが、執筆者はヘンリー・カウエルではなくサミュエル・チャーターズである。

2024年3月26日火曜日

名古屋フィルハーモニー交響楽団 東京特別公演

2024.3.25 (月) 19:00東京オペラシティ コンサートホール
レスピーギ:交響詩《ローマの噴水》
レスピーギ:交響詩《ローマの松》
休憩
レスピーギ:交響詩《ローマの祭》

個人的には神奈フィルのイメージが強い川瀬賢太郎さんが昨年の4月に名フィル音楽監督に就任して最初の東京公演だそうです。これまで名フィルには何度かアメリカ音楽関連で楽曲解説やエッセイを書いておりまして、そのご縁も感じて行ってまいりました。「ローマ三部作」とあらば、やっぱり生で聴きたいですよね。CDを聴く時のリファレンス・ポイントとできるかな、と思いつつ。

《ローマの噴水》は、やはり三部作の中では描写的な要素が強く、オーケストラのきらびやかな音色が「映える」内容でした。落ち着いて、安心して味わえる演奏でした。「敬虔さ」ということでは、やっぱりこの曲なのかも。あまりカトリック的な要素はこの曲にはないのかもしれないけど。

《ローマの松》は、<アッピア>も含めて、僕なんかはどうしても(最近になって)ナショナリズムを感じてしますのですが、「松」そのものに何かを背負わせるのは難しいともいえますね。日本の能にしても、松は海にも山にも、季節を問わず存在する訳で、松そのものの描写というわけではありませんしね。バンダに関しては、トロンボーンがオルガンの左側、トランペットは下手側・上手側、客席中央に、ぞれぞれ。オルガンはオーケストラだけでは出せない重低音を継続して生み出すのに効果がありますね(《噴水》でもそうでしたが)。ナイチンゲールは、前後左右のサラウンドな感じ。そうそう<カタコンブ>の盛り上がりは、楽曲解説にもありますが「荘厳」でありました。

《ローマの祭り》は、古代の「野蛮」な競技のファンファーレ(バンダはオルガンの左右に2本ずつ)を経て(レスピーギにしては、かなり挑戦的な無調/調性ギリギリだったのかも)、からマンドリンの哀愁を経て、「エピファニー」の騒々しさ(これって一応クリスマスの最終日のはずだけど、イタリアのクリスマスのエンディングはこうなのかな?)。なかなか終わらないエンディングともいえるかと思うのですが、テンポや次のセクションへの入り方も工夫し、緊張感が保たれ、心臓のバクバクも止まりませんでした。あと、タヴォレッタを実演で見られて良かったかも。

音響の飽和状態も含めて、興奮の公演でございました。

この公演をもって引退されるというコンサート・マスターの日比浩一氏が紹介され、アンコールとして、マスカーニの《カヴァレリア・ルスティカーナ》の間奏曲が演奏されました。当たり前ながら「オペラの国・イタリア」を思い出しましたし、弦楽器の美しい歌が、得も知れぬ余韻となりました。





「ローマ三部作」で「お腹いっぱい」 (川瀬さん談) になり「魅惑の夜」(アンコール) を過ごし、初台から横浜へ帰りました。行きは相鉄→東横直通で、新宿三丁目まで乗換なしで来れるのはすごい。帰りも初台→新宿で、JR・相鉄直通線で帰りました。

2024年3月24日日曜日

アメリカの音楽:18〜19〜20世紀 (MIA-117)

The Society for the Preservation of the American Musical Heritage MIA 117.

BENJAMIN FRANKLIN (1706-1790)
Quartetto for Three Violins and Cello
PLAYED BY
MEMBERS OF THE ROYAL PHILHARMONIC (LONDON)

SIDNEY LANIER (1842-1881)
Wind Song (Flute solo), Blackbirds (Flute and Piano)
Danse des Moucherons (Flute and Piano)
PLAYED BY
SEBASTIAN CARATELLI, Flutist and RAYMOND VIOLA, Pianist

CHARLES T. GRIFFES (1884-1920)
Two Sketches for String Quartet Based on Indian Themes
PLAYED BY
THE DELME STRING QUARTET (LONDON)

