2024年11月29日金曜日

NHK『薪能・日光輪光寺』から「薪能あれこれ」(1991年10月10日放送)


 

最近古いビデオをデジタル化している。むかしは結構伝統音楽を録画していたんだなあと感心する。この「薪能あれこれ」は日光輪王寺の薪能(小督、石橋) の後に収録されていた解説コーナーで、山中先生のお話が、とても面白い。

もともと薪能(薪猿楽)は奈良・興福寺の修二会に付随するものだったが修二会の日付が定まらず(南北朝時代の争乱、興福寺の経済的理由から)、諸国を旅する演者たちを集められないということで(観阿弥が興福寺を説得したんだとか)、修二会の日程にかかわらず2月に薪猿楽をやるという習慣になったとのこと。一方で猿楽が面白くなって隆盛する時代だったこともあって、修二会に関わらず猿楽だけは観たいという僧侶たちの思いもあり、本来の宗教的行事から芸能を楽しむ場になっていったということだそうだ。へええ。

2024年11月8日金曜日

フレッド・ラーダール:弦楽四重奏曲第2番 (1982)

フレッド・ラーダール:弦楽四重奏曲第2番 (1982) プロ・アルテ弦楽四重奏団 Fred Lerdahl, Second String Quartet (1982). Pro Arte Quartet. Laurel Record LR-128

とある方から譲り受けたアメリカの弦楽四重奏団のレコード・コレクションを少しずつ聴いています。今回はこのローレル・レコードの1枚です。

作曲者のフレッド・ラーダール (レルダールという発音もあるようですが、どうなんでしょうね?) は1943年ウィスコンシン州マディソン生まれ。ローレンス大学、プリンストン大学、タングルウッドに学びました。プリンストンではアール・キムやミルトン・バビットに指示しています。フルブライト奨学生としてフライブルグ音楽大学に指示し、ウォルフガング・フォルトナーに師事しています。

作曲の教師としてはカリフォルニア大学バークレー校(1969-71年)、ハーバード大学(1971-9年)、コロンビア大学(1979-85年)、ミシガン大学(1985-91年)で教鞭をとり、1991年にはコロンビア大学のフリッツ・ライナー作曲科教授に任命されました。

弦楽四重奏曲第2番 (1980-82) は全米芸術基金の援助を受けてプロ・アルテ・カルテットが委嘱した作品です。この作品の最初のバージョンは、1981年にウィスコンシン州マディソンでプロ・アルテ弦楽四重奏団によって演奏されています。その後改訂版は1983年11月、ニューヨークで開催された国際現代音楽協会(ISCM)のコンサートでやはりプロ・アルテによって初演されています。このLaurel Recordの録音は初演者によるものです。

作曲者が書き記した楽曲解説を転載します (自動翻訳ツールを使用しています)。

弦楽四重奏曲第2番は2つの部分に分かれる長い楽章で、第2部は第1部の拡大版である。各部分は順に(1)静かで憧憬に満ちた序奏部、(2)非常に多声的で複雑かつほとんど暴力的な表現の平行展開部 (parallel developmental sections)、(3)蓄積されたエネルギーを徐々に発散させる波のような旋風のパッセージ、(4)脈打つが控えめなスケルツァンドに続く、より緩やかで叙情的な部分、(5)コラール・コーダに分かれる。最後のコラールは、作品の根底にある和声構造を回顧的に明らかにすると同時に、それに先立つ激動の幻想曲に対する訝しげな安らぎを与えている。

別の見方をすれば、第2弦楽四重奏曲は、ジュリアード弦楽四重奏団から委嘱された第1弦楽四重奏曲 (1978) の続編である。あの作品は、幾何学的に広がる15の変奏曲という形式をとっており、第2四重奏曲はさらに2つの変奏曲で構成されている。第1四重奏曲は内向的で、探求的で、予期せぬ変化や沈黙がある。第2番は外向的で情熱的、発展的、エネルギーと広がりに満ちている。

私の弦楽四重奏曲第2番を演奏するのは簡単なことではない。プロ・アルテは、正確さと作曲家の意図の実現に異常に熱心だということで、作曲家の間で長い間、内輪の評判になっていた。しかし、このクァルテットが私の作品をこれほど見事に演奏してくれるとは、最初から夢にも思っていなかった。私が参加した最初のリハーサルでは、この演奏家たちは作品を止めずに弾き通した(作曲家はこのようなことに慣れていない)。そのため、その後のリハーサルは、バランス、テンポ、ニュアンスの改良に専念することができた。プロ・アルテとの共同作業は、まったく違った意味で、この作品を最初に作曲したのと同じくらい満足のいくものだった。

