2 『ライオン・キング』組曲 《王様になるのが待ちきれない》
13 『リトル・マーメイド』組曲 《パート・オブ・ユア・ワールド》
20 『美女と野獣」組曲 《ベル》
ドン・ギリス:《辺境の町の肖像 Portrait of a Frontier Town》組曲から第3曲<牧場主の家でのパーティー Ranch House Party>演奏=スタンフォード・ロビンソン指揮ニュー・コンサート・オーケストラ(New Concert Orchestra; Stanford Robinson, conductor)
米Columbia時代のモートン・グールドの録音は、LP初期のモノラル録音(おそらくSPでもリリースされていたのだろう)のせいか、あまり聴かれることはないように思う。『日曜洋画劇場』のエンディング・テーマだった《ソー・イン・ラヴ》が収録されていたアルバム『カーテン・タイム』は、僕もオリジナルの音を突き止めるために買ったが、そのほかのアレンジもののアルバムはどうなのかな、と思って、ミュージカルの『カーテン・タイム』ではなく映画テーマ音楽が集められた『ムービー・タイム』も、実は入手している。
《ソー・イン・ラヴ》のような、ラフマニノフ風のシリアスなアレンジこそないのだけれど、いやあ、モートン・グールドのピアノは、このアルバムでも冴えていること。独特の哀愁が漂いますね。ピアノ作品の自作自演というレコードも米Daccaから出しているグールドなのですが、意外とそちらの方が耳に入ってこなかったんですよね。
モートン・グールドは、やっぱりオーケストラと共演した時の方が面白いのかな、と思いました。
惜しむらくは、このアナログ音源のデジタル化。もう少しうまく音響処理できなかったのかなあ、というところだろうか。
3楽章形式。Varoom!、We Rose Up Slowly、In the Carというタイトルが付いている。
ケンジ・バンチ氏 (→作曲者サイト) は母親が日本人で父親がイギリス・スコットランド系アメリカ人なんだそうだ。なるほど、それで「ケンジ」ということか。ただ日本語が堪能かというとそうではないらしく、「半日本語 (half-Japanese)」が堪能なんだとか。よくわからない…。
この交響曲第1番は、おそらく商用音源にはなっていないとおもう。アメリカの画家ロイ・リキテンスタイン(→参考)へのオマージュということだそうで、3枚のコミック風の絵画の大胆な高揚感と色彩からインスピレーションを得ているとのこと。ジャズやポップスの要素を柔軟に取り入れているのだけれども、そのポピュラー音楽の影響が強いためか、「これって本当に交響曲と呼んでいいの?」という感覚を覚える。折衷主義が主流のアメリカ音楽の「いま」を聴くということになるのかな。
2004年、カリフォルニアサンタローザのサンタローザ交響楽団(指揮=ジェフリー・カヘーン)によって初演されたということだから、このSoundCloudの音源は初演時のものなのかも。
『世界一受けたい授業』の最終回、ディズニーの授業 (→公式サイト) では、私が書いた本『ディズニー・ミュージック』の内容をうまく番組情報として使っていただいたように思います。また、事前に打ち合わせした時にお話したことも内容に反映されておりました。以下、こういう内容が番組にあったなあという点を列挙してみます。
・民族楽器の使用(ダラブッカ、笛子、スティールパン)
・ディズニー独自色を出すためのクラシックの使用
・『ピノキオ』におけるライトモティーフ(登場人物ごとの旋律など)の使用
・『アラジン』に短く挿入された《星に願いを》
・《朝の風景》のCメロの使用(これは谷口出演の回でも紹介されました)
・『白雪姫』のスコアに書き込まれた「指示」(これも谷口出演の回でも紹介されました)
・『オリバー』におけるビリー・ジョエルの起用
・『バンビ』における「人間の動機」(実はハラミちゃんが言及されていた「雨の音」もあるんです)
・バンビが立ち上がる時のミッキーマウジング
・『ピーター・パン』におけるチャイム音の工夫
・『シンデレラ』から始まった、外部のシンガー・ソングライター起用
その他、知識としては知っていましたが、私がお話していない内容としては、EDMバージョンのディズニー・ソングなどもありますね。
そのほか目黒先生の授業で勉強になった点ですが、例えば「いろんな国の言葉で吹き替えをする時、『キャラクターの口の動きにその国の言葉を合わせる』というルールがあるというのは、実は私は授業のコメントとして学生からそれっぽい内容をいただいたことがあったのですが、ディズニーのプロダクションに関わっておられる方からお話を伺えて本当によかったです。また「キャラクターアニメーションに呼吸の動きを取り入れ、リアルな歌唱シーンを作るという工夫がされている」というのは、気が付かなかった点で、勉強になりました。