収録作品=ベンジャミン・フランクリン:3挺のヴァイオリンとチェロのための四重奏曲、チャールズ・T・グリフィス:《弦楽四重奏のための2つのスケッチ》(インディアンの主題にもとづく)、シドニー・ラニアー:《風の歌》、《からす》、《ブヨの踊り》
演奏=ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団メンバー (フランクリン作品)、デルメ弦楽四重奏団 (ロンドン) (グリフィス作品)、セバスチャン・カラテッリ (フルート)、レイモンド・ヴィオラ (ピアノ) (ラニアー作品)


最近個人所有のコレクションからアメリカ音楽関連の音源を譲り受けた。CRIのレコードも多く、そちらはSpotifyなんかで簡単に聴けるしライナーもNew World Recordsのサイトから簡単にダウンロードできる。しかし中には入手が難しいものもあり、これもその1枚といえる。Music in Americaのシリーズは一般発売されておらず、もっぱら図書館に納入されていたアメリカ音楽のシリーズだ。アメリカ音楽遺産保存協会というのだろうか、カール・クリューガー (アメリカ国会図書館サイトの情報によると、彼は「アメリカ人指揮者」だそうだ) が創設し、運営したということになっているらしい。クリューガーが指揮した音源については、Bridge レコードがいくらかCD化している。ただ、CD化されていない音源も多い。

このレコードの場合は、シドニー・ラニアーのフルート作品が、珍しい音源といえそうで、ベンジャミン・フランクリン(開放弦の響きが面白い曲)とグリフィス作品については、コホン弦楽四重奏団による Vox Box レーベルの録音がいまでは入手できる (→Amazon)。

作品として聴いて面白いのは、そうは言ってもグリフィスの《弦楽四重奏のための2つのスケッチ》(インディアンの主題にもとづく) だろう。いわゆる「インディアニスト」の流れの作品で、マクダウェルの《インディアン組曲》と比べると、若干第2曲に下行音型に先住民音楽特徴があるとはいえるが、第1楽章の、神秘的でメランコリックな特徴はマクダウェルと共通したところがある。ただ、おそらくより悲哀のこもった響きがするあたり、コロニアリズムから脱したいという欲求が聴けるのか、どうか(難しいかなあ)といったところだろうか。

ラニアー作品は、米国産無伴奏フルートのレパートリーとして《風の歌》が貴重なのかな、という感じがする。残りの2作品は、学生なんかが取り上げるコンサート小品としては面白いのかもしれない。

“Certified organic.” Performance Today - March 18, 2024

NPRのラジオ番組『Performance Today』で聴いたアメリカ音楽作品のメモ。

Ernest Bloch: At Sea Lara Downes, piano. Album: America Again (Dorian 92207)
ブロッホがフィラデルフィア滞在時に書いた作品なんだそうだ。美しい。

Harry T. Burleigh: From the Southland: Movements 1, 2, 5, 6. Lara Downes, piano. Brevard Music Center, Parker Concert Hall, Brevard, NC.
バーレイっていうと、黒人霊歌のアレンジで有名だけれど、途中に《誰も知らない私の悩み》が登場してびっくりした。1910年の作品。

Margi Griebling-Haigh: Rhapsody for Violin and Piano. Peter Otto, violin; Randall Fusco, piano. Cleveland Composers Guild, Drinko Recital Hall, Cleveland State University, Cleveland, OH
マーギー・グリーブリング=ヘイっていうのは初めて聞く作曲家だ。番組ホストのフレッド・チャイルドによると、彼女は奨学金を得て大学で作曲を学んだのだけれど「アカデミックな作曲」に興味が持てず、最終的にはオーボエ演奏で学位を得た人だそうだ。ただ作曲自体はプライベートな関心として続け、娘の誕生を機に書いたのが、このヴァイオリン・ソナタだそう。「アカデミック」というのは、この場合、やはり「無調」「セリエル」ということなのか、とてもロマンティックなヴァイオリンの小品だ。

Florence Price: Passacaglia & Fugue. Alan Morrison, organ. Spivey Hall, Clayton State University, Morrow, GA
プライスって、ニューイングランド音楽院で作曲と同時にオルガンも習っていたのですね。シカゴ、1930年に虐待のため離婚し、シングル・マザーになった彼女はサイレント映画やラジオのためにオルガンも演奏したことのこと。1927年のこのオルガン作品は、タイトルからしてバッハ色が濃厚。

