2015年5月20日水曜日

図書館を使うことについて

佐賀・武雄市図書館に行ってみた(上)「公共」置き去り?、カフェ併設来館者3倍に:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社
http://www.kanaloco.jp/article/69527

日本の公共図書館を無料貸本屋付のカフェにする、このような動きは、アメリカの公共図書館とはまた違った方向へ向かっているような気がします。アメリカの場合、いわゆる新書や文庫というものがなく(小さなサイズのペーパーバックはフィクション中心ですね)、ハードカバーが高いという問題はあると思いますが、それにしても「人が来ればよい」ということだけで「公共」は語れないでしょうし、人を呼び集めるときに、どのような施策があるのかについて、一考を迫っているようにも思います。

ちょっと考えてしまうのが、例えばスタバが儲からなくなって撤退したら、この図書館はどうなるのだろうという疑問。スタバが永遠に続くと仮定すると、そのような問いは馬鹿げているのかもしれないけど、スタバも「神」ではありませんので。

それから顧客データと図書館カードの問題がクローズアップされましたけれど、いずれにせよ、図書館に来る客層というのは、詳細なデータはなくとも店員が直接間近で把握できるのですから、当然企業体としておいしい商売と考えられます。図書館には食堂なり喫茶室が付いていることはありますが、それはどちらかというと厚生施設としての役割を担わされているように思います。この場合、スタバのような企業が独占的に引き受けているのは、そのような機能なのか、あるいは違うのか。いろいろ問題はありそうです。

日本の学校で「勉強」というのは、次の学校へ入学するための試験のためにするものであり、学習内容は、その教科書の中から出題されるというものになってはいないでしょうか? 決められた枠組みの知識をどれだけ記憶できるかということで学力を計るということが「勉強」であれば、図書館というのは、その枠内の知識を詰め込むために参考書なりを使って学ぶ場所になり、図書館にいくら本を並べておいても、自習室にしかならないということでしょう(もちろん気晴らしに本を読む可能性はあるとしても)。つまり図書館をいかに使うのか、それがいかに大切なことなのかということは知らずに大学に入り、そこで突如としてレポートを書く必要に迫られてくるのですね。これはやはり、日本の教育の問題でもあると思います。

ところで、以下はアメリカの公共放送の子ども向け番組『アーサー』で放送された、読書と図書館の使用を促すエピソードの一部です。図書館に人を連れてくるということであれば、人気のカフェでやるのではなく、こういうアプローチの方が個人的には好みです。

ARTHUR |  Having Fun Isn't Hard When You've Got a Library Card



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