2015年5月20日水曜日

ちゃんと調べてみる必要性

ガーシュインがラヴェルに弟子入りを断られたという話がされたのは、ナディア・ブーランジェに教わりにいった先のパリの出来事だということを言う人がいるらしい。「そうだったっけ?」と気になって、ちょっと調べてみた。

いくつか資料を眺めてみると、実はその発言はラヴェルがアメリカに来た時の話ということになる。エヴァ・ゴティエ宅で行われたパーティーで(ホステス以外は全員男性だったという、ラヴェルの要望で)、当日の通訳をしたゴティエが語ったところによると、ラヴェルは "it would probably cause him to write bad 'Ravel' and lose his great gift of melody and spontaneity."と語ったらしい。

Howard Pollackの伝記によると、ガーシュインもラヴェルも互いの音楽語法についてあまり知らなかったのだから、ガーシュインの申し出というのは"quixotic" (現実離れ/夢物語?) だったが、ラヴェルの方はそれをかなり真剣に考えて断ったようだ。親切にもラヴェルはナディア・ブーランジェに教わったらどうかとガーシュインにアドバイスしており、またパーティーの翌日には自らブーランジェ宛にガーシュインを紹介する手紙をラヴェルは書いているのだった。

ガーシュインを語るときによく使われる「1流のガーシュイン、2流のラヴェル云々」という言い回は、音楽評論家のDavid Ewenあたりが最初に広めたしらしい。 "Why do you want to become a second-rate Ravel when you are already a first-rate Gershwin?" がそうだ。

さらに映画『アメリカ交響楽』で"Gershwin, if you study with me, you'll only write second-rate Ravel instead of first-rate Gershwin" となって、定着したのだという。

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