2024年3月23日土曜日

日本テレビ系列『世界一受けたい授業』最終回「ディズニー音楽の秘密を徹底解説!」の授業

 『世界一受けたい授業』の最終回、ディズニーの授業 (→公式サイト) では、私が書いた本『ディズニー・ミュージック』の内容をうまく番組情報として使っていただいたように思います。また、事前に打ち合わせした時にお話したことも内容に反映されておりました。以下、こういう内容が番組にあったなあという点を列挙してみます。

・民族楽器の使用(ダラブッカ、笛子、スティールパン)

・ディズニー独自色を出すためのクラシックの使用

・『ピノキオ』におけるライトモティーフ(登場人物ごとの旋律など)の使用

・『アラジン』に短く挿入された《星に願いを》

・《朝の風景》のCメロの使用(これは谷口出演の回でも紹介されました)

・『白雪姫』のスコアに書き込まれた「指示」(これも谷口出演の回でも紹介されました)

・『オリバー』におけるビリー・ジョエルの起用

・『バンビ』における「人間の動機」(実はハラミちゃんが言及されていた「雨の音」もあるんです)

・バンビが立ち上がる時のミッキーマウジング

・『ピーター・パン』におけるチャイム音の工夫

・『シンデレラ』から始まった、外部のシンガー・ソングライター起用

その他、知識としては知っていましたが、私がお話していない内容としては、EDMバージョンのディズニー・ソングなどもありますね。

そのほか目黒先生の授業で勉強になった点ですが、例えば「いろんな国の言葉で吹き替えをする時、『キャラクターの口の動きにその国の言葉を合わせる』というルールがあるというのは、実は私は授業のコメントとして学生からそれっぽい内容をいただいたことがあったのですが、ディズニーのプロダクションに関わっておられる方からお話を伺えて本当によかったです。また「キャラクターアニメーションに呼吸の動きを取り入れ、リアルな歌唱シーンを作るという工夫がされている」というのは、気が付かなかった点で、勉強になりました。

今回は収録日・放送日まで時間がなかったと思うのですが、その中で、この1時間枠を作られたのは大変だったと思います。制作関係者のみなさま、お疲れ様でした。また、<協力>として、谷口の名前と所属先をクレジットしていただきました。ありがとうございます。



2024年3月20日水曜日

映画『アメリカン・グラフィティ』

一応お勉強のために拝見。『ALWAYS三丁目の夕日』ですか?というのが最初の印象。それほど美化された1950年代という感じが最後まで残った。まあ、最後に文字で説明される情報で、それが…とも言えなくもないのだろうけど、それって『風立ちぬ』的なところなんかねえ。若い時にこれ観てアメリカに憧れるってことがなくて良かったかも。1973年だから、余計にベトナム前/公民権運動前の「オールディーズ世界」っていうことになるのかな。いやもちろん、この映画が大好きっていう人がいてもいいし、肯定的に観るひとを否定するつもりはない。

しかしこれ、ジョージ・ルーカス監督なのね。しかも、やっぱりあれ、ハリソン・フォードかぁ。『スター・ウォーズ』の時ほど顔に彫りがないように思えた。

2024年3月19日火曜日

ジェイコブ・ドラックマン作品のレコード

ジェイコブ・ドラックマン:《アニマスIII Animus III》(1968)、《シナプス→バレンタイン Synapse —> Valentine》(1969) アルヴィン・ブレーム (コントラバス) Nonesuch 71253 (レコード)

2部分からなる作品。まず後半の<バレンタイン>はコントラバスのためのヴィルトゥオーゾ・ピースといえるのだろう。動物的な感覚を感じさせる、直感的にも楽しめる作品。共鳴体を叩いたり、声を出すなど、通常のコントラバスの演奏法を稀にしか使わない作品ともいえる。これは県立音楽堂でライヴを聴いた作品だね。第1部<シナプス>は電子音のみによる。《バレンタイン》につながる意味を持たせているようだけれど、電子音の方にどのくらい減衰音があったのかどうか。ドラックマンが、その後ネオロマンに転向しなかったら、どうだったのかなあ?

