2005年2月6日日曜日

富山シティ・フィルのマーラー5番

富山シティフィルハーモニー管弦楽団 第23回定期演奏会 2月6日(日)富山市・オーバード・ホール、午後2時開演
吉田裕史指揮

ヨハン・シュトラウス2世 喜歌劇《こうもり》序曲
マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調

団員の吉田さんからご招待に預かり、久しぶりにシティ・フィルを聴く。おそらく高校の時以来だから、もう20年近く行ってないことになるのだろうか。やはりマーラー、しかも1番以外というのは、もうそれだけで興味を持ってしまう。私のようなオーケストラ音楽の愛好家はやはりマーラーやブルックナー(できれば4番以外)やショスタコーヴィチ(5番以外)を聴きたいものなのである。

技術的な問題は確かにあるけれど(アマオケによる同曲は東京で聴いた新交響楽団についで2度目)、それはある程度シティ・フィルは克服しているようなので、私の方もとやかく考えずに聴いたところがある。案外そういった問題だけでなく、例えば古典派の作品のように、ピアノで容易に声部の動きが分かるような作品でないところに、こういうマーラーの難しさがるのだということが分かり、そういう点が今回の収穫だったかもしれない。

マーラーはオーケストラの楽器法を熟知していたのだろう。特殊奏法の使い方だけでなく、思わぬ楽器の組み合わせを同時進行させるように思う。安易に「弦楽器群」「管楽器群」といった分け方だけでなく、これらの複数の群から一つずつとりだして一つの声部、もう一つずつ取り出して二つ目の声部といったことがかなり行われているように思う。指揮者の力量も問われるし(明確なキュー出しだけでなく、無理のない音楽作りということも含めて、今回の指揮者は素晴らしかった。Bravo!)、演奏家の方も、自分が演奏する個々のフレーズが、特定の部分で、あるいは曲全体の中でどんな役割を担っているのかが分かりにくいこともあるように思う(互いの音が聞こえにくいホールならば、この問題は顕著になる)。また旋律も断片だけとか、アタックなどで色彩効果を狙っているとか、いちいち細かい。マーラーは楽譜をピアノからではなくて、楽器の音とともに考えていたと言っていた大学の先生がいたけれど、その通りかもしれない。

第3楽章ではホルンを指揮者そばに立たせていた(ホルンもBravo!)。サイモン・ラトルもこれを行っており、あるいは近年の「演奏習慣研究」による初演当時の演奏法重視の流れに乗ったものなのかもしれない。これで面白いのは、視覚的に「オブリガート・ホルン」のパートが具体的に明らかになることと、これを音響的に際立てることの意味を考えられたことだろうか。客席からみて左側の反響版に跳ね返る独奏ホルンの響きが、その他のパートと対比され、またデイル・クレヴェンジャーのように顔を真っ赤にして強奏ソロ部分を演奏しなくても、それなりに聴けるということが分かったように思う。

バランス的にはティンパニーがすごく大きく、弦楽器はやや引っ込みがちだったけれど、ティンパニーの音が大きいのは独特の効果としても面白いのだろうか(という気もする)。

帰り道でフィルハーモニア版のスコアを持っている人を見かけた。やっぱりみんな、好きなんですねえ。私はまだ全音版しか持ってないんですが…。次はぜひ9番でも…。

ところでコンサート・オープナーはヨハン・シュトラウス2世の《こうもり》序曲。アンサンブルの技術的な問題がこんなに出る曲だとは思わなかった。マーラーよりも酷だったかも。

ついでに来月の《カルメン》のチケットも購入。もう5階席しかないのか…。大した人気である

メモ:オーバード・ホールに関する不満など

(1)「インフォメーション」というのは何のためにあるのだろう? ホールには何度も行ったが、いまだによく分からないコーナーである。公演に関するグッズ発売でもすればいいのに。せっかくならチケット販売もすればいいのに???

(2)そのチケット販売のブースがどうしてエスカレーター付近にないのだろう? アスネットカウンターの存在を知っている人はいいけれど、そうでない人にはやや不親切に思われるのだが(あのカウンター周辺は、機能的にホールから切り離した方がいいと思う。残したいのなら残すで、やはりエスカレーター付近か出口付近にあった方がいいと思う)。人の流れがそっちに行くから。

(3)駅北駐車場にもっと行きやすくならないのだろうか? いちいち階段を降りて道路を渡らなくてもいいような通路があればいいのに。

ところでオーバード・ホールの業務を民間に委託する動きがあるという噂も聞いたのだが、本当なのだろうか? 赤字続きだとも聞いている…。

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