2008年12月29日月曜日

映画『戦艦ポチョムキン』、クリティカル・エディション

小気味よいテンポでカットが挿入される、サイレント映画の傑作。僕はサイレント映画というのは、音がないから退屈するのだと、漠然と誤解していた。どのアングルから、どの方向から光の入った、どのくらいクローズアップした、どんな表情をしたカットを何秒挿入するのか、そんな「編集の妙技」と言ってしまえば陳腐この上ない一言に内包される感覚の鋭敏さが、映画にはきっと必要なのだろうな、と思わされた。

「圧政に虐げられた民衆が立ち上がる」というのを、いわゆる共産主義のプロパガンダだというのは簡単なことなのだけれど、高く掲げられる赤旗が星条旗で、字幕がアメリカ英語だったりして、細かな設定が「アメリカ仕様」だったらどうだろう。案外アメリカ人達は、「民主主義の勝利だ」と叫んで喜ぶんじゃないかと思ったりもする。大恐慌時代、アメリカのクラシック音楽にはナショナリズムが勃興した一方で、外ではマルクス主義に裏打ちされた労働運動も盛んになっていたのではなかっただろうか。いま若者の間で日本共産党を支持する人が増える一方で、日本全体が右傾化している。何となく歴史的に繰り返しているところもあるのではないかと思ったりもする。

2008年12月23日火曜日

映画『風とライオン』

音楽=ジェリー・ゴールドスミス。アラブもの映画音楽というと、『アラビアのロレンス』のを担当した、モーリス・ジャールが確立したステレオタイプなハリウッド・アラブ系音楽の呪縛というものはあるんじゃないかと思ったりもする。でも、ゴールドスミスくらいの大御所ならば、それもない、というのはひいき目過ぎるだろうか。打楽器がリードするという点では、確かにジャールの『アラビアのロセンス』が一つの規範だろう。ただ、甘美でノスタルジックな旋律はここには見出せない。そういう要素は、ジャール時代のハリウッド全体に要求された、いわゆる一般の人が漠然と「映画音楽」という言葉から想像するスタイルの一つだったんだろう。一方のゴールドスミスの旋律にノスタルジーはなく、ヒロイズムがある。

米軍の歩兵隊が宮殿を占拠しようという場面。行進や隊列の合図としてドラムが使われている。そして宮殿平定時には米国海兵隊の公式マーチ《忠誠》が使われていて、このスーザの行進曲がとても好きな私は、アラブ人たちの殺戮場面の後に《忠誠》が流れるという一連のシーンは、ひどく心が傷む。ところでこの《忠誠》という曲を、あの映画の設定で使うのは、時代考証的に正しいのだろうか? あるいはそれよりも、《忠誠》という曲が持つ象徴、ドラマ的な意味合いの方が、時代考証よりも優先されるということなのだろうか?

この場面の音楽の使い方というのは、いかにも征服者の音楽という感じがして、実に心地が悪い。そういう感情を引き起こす意図が、あそこにはあったのだろうか? あるいは国際感覚に欠けたヤンキーの一部が自分たちを「誇り」に思うことを見越しているのだろうか?

一方ショーン・コネリー率いる一団が「神への歌」を歌う場面があるが、たしかイスラムでは音楽と宗教は切り離すというのが常識となっていると思う。別に僕はゴールドスミスをくさそうとは思わないし、むしろ彼の音楽があったゆえに、あの映画が引き立っていると強く思うのだけれども、やはり多少民族音楽学をかじったが故に、イスラム社会と音楽との関係が気になってしまうのである。コネリーがアラーに祈りを捧げる場面がないのは、彼自身がイスラム教徒でないのであれば当然なのかもしれないけれど、それでは衣装以外に、彼のアラブ人としてのアイデンディティは、どう示されているのだろうか? これもまた気になるところである。

ところで『風とライオン』には2枚組のサントラ盤も出ている。スコアが映画にでた順番にすべて1枚のCDに収められ、かつてLPで出ていた時の形式による編集が2枚目に収められている。この2枚目には、軍楽隊の太鼓、スーザの《忠誠》の一部など、ソース・ミュージックも収録されている。

2008年12月16日火曜日

ドルリュー映画音楽集

Le Cinéma de Georges Delerue. Universal 531 263-0 (6CDs).