今回は収録日・放送日まで時間がなかったと思うのですが、その中で、この1時間枠を作られたのは大変だったと思います。制作関係者のみなさま、お疲れ様でした。また、<協力>として、谷口の名前と所属先をクレジットしていただきました。ありがとうございます。
一応お勉強のために拝見。『ALWAYS三丁目の夕日』ですか?というのが最初の印象。それほど美化された1950年代という感じが最後まで残った。まあ、最後に文字で説明される情報で、それが…とも言えなくもないのだろうけど、それって『風立ちぬ』的なところなんかねえ。若い時にこれ観てアメリカに憧れるってことがなくて良かったかも。1973年だから、余計にベトナム前/公民権運動前の「オールディーズ世界」っていうことになるのかな。いやもちろん、この映画が大好きっていう人がいてもいいし、肯定的に観るひとを否定するつもりはない。
しかしこれ、ジョージ・ルーカス監督なのね。しかも、やっぱりあれ、ハリソン・フォードかぁ。『スター・ウォーズ』の時ほど顔に彫りがないように思えた。
ジェイコブ・ドラックマン:《アニマスIII Animus III》(1968)、《シナプス→バレンタイン Synapse —> Valentine》(1969) アルヴィン・ブレーム (コントラバス) Nonesuch 71253 (レコード)
2部分からなる作品。まず後半の<バレンタイン>はコントラバスのためのヴィルトゥオーゾ・ピースといえるのだろう。動物的な感覚を感じさせる、直感的にも楽しめる作品。共鳴体を叩いたり、声を出すなど、通常のコントラバスの演奏法を稀にしか使わない作品ともいえる。これは県立音楽堂でライヴを聴いた作品だね。第1部<シナプス>は電子音のみによる。《バレンタイン》につながる意味を持たせているようだけれど、電子音の方にどのくらい減衰音があったのかどうか。ドラックマンが、その後ネオロマンに転向しなかったら、どうだったのかなあ?
冒頭のお気楽なイメージから…そう来たかあ。映画音楽史的には、既存のポピュラー名曲を使った(しかもテンプトラックについていたものも多い)作品として、その後「ヒット・ソングをただ使えばいい」的な安易路線へと映画音楽界を堕落させた先駆的な存在、のように語られるのかもしれないけど、いやはや、映画そのものは、特に後半、エスタブリッシュメントと信仰に触れる部分からは、けっこうエグいものがあるねえ。映像のスタイルも、なんというか、フランス的なところからかなり影響を受けているというか。これが1969年の作というところもすごいね。「暴力」とはなにか、という問いを突きつけてくるね。当時の衝撃作であったことは容易に想像できる。
僕は映画を観る時は、できるだけ作品に関する情報を入れないようにしている。サントラのライナーを冒頭だけ読んで、そのテーマを知ってしまって、ちょっと後悔はしているが、とはいえ、さすがにエンディングを予測するのは難しいかも。物語のそれまでのペースを考えても。
そうそう、挿入歌は基本的に移動シーンのモンタージュの背景に流れるという感じだけれど、実は移動先のエピソードになると、背景音楽が全然ないというのも、アメリカ映画としては珍しいかもしれない。ニューオーリンズ以降のシーンになると、ようやく背景音楽…というか、特殊映像と音楽との組み合わせがすごいね。
その他のキーワード=カトリック (少数派、JFK) 。使徒信条・主の祈り。
映画界の「忘れられたスター」の悲哀、ということなのだろうけど、最初にエンディングを見せるなど、プロットそのものよりも、execution の見事さに感動させられる作品というべきか。ロマンティックでメランコリックなスコアが全編に流れる。一方で、一昔前の音楽としてタンゴが登場し、それが幕切れにとても効果的に使われていつのは、映画の音楽の使い方を熟知している人たちの作品だなあと思った。
11人の音楽家のための作品。ラウスの音楽はロックに影響されているなんて言われているようだけれども、これはストラヴィンスキーの《春の祭典》とかヴァレーズ辺りの音楽を思い出させる作風かも。
NETテレビ「題名のない音楽会」より交声詩 般若心経 (実況録音テープ使用) 黛敏郎指揮交響楽団、高田好篤管長他一山の僧侶、ワーナーブラザーズ・パイオニア L-10001W (レコード)