2024年3月18日月曜日

映画『イージー・ライダー』

 冒頭のお気楽なイメージから…そう来たかあ。映画音楽史的には、既存のポピュラー名曲を使った(しかもテンプトラックについていたものも多い)作品として、その後「ヒット・ソングをただ使えばいい」的な安易路線へと映画音楽界を堕落させた先駆的な存在、のように語られるのかもしれないけど、いやはや、映画そのものは、特に後半、エスタブリッシュメントと信仰に触れる部分からは、けっこうエグいものがあるねえ。映像のスタイルも、なんというか、フランス的なところからかなり影響を受けているというか。これが1969年の作というところもすごいね。「暴力」とはなにか、という問いを突きつけてくるね。当時の衝撃作であったことは容易に想像できる。


僕は映画を観る時は、できるだけ作品に関する情報を入れないようにしている。サントラのライナーを冒頭だけ読んで、そのテーマを知ってしまって、ちょっと後悔はしているが、とはいえ、さすがにエンディングを予測するのは難しいかも。物語のそれまでのペースを考えても。


そうそう、挿入歌は基本的に移動シーンのモンタージュの背景に流れるという感じだけれど、実は移動先のエピソードになると、背景音楽が全然ないというのも、アメリカ映画としては珍しいかもしれない。ニューオーリンズ以降のシーンになると、ようやく背景音楽…というか、特殊映像と音楽との組み合わせがすごいね。

その他のキーワード=カトリック (少数派、JFK) 。使徒信条・主の祈り。

2024年3月16日土曜日

フィル・ニブロック『バオバブ』

Phill Niblock "Baobab" 
Quatuor Bozzini qb CQB 1924

「ハードコア・ドローン」と呼ばれるジャンルがあるらしい。どうやら反復ではない、音を長く引き伸ばす系の、ラ・モンテ・ヤング流のミニマル・ミュージックを継承するもので、リラックスして聴くことは困難な音楽のことのように思われた。

アルバムに収録されているのは《Disseminate》(1988)と《Baobab》(2011) の2曲。どちらも22〜23分のトラックである。通して流し聴きした感じ、ドローンの洪水の中に浸らされている感覚を覚える。しかし曲の原理原則は、とても繊細に考えられていることを思わされるという作品なんだろう。

ライナーによると、どちらの作品も、ボッゾーニ弦楽四重奏団のメンバーが20のトラックを使ったというマルチ録音で、5つの弦楽四重奏団に相当する20の楽器が演奏されているとのこと。

微分音が使われていて、聴きながら、おそらく倍音の操作なども、しっかりと耳と巧みな演奏技術で調整しながら進めていく作品なのだろう。そういった背後にあるものを考えれば、確かにしっかりと音に対峙しないといけない二作品であるとは思う。とは言っても、楽譜に向かい合う演奏者ではないリスナーは、あまり細やかな音の変化を追うことはできないのも事実だ。だから、どこまで「真剣」に「真摯」に向かうのか、その度合を慮るのも難しい。

最終的には各自で好きなように聴けばいい、ということになるとは思うが、かといって、リスナーの思いのままに、ということでもないだろう。その塩梅を常に思考しつつ向き合うことが、おそらく大切なのだ。

パワフルな作品である。

なお、演奏しているQuatuor Bozziniは「1999年にカナダで誕生した弦楽四重奏グループ」で、「ジョン・ケージやジェームズ・テニー、トム・ジョンソンなど巨匠勢の作品を100曲以上演奏」しているとのこと (→Art into Lifeさんのサイトから)

2024年3月15日金曜日

フェリス女学院大学音楽学部 卒業記念発表会 (2024年3月14日)

フェリス女学院大学の山手キャンパスにある、フェリスホールにて、音楽学部の卒業記念発表会を行いました。

最初に卒業研究論文や映像作品などのプレゼンテーションがあり、その後、いわゆる「卒業演奏」をする学生という順番でした。
フェリスホール舞台のプロジェクター

同窓会Fグループからは、素晴らしいお花をいただきました。ありがとうございます。

会場外には、卒業プロジェクトのパネル展示やPCによる映像作品・作成プログラム等の紹介もありました。

2024年3月11日月曜日

映画『サンセット大通り』(音楽=フランツ・ワックスマン)

