最近古いビデオをデジタル化している。むかしは結構伝統音楽を録画していたんだなあと感心する。この「薪能あれこれ」は日光輪王寺の薪能(小督、石橋) の後に収録されていた解説コーナーで、山中先生のお話が、とても面白い。
もともと薪能(薪猿楽)は奈良・興福寺の修二会に付随するものだったが修二会の日付が定まらず(南北朝時代の争乱、興福寺の経済的理由から)、諸国を旅する演者たちを集められないということで(観阿弥が興福寺を説得したんだとか)、修二会の日程にかかわらず2月に薪猿楽をやるという習慣になったとのこと。一方で猿楽が面白くなって隆盛する時代だったこともあって、修二会に関わらず猿楽だけは観たいという僧侶たちの思いもあり、本来の宗教的行事から芸能を楽しむ場になっていったということだそうだ。へええ。
0 件のコメント:
コメントを投稿