『題名のない音楽会』の番組そのものという感じのA面である。番組の趣旨は般若心経を読むということで、高田好胤 薬師寺管長が登場し、「般若心経」の「精神」、エッセンスをまず解説する。この高田氏の説明が、いわゆる「お経」に何が書かれているかという、キリスト教の礼拝における説教的なもの、すなわち経文の読み解きというよりも、経文から得られる感覚的なもの、それからそこから連なる道徳的なものの解説になっており、僧侶の価値観なのか、あるいは本当にお経に書かれていることなのか、とても気になるところであった。おそらくお経の読み解きよりも、日々の性格における「行い」の背後にある通俗的な教えに重きを置いているように思われた。その辺りがキリスト教の「説教」と仏教の「説話」の違いなのかな、という気はする。ただ、この番組が収録された時点から、家に神棚も仏壇も年配者もいない核家族化のなかで信仰心が喪失し、社会が荒廃している、知識だけをいくら高等教育機関で身に着けても「きちがいに刃物」(現在は放送禁止用語)でしかなく、「敬う心」が必要だということを述べておられた。キリスト教の場合は神への感謝とともに日常に派遣されるという発想だが、僧侶の教えでは、経文から得られる価値観を以下に日常の行いへと繋いでいくかということに重きを置いているようだった。
次に番組は、高田氏が師から教わったという、節をつけた般若心経を「即席」で披露し(会場も唱和)、次は普段の読経を一通り行ったのち、黛がオーケストラ伴奏を付けた読経を行うということであった。それが交声詩《般若心経》ということになるのだが、最後が D-dur になり、I-V-I-V I-V-I-Vとティンパニーが連打、「ダダダン」と終わるので、ディズニー映画ですか?という感じではある。ただそこに至るまでは、意外と苦心して不協和音を付けているという印象を受けた。とはいえ基本的にロマンティックな路線。「作品」そのものは大したことないけれど、番組の企画そのものは野心的だ。
日曜洋画劇場 Philips 18Y-1 アンリ・モリエール・オーケストラ
こちらをようやく入手。ジャケット裏に、淀川長治氏のコメントが載っている。それによると、このレコードは『日曜洋画劇場』が10年目を迎えた年にリリースされたという。A面最初に番組のオープニング・テーマ、B面最初にクロージング・テーマが収録され、その間にいろいろな映画のテーマ音楽をアレンジしたものが収録されている。いわゆる「スクリーン・ムード」の1枚といえるのだろう。
ジャケットの他にはインサート(曲目解説)が入っているのだが、オープニング・テーマは曲目も書かれておらず、当然のように解説もなし、最後の《ソー・イン・ラブ》に至っては「⑨ソー・イン・ラブ (クロージング・テーマ) SO IN LOVE ■コール・ポーター作曲」とだけあって、解説部分は空白になっている。書くことがなかったのかな? 当時はまだ、これがモートン・グールド編曲だったということが確定していなかったということでもあろうか。
肝心のSo in Loveについては、アレンジ元として渡された音源が、グールド・オリジナル音源の2:10くらいまでなかったのか(あるいはその後もしばらくは残っているが最後まではなく、2:10部分までで終わらせようという決断に至ったのか)、そこまではグールド版のテイストをかなり残して(耳コピ+)アレンジしているのだが、2:10部分に到達したらAbからFmに転調。そしてモリエール版では、ここからAメロに戻って、オリジナル2:10の部分までの繰り返しになっている。そしてオリジナルの2:10部分(2回目)になったら、Abで華やかに終わるのだった(ちなみにグールド版はEbで終わっている)。2回繰り返しているのは演奏時間の尺が短すぎる問題があったのかもしれない。
演奏はスタジオ・ミュージシャンということになるのだろうけど、なかなかの力演。意外と難しいんだろうなあ、という感じは伝わってくる。ちなみに、レコードのはステレオ録音だけど、ピアノは右寄り、ハープは左寄りにミックスダウンされているように聴こえた。
YouTubeに残っている『日曜洋画劇場』のエンディングの音声と合わせてみた感じ、やはりモートン・グールド音源でない方は、このレコードのアンリ・モリエール・オーケストラの音源で間違いなさそうだ。
オープニング・テーマに関しても聴いてみたけれど、YouTubeの音源とは違ってそう。そもそもオリジナルはかなりテンポが速いし、ホルンのハイFに関してはアンリ・モリエール・オーケストラはノーミス一発録り?で決めてるけど、オリジナルの方は、外してる人もいるっぽいよね。モリエール…の方は、そもそもホルンは1本重ね録りかな? いやさすがに2本か?