 映画界の「忘れられたスター」の悲哀、ということなのだろうけど、最初にエンディングを見せるなど、プロットそのものよりも、execution の見事さに感動させられる作品というべきか。ロマンティックでメランコリックなスコアが全編に流れる。一方で、一昔前の音楽としてタンゴが登場し、それが幕切れにとても効果的に使われていつのは、映画の音楽の使い方を熟知している人たちの作品だなあと思った。

2024年3月10日日曜日

クリストファー・ラウス:The Surma Ritornelli (1983)

American Masters for the 21st Century. Society for New Music. Innova.
Spotify

11人の音楽家のための作品。ラウスの音楽はロックに影響されているなんて言われているようだけれども、これはストラヴィンスキーの《春の祭典》とかヴァレーズ辺りの音楽を思い出させる作風かも。

2024年3月9日土曜日

映画『GIANT』(1956、音楽=ディミトリ・ティオムキン)

カウボーイ・ソングをはじめとした、アメリカ民謡が随所に散りばめられた音楽。ロシア生まれのティオムキンは、映画音楽の世界で「アメリカン・サウンド」を聴かせ続けた作曲家なのだろう。 映画のほうはとても長い作品なので、実は全て通しで観てはいないのだが、一組の男女をもとにして、時代の移り変わりを映し出したものと理解した。基本的には『風と共に去りぬ』路線の叙事詩的な作品だと思うのだが、舞台がジョージア州ではなくて、テキサス州などが大きな違いということだろうか。それと時代がより現代に近いので、いわゆるラティーノ差別の問題など、後半には時代を映し出す展開も待っている。そのほかには、牧畜から石油産業への転換なども興味深い点である。ジェームズ・ディーン最後の出演映画と言うことも知った。いろいろ探ってみると、やはり後半の展開のディーンの立ち振る舞いがとても不自然だと言う指摘があった。確かにそうなのだが、この映画の筋書き上、それはやむを得ないのかもしれない。音楽的にも、ディーン役には特別に、常につきまとうテーマ音楽が流れているところもなかなか興味深かった。ディーンは主人公では無いのだろうが、彼の特異なキャラクターがとても生き生きとしていると言う感じもした。ただそれ故に、彼が亡くならなかったとして、彼がどれだけ多くの映画に出演できだのだろう、ということも感じた。特異なキャラに固定されてしまうが故の問題というか。デ・ニーロなんかもそうなんだろうけど。

2024年3月3日日曜日

映画『嵐の青春』(1942、音楽=エーリッヒ・コルンゴルト)

エロール・フリンの路線とは一味違うコルンゴルトのスコア。原題はKing’s Rowなのだが、コルンゴルトは当初、これを町の名前だと思ってなかったらしく、どこかの王国の話だと思ったらしい。登場する旋律がジョン・ウィリアムズの『スター・ウォーズ』に似ているという人もいるのだとか。言われてみれば、そうかもしれない。 しかし、この映画にロナルド・レーガンが出ているのは気が付かなかった。あとで写真を見て、「あ〜なるほど〜」と思った次第。しかし話としては、サディズムの医師という設定らしいのだが、うーむ、この映画が上映されたときは、ホットなトピックだったんだろうか。

【期間限定配信】YOKOSUKAで楽しむ女子旅 【制作:横国フェリス放送研究会のみなさん】

2024年3月2日土曜日

NETテレビ「題名のない音楽会」より交声詩 般若心経

 NETテレビ「題名のない音楽会」より交声詩 般若心経 (実況録音テープ使用) 黛敏郎指揮交響楽団、高田好篤管長他一山の僧侶、ワーナーブラザーズ・パイオニア L-10001W (レコード)

