2024年11月2日土曜日

レジャレン・ヒラー:ピアノ・ソナタ第4番・第5番

Lejaren Hillar, Sonata No. 4 for Piano (1950); Sonata No. 5 for Piano (1961). Frina Arschanska Boldt (No. 4); Kenwyn Boldt (No. 5). Orion ORS 75176.

レジャレン・ヒラー:ピアノ・ソナタ第4番 (1950)、第5番 (1961)。フリーナ・アルシェンスカ・ボルト、ケンウィン・ボルト(ピアノ)

レジャレン・ヒラーというと、どうしても音楽理論にもとづいたアルゴリズムによってコンピュターに作曲させたという弦楽四重奏のための《イリアック組曲》 (1957) のことを思い浮かべてしまう(曲の方は腑抜けするほどAIの作ったクラシックのような感じというべきか…)。しかし、彼自身が自分の意志で書いた曲 (?) はどんなものなのかな、という疑問を持って、このレコードを入手してみた。ヒラーって、プリンストンで化学を専攻しながら、作曲をミルトン・バビットとロジャー・セッションズに師事していたらしい。そうなると、余計に前衛/無調系なのかな、と思いつつ、でも、サイエンス系・技術系の人は、案外保守的な音楽好みなのでは、という先入観も持ってみたり。

作曲家自身による解説文よると、このレコードが発売された時点で、ヒラーは6曲のピアノ・ソナタを作曲していたらしく、収録されている4番と5番のほかには第1番(1946)、第2番(1947)があるという(3番には言及がない)。他にもピアノのための長大な作品があり、そのうち《12音による変奏曲 Twelve-Tone Variations》は別のレーベルに録音されているとのこと。ちょっと調べてみたら、そのレコードはTurnabout TV-S 34536で、YouTubeでも聴くことができる。

 

さてピアノ・ソナタ第4番の作風の特徴としてヒラー自身が説明するところによると、「最後のソナタを除く他のソナタのほとんどとは対照的に、ソナタ第4番はややプログラム的で、唯一ユーモラスな作品である」のだそうだ。確かにソナタ第4番の第2楽章にはスイングの感覚が感じられたり、黒人霊歌っぽい部分があったり、民謡っぽい部分があったり。クラシックは基本としつつ、いつの間にか異質なものが混ぜ込まれているという印象を持った。一方の第1楽章はロマンティックな作風だったりもする。

第5番のソナタは New World から別のピアニストによる演奏がCDでリリースされている。第1楽章は、すべての音程関係(短2・長2、短3・長3、完全4…)を含む音列が使われているそうだが (C, As, D, F, G, H, B, F, Es, E, A, Fis)、12音全てではなく、F音が重複し、Cesは欠けているとのこと。ソナタ形式を踏襲しつつ、再現部では(2つではなく)3つの主題が逆の順番で提示されるとのこと。


第2楽章は鍵盤の上半分の音域を意識的に使って書かれた「静寂に包まれた」音楽(12分半ほど)。第3楽章は調性の枠組みではないものの対照的な主題を提示するという点でロンドなのだそうだ。ソナタを作曲していた時期が《イリアック組曲》と重なっていたため、「チャンス・プロセス」にも強い関心を持っていたというのも興味深い。ただ聴いた限り、偶然性を感ずるところはなく、アクセントの出し方が面白い、スケルツォ的な性格の楽章なのだろうと思われた。

作曲家自身によると第4楽章は「7/8拍子と10/8拍子による素材の対比」であり、しかもジョン・ケージとの共作《HPSCHD》の「2つのチェンバロ・ソロで引用されている」とのことだった。《HPSCHD》は何度かさらっと聴いたはずなのだが、とっさに《HPSCHD》の曲が思い浮かばなかった…。2分もない、あっさりとしたエピローグだった。

個人的には第4ソナタが面白い発見だった。ヒラーが当時の批評として紹介したものをライナーノーツから引用してみると、「ヒラーのソナタは、ベートーヴェンからポップなダンス音楽まで、さまざまなスタイルのごった煮で、無声映画の音楽のように聴こえることが多い」だそうで、初演をしたピアニストのフリーナ・ボールドについて「中間楽章で聴衆の笑いが抑えられなくなったときに若干崩れたものの、献身的な演奏を披露した」とのこと。いま改めて演奏されたとしたら、案外普通に受け入れるんじゃないかと思う。

第5番の方は、《イリアック組曲》《HPSCHD》への言及で興味をそそられた。聴き比べてみる必要があるとは思う。

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