(2024年2月28日追記) ちなみにYouTubeには「幻の別バージョン」として、モリエールのもありました。こちらです。
音楽現代2024年3月号(vol.54 No.3)ですが、谷口は、以下の2つのレポートを書いております。どうぞよろしく!
国会図書館のデジタル資料で、戦後富山のクラシック音楽の状況が色々と見られるようになって、なかなか面白い。石川県の資料でも、富山県内のコンサートや音楽団体について、下手をすると石川県の動向よりも詳しく長く書いてあり、特に富山県の音楽団体に対しては、とても辛辣に書いてあって、それがかえって刺激的だ。
レコード・コンサートの実態については、富山市立図書館の書庫にあった資料が一次資料といえるんだろうけど(引っ越しの時に、どうなったんだろうなあ)、高岡や魚津あたりのレコード・コンサートの情報もいろいろと分かってくるね。
映画『ベン・ハー 』(1959、音楽=Miklós Rózsa) を観た。デジタル・リストアされたBlu-rayでとにかくきれい。
パックス・ロマーナというよりはパックス・アメリカーナを感じる…そういう時代の産物というべきか。タイトルの『ベン・ハー』って何かと思ったら、ユダ・ベン=ハーっていう名前のファミリー・ネームなんですね。そう考えると、ユダヤ世界ど真ん中ですね…。確かに長いのだけれども、長いという感覚をそれほど感じなかった。しかし、冒頭で、この映画を「イエスの物語」としているのだけれども、それはどうかなあ。生前のイエスに「出会っていた」という感じかなあ。
物語的にちょっと気になったのは、メッサラがどうしてそこまでベン・ハーを忌み嫌うのかについての動機づけが難しいなあという感じだろうか。あとは、ポンテオ・ピラトの名前が出てくる辺りから、結末はある程度予測できてしまうというところで、あの終結部に関しては「まあ、そうだよね」になってしまうということかもしれない。ただ、それを分かってでも、いかにそれを描くかという点では成功しているのだろうな、という気持ちは持てたかもしれない。聖書物語に親しんでいない人から見ると、やはり戦車競走がクライマックスで、あとは「オマケ」になるのだろうか。インターネットのコメントを見ていると、ところが案外エンディングにも感動している人がいるっぽいので、やはり execution が良かったということなんだろうな。
しかしチャールトン・ヘストンが、聖書のメッセージとはいえ「敵を愛せ」というメッセージに共感を寄せているというのは、なかなかだ。
ミリアムとティルザの「死病」(Wikipedia表記) の扱い方は、なかなか難しいところで、聖書の新共同訳の記述も随時変更をされているところだけれども、ビジュアルにすることで、そのシリアスさが伝わってくるというところか。
ロージャ・ミクローシュ (ミクロス・ローザ) 、長尺の映画に作曲するのは、さぞかし大変だったろうなあ。作曲にかかった時間も、そうとう長かったらしい(あとで調べてみなければ)。モーダルな旋律が、やっぱり歴史感を醸し出すには良いのだろうな。短7度上行→短3度下行→ターンの組み合わせって、ものすごくインパクトがあるので、ベン・ハー登場の度に、その旋律を出すところは、やはり音楽から映画を統一させるというところで、うまくいっているように思う。音楽的にも戦車競走の場面が有名だけれど、実際の競争が始まるや否や、音楽がすべて止まって、効果音だけになるという選択は素晴らしいと思う。あの場面、20分だっていうのだけれど(本当?)、ずっと短く感じられた。まあ、スペクタクルな映像という意味でも、圧巻ではある。チャールトン・ヘストンも、かなり練習したらしいし(『十戒』では2頭の馬だったそうだが、これは4頭だからなあ)。