『題名のない音楽会』の番組そのものという感じのA面である。番組の趣旨は般若心経を読むということで、高田好胤 薬師寺管長が登場し、「般若心経」の「精神」、エッセンスをまず解説する。この高田氏の説明が、いわゆる「お経」に何が書かれているかという、キリスト教の礼拝における説教的なもの、すなわち経文の読み解きというよりも、経文から得られる感覚的なもの、それからそこから連なる道徳的なものの解説になっており、僧侶の価値観なのか、あるいは本当にお経に書かれていることなのか、とても気になるところであった。おそらくお経の読み解きよりも、日々の性格における「行い」の背後にある通俗的な教えに重きを置いているように思われた。その辺りがキリスト教の「説教」と仏教の「説話」の違いなのかな、という気はする。ただ、この番組が収録された時点から、家に神棚も仏壇も年配者もいない核家族化のなかで信仰心が喪失し、社会が荒廃している、知識だけをいくら高等教育機関で身に着けても「きちがいに刃物」(現在は放送禁止用語)でしかなく、「敬う心」が必要だということを述べておられた。キリスト教の場合は神への感謝とともに日常に派遣されるという発想だが、僧侶の教えでは、経文から得られる価値観を以下に日常の行いへと繋いでいくかということに重きを置いているようだった。

次に番組は、高田氏が師から教わったという、節をつけた般若心経を「即席」で披露し(会場も唱和)、次は普段の読経を一通り行ったのち、黛がオーケストラ伴奏を付けた読経を行うということであった。それが交声詩《般若心経》ということになるのだが、最後が D-dur になり、I-V-I-V I-V-I-Vとティンパニーが連打、「ダダダン」と終わるので、ディズニー映画ですか?という感じではある。ただそこに至るまでは、意外と苦心して不協和音を付けているという印象を受けた。とはいえ基本的にロマンティックな路線。「作品」そのものは大したことないけれど、番組の企画そのものは野心的だ。

これからの“学び” フェリス女学院大学 【泉区】2023年12月22日放送【特集 ピックアップ アーカイブ】

2024年3月1日金曜日

Nancy van de Vate (b. 1930) - Chernobyl (1987)

いまさらながら、この《チェルノブイリ》という管弦楽曲で名前を知ったナンシーなナンシー・ファン・デ・ヴェートが亡くなっていたのを知りました。昨年の7月29日、92歳だったそうです。アメリカの作曲家だそうですが、晩年の38年はウイーンに住んでいたのですね。

2024年2月27日火曜日

『退け、暗き影固定ドよ: ソルミゼーション研究』by 東川清一先生

僕自身は固定ドの人間なのですが、大学院は東川先生の授業も取っていたので、なかなか冷や汗をかきます…。いまは移動ドも絶滅危惧種なのでしょうか。僕が横浜に来る前は、富山の、お寺の合唱団で伴奏をしていたのですが、12〜3年前に70台だった方々は、みな移動ドで、結構苦労した記憶があります。この動画を見ながら、東川先生と「移動ド」のことを思い出しました。

YAMAHA MUSIC SCHOOL CM 「夢中な背中」篇(30秒)

2024年2月23日金曜日

日曜洋画劇場 Philips 18Y-1 アンリ・モリエール・オーケストラ

日曜洋画劇場 Philips 18Y-1 アンリ・モリエール・オーケストラ

こちらをようやく入手。ジャケット裏に、淀川長治氏のコメントが載っている。それによると、このレコードは『日曜洋画劇場』が10年目を迎えた年にリリースされたという。A面最初に番組のオープニング・テーマ、B面最初にクロージング・テーマが収録され、その間にいろいろな映画のテーマ音楽をアレンジしたものが収録されている。いわゆる「スクリーン・ムード」の1枚といえるのだろう。

ジャケットの他にはインサート(曲目解説)が入っているのだが、オープニング・テーマは曲目も書かれておらず、当然のように解説もなし、最後の《ソー・イン・ラブ》に至っては「⑨ソー・イン・ラブ (クロージング・テーマ) SO IN LOVE ■コール・ポーター作曲」とだけあって、解説部分は空白になっている。書くことがなかったのかな? 当時はまだ、これがモートン・グールド編曲だったということが確定していなかったということでもあろうか。