ドルリューの映画音楽を集めたもの。網羅的に概観し、一つの映画に1〜2トラック、テーマ音楽や有名どころのスコアを収録している。ライナーは、生前ドルリューと交流のあった人たちによる証言集となっている。

心の中にこだまするような印象的なフレーズがあったり、軽妙なリズムに一抹の寂しさがあったり。素直だからこそ訴えかける、多層的な感情表現をしみじみ味わいたい。

「映画音楽のような現代音楽」という言い方があるけれど、実際それは、どんなものなのだろう。映画音楽はイージーリスニングなのだろうか? ドルリューのテーマ音楽の中には、いわゆるイージーリスニングの音楽様式を彷彿とさせるものがあるが、必ずしも旋律が明確でない時もあるし、聴き流すにはあまりにも主張の強いものもある。

一つ一つの具体的作品ということになると分からないけれど、ドルリューの音楽に影響された、日本のテレビ主題曲は、かなり多いのではないだろうか?

2008年12月15日月曜日

最近入手した本

奥野宣之『情報は1冊のノートにまとめなさい』Nanaブックス

僕は情報集めのノウハウ本は結構好きなんだけれど、実際に買ったのは久しぶり。25万部突破とあるけれど、僕が賛同できる部分はある。例えば発想したことを、すぐそのままノートに書き留めるまでのハードルをできるだけ低くしておくことなど。

実は以前にノートをテーマごとに分けたことがあって、そうすると、アイディアを書く適切なノートが見つかるまで、思いついたことを覚えておかなければならないということが起こる。この記憶を保持することが、かなりしんどい。電話が入ったり、別の何かが起こると忘れてしまったりするものだ。だから1つにまとめておくというのは一つのやり方だと思う。

この本のもう一つのキーは、ノートに時系列に書いたメモを、パソコンを使ってデータ管理するということ。これは僕のCD-R管理法と似ている。僕は自分の所有するLPやエアチェック・カセットをCD-Rにしているんだけど、このCD-Rにはずっと通し番号をつけている (作った順になっているといってもいいだろう) 。そして、そのCD-Rのデータは、作曲家・演奏家で出せるようなデータベースにしている。といっても、究極的には作曲家や演奏家、おおよその曲名とCD-Rの番号がきちんと対応していることが大切で、対応関係さえちゃんとやっておけば、細かなデータがDB上になくとも、かなり有用に使えるというのが実感だ。マックのSpotlightのおかげで、テキスト形式のデータベースでも、かなり検索が楽になり、Excelを使ったDBにしなくてよかったなあ、と思う次第。

ただ、本の内容に戻ると、アイディアを即座に書くということに賛同はするものの、例えば印刷資料を折り曲げてノートに貼付けるというのはかなり面倒だし、その貼り付けたページの裏にメモを採るのがイヤだったりする。貼り付けた箇所とそうでない箇所に、段差ができてしまうからだ。また、チラシやらCDのライナーなどは、やっぱり、これまで通り、フォルダーに入れておきたい。要点をまとめる時の3 x 5カードも手放す気になれないしねえ。

まあ、だから、この本で学んだ事は、やはりアイディア・ノートは1つにして、常にそれを活用すること。そのアイディアをまとめる場合は、テーマ別ノートの活用も悪くないということなんだろうと思う。アイディア・ノートから情報を引き出せるような、上記CD検索のようなDBを作るかどうかは、検討課題だな。

この本には、その他にも、いろいろ面倒な方法がいろいろ書いてあって、おそらくこの本に書かれていることを忠実に実行して失敗する人もいるんじゃないかと思う。ようするに、自分なりにカスタマイズできるかどうかってところが最終的に重要なんだから、一つの参考という風に考えればいいんだと思う。

レッカ社 『アニメ×アニソン101連発—いつだって“星屑ロンリネス”と口ずさんでいた』ソニー・マガジンズ新書、2008年

QRコード付きでアニメの音楽本ということでは、僕のディズニー本と重なるところがある。でも中身は僕らの世代が楽しんだアニメ作品の紹介8割以上+アニソンのコメント2割以下という感じ。アニソンの歴史を知ろうという人向けではないように思う。アメリカでは最近ディズニー・レコードの歴史の本が出たようだ。そちらも早急に入手してみたいところだ。