肝心のSo in Loveについては、アレンジ元として渡された音源が、グールド・オリジナル音源の2:10くらいまでなかったのか(あるいはその後もしばらくは残っているが最後まではなく、2:10部分までで終わらせようという決断に至ったのか)、そこまではグールド版のテイストをかなり残して(耳コピ+)アレンジしているのだが、2:10部分に到達したらAbからFmに転調。そしてモリエール版では、ここからAメロに戻って、オリジナル2:10の部分までの繰り返しになっている。そしてオリジナルの2:10部分(2回目)になったら、Abで華やかに終わるのだった(ちなみにグールド版はEbで終わっている)。2回繰り返しているのは演奏時間の尺が短すぎる問題があったのかもしれない。

演奏はスタジオ・ミュージシャンということになるのだろうけど、なかなかの力演。意外と難しいんだろうなあ、という感じは伝わってくる。ちなみに、レコードのはステレオ録音だけど、ピアノは右寄り、ハープは左寄りにミックスダウンされているように聴こえた。

YouTubeに残っている『日曜洋画劇場』のエンディングの音声と合わせてみた感じ、やはりモートン・グールド音源でない方は、このレコードのアンリ・モリエール・オーケストラの音源で間違いなさそうだ。

オープニング・テーマに関しても聴いてみたけれど、YouTubeの音源とは違ってそう。そもそもオリジナルはかなりテンポが速いし、ホルンのハイFに関してはアンリ・モリエール・オーケストラはノーミス一発録り?で決めてるけど、オリジナルの方は、外してる人もいるっぽいよね。モリエール…の方は、そもそもホルンは1本重ね録りかな? いやさすがに2本か?

(2024年2月28日追記) ちなみにYouTubeには「幻の別バージョン」として、モリエールのもありました。こちらです。


このYouTube動画へのコメントとして、以下のようなものがありました。ご参考まで (2024-11-08追記)。
【「幻」の別バージョン!】何故?こう呼ばれるのか?
このテイクを担当したのは、クロード・フィリップ・オーケストラ。
では彼は誰? そうです。神津善行その人です。 オープニング/テーマを作曲した神津さんがフィリップス・レコードからの依頼で数枚の『日曜洋画劇場』関連のアルバムを発売するにあたり、自身の本名を隠匿すると同時に、外国人演奏家風に考えついたのが、クロード・フィリップというペンネームでした。 そのアルバム類の最期に収録したのがこのテイクなのです。
だからオリジナルのモートン・グールド楽団のアレンジをそのまま踏襲して演奏しました。
それが、RAA全米音楽協会などからクレームなのか?
諸般の事情で、M・グールド盤を使えない時期に、神津善行氏のアレンジ盤をテレビ・サイズに編集して使った。 
これが真実です。
のちにモートン・グールド盤はCD化されたので、容易に聞けます。 
しかしこのテイクは未CD化なので、むしろ貴重な演奏です。 アップ主に感謝します。(@iglesiaselamor1569氏によるコメント)


2024年2月14日水曜日

音楽現代2024年3月号

音楽現代2024年3月号(vol.54 No.3)ですが、谷口は、以下の2つのレポートを書いております。どうぞよろしく!

・カラー口絵 
神奈川県民ホール C×C 作曲家が作曲家を訪ねる旅 Vol5
夏田昌和×アルノルト・シェーンベルク[生誕150年](p. 4)

・サー・アンドラーシュ・シフピアノ・リサイタル 2023  (ミューザ川崎、10/1)  (p. 109)

第28回フェリス女学院 メサイア演奏会

2024年2月12日 (月・祝)
G. F. ヘンデル:オラトリオ《メサイア》Ferris version
指揮:星野聡
ソプラノ:宮部小牧、中川みのり[音楽芸術学科3年]、世古有里奈[音楽芸術学科3年]
アルト:牧野真由美、廣田優芽[音楽芸術学科2年]
テノール:蔵田雅之
バス:土屋広次郎
管弦楽:フェリス室内管弦楽団
チェンバロ:長久真実子
オルガン:宇内千晴
合唱:フェリス女学院大学音楽学部合唱団





観客を入れての開催は5年ぶりとなる、「フェリスのメサイア」でした。合唱の女声パートは、フェリスの授業で「合唱I・II・III」を履修している学生で、男声は有志(といっても、とっても上手)の方が参加し、特別編成のオーケストラを、音楽芸術学科の主任でもある星野先生を指揮されました。フェリスといえば、長く続いている伝統の行事で、これまではクリスマスの時期に公演があったのですが、音楽的な側面(いわゆる演奏の仕上がり)も考慮し、この時期の開催となっております。今年はちょうど受難節になっていて、作品本来の趣旨がより活きる形になっていますね。

今回特質しておきたいのが、気持ち良くホールに響いた合唱かと思います。やはり時間をかけたリハーサルが良かったのか、GPでは緊張していてあまり声が出ていなかったとも伺いましたが、なんのなんの、とてもよく聴こえました。学生の独唱も堂に入っていて、オーケストラと溶け合っていました。

2024年2月11日日曜日

国会図書館のデジタル資料

 国会図書館のデジタル資料で、戦後富山のクラシック音楽の状況が色々と見られるようになって、なかなか面白い。石川県の資料でも、富山県内のコンサートや音楽団体について、下手をすると石川県の動向よりも詳しく長く書いてあり、特に富山県の音楽団体に対しては、とても辛辣に書いてあって、それがかえって刺激的だ。

レコード・コンサートの実態については、富山市立図書館の書庫にあった資料が一次資料といえるんだろうけど(引っ越しの時に、どうなったんだろうなあ)、高岡や魚津あたりのレコード・コンサートの情報もいろいろと分かってくるね。

2024年1月16日火曜日

映画『ベン・ハー 』を観た

 映画『ベン・ハー 』(1959、音楽=Miklós Rózsa) を観た。デジタル・リストアされたBlu-rayでとにかくきれい。

パックス・ロマーナというよりはパックス・アメリカーナを感じる…そういう時代の産物というべきか。タイトルの『ベン・ハー』って何かと思ったら、ユダ・ベン=ハーっていう名前のファミリー・ネームなんですね。そう考えると、ユダヤ世界ど真ん中ですね…。確かに長いのだけれども、長いという感覚をそれほど感じなかった。しかし、冒頭で、この映画を「イエスの物語」としているのだけれども、それはどうかなあ。生前のイエスに「出会っていた」という感じかなあ。

物語的にちょっと気になったのは、メッサラがどうしてそこまでベン・ハーを忌み嫌うのかについての動機づけが難しいなあという感じだろうか。あとは、ポンテオ・ピラトの名前が出てくる辺りから、結末はある程度予測できてしまうというところで、あの終結部に関しては「まあ、そうだよね」になってしまうということかもしれない。ただ、それを分かってでも、いかにそれを描くかという点では成功しているのだろうな、という気持ちは持てたかもしれない。聖書物語に親しんでいない人から見ると、やはり戦車競走がクライマックスで、あとは「オマケ」になるのだろうか。インターネットのコメントを見ていると、ところが案外エンディングにも感動している人がいるっぽいので、やはり execution が良かったということなんだろうな。

しかしチャールトン・ヘストンが、聖書のメッセージとはいえ「敵を愛せ」というメッセージに共感を寄せているというのは、なかなかだ。

ミリアムとティルザの「死病」(Wikipedia表記) の扱い方は、なかなか難しいところで、聖書の新共同訳の記述も随時変更をされているところだけれども、ビジュアルにすることで、そのシリアスさが伝わってくるというところか。

ロージャ・ミクローシュ (ミクロス・ローザ) 、長尺の映画に作曲するのは、さぞかし大変だったろうなあ。作曲にかかった時間も、そうとう長かったらしい(あとで調べてみなければ)。モーダルな旋律が、やっぱり歴史感を醸し出すには良いのだろうな。短7度上行→短3度下行→ターンの組み合わせって、ものすごくインパクトがあるので、ベン・ハー登場の度に、その旋律を出すところは、やはり音楽から映画を統一させるというところで、うまくいっているように思う。音楽的にも戦車競走の場面が有名だけれど、実際の競争が始まるや否や、音楽がすべて止まって、効果音だけになるという選択は素晴らしいと思う。あの場面、20分だっていうのだけれど(本当?)、ずっと短く感じられた。まあ、スペクタクルな映像という意味でも、圧巻ではある。チャールトン・ヘストンも、かなり練習したらしいし(『十戒』では2頭の馬だったそうだが、これは4頭だからなあ)。