作風は基本的に無調ですが、ラーダール自身が述べているように情熱的で、はち切れるリリシズムを秘めています。何度か聴いて耳になじませていくと、面白く聞けるようになるのではないかと思います。残念ながらそれほど私は繰り返し聴いていないので、彼のいう変奏曲の感覚まではつかめていません。

録音ですが、人工的なエコーがかかったような音で、第2部の途中、違う音バランスのテイクが編集で挿入されていて、とても不思議な感じです。

初演者によるレコードの演奏とは違いますが、YouTubeに同曲の映像がありました。Daedalus Quartetの映像ばかり3つも出てくるのはすごいですね。

YouTube (Daedalus Quartet)  (Gardner Museum、2013年)
YouTube (Daedalus Quartet) (Gardner Museum、2015年)
YouTube (Daedalus Quartet) (The Kosciuszko Foundation, New York City, 2022年4月14日)

併録はエルネスト・ブロッホのピアノ五重奏曲第2番 (1957) です。ラーダール作品に比較すると、こちらの方がぱっと頭に入りやすい作品かもしれません。ブロッホ作品の良き録音の一つとして推薦できるものになりそうです。


Experimental Musical Instruments (EMI) archive

バート・ホプキンがかかわっていた『実験楽器』という冊子、以前はCD-ROMになっていて、一応持ってはいるのですが、絶版になっていて、いまは以下のアーカイヴから読めるようです。ダウンロードも可能です。

2024年11月3日日曜日

アメリカのシェーンベルク ~ 創作、交友、教育 (『都響』エッセイ)

 『都響』エッセイ集の一つとして「アメリカのシェーンベルク ~ 創作、交友、教育」という文章を書きました。どうぞよろしくお願いいたします。

https://www.tmso.or.jp/j/archives/special_contents/2024/2024essay/column/column07.php

ランダル・トンプソン指揮の《アレルヤ》(メモ)

 『ランダル・トンプソン・プログラム A Program of Music by Randall Thompson』から。作曲者指揮ハーヴァード大学・グリークラブ、ラドクリフ・コーラル・ソサイエティ Harvard Glee Club – FH-RT モノラル録音LPレコード

出だしは 40前半〜後半BPMなのだが、盛り上がってくると50BPM台に入る (Lento指示らしいけど、冒頭はLargoじゃないのって思うくらい)。録音のせいなのかもしれないけれど、冒頭とクライマックスとの強弱の差も激しく、再生装置の音量設定もなかなか難しいかもしれない。

2024年11月2日土曜日

レジャレン・ヒラー:ピアノ・ソナタ第4番・第5番

Lejaren Hiller, Sonata No. 4 for Piano (1950); Sonata No. 5 for Piano (1961). Frina Arschanska Boldt (No. 4); Kenwyn Boldt (No. 5). Orion ORS 75176.

レジャレン・ヒラー:ピアノ・ソナタ第4番 (1950)、第5番 (1961)。フリーナ・アルシェンスカ・ボルト、ケンウィン・ボルト(ピアノ)

レジャレン・ヒラーというと、どうしても音楽理論にもとづいたアルゴリズムによってコンピュターに作曲させたという弦楽四重奏のための《イリアック組曲》 (1957) のことを思い浮かべてしまう(曲の方は腑抜けするほどAIの作ったクラシックのような感じというべきか…)。しかし、彼自身が自分の意志で書いた曲 (?) はどんなものなのかな、という疑問を持って、このレコードを入手してみた。ヒラーって、プリンストンで化学を専攻しながら、作曲をミルトン・バビットとロジャー・セッションズに師事していたらしい。そうなると、余計に前衛/無調系なのかな、と思いつつ、でも、サイエンス系・技術系の人は、案外保守的な音楽好みなのでは、という先入観も持ってみたり。

作曲家自身による解説文よると、このレコードが発売された時点で、ヒラーは6曲のピアノ・ソナタを作曲していたらしく、収録されている4番と5番のほかには第1番(1946)、第2番(1947)があるという(3番には言及がない)。他にもピアノのための長大な作品があり、そのうち《12音による変奏曲 Twelve-Tone Variations》は別のレーベルに録音されているとのこと。ちょっと調べてみたら、そのレコードはTurnabout TV-S 34536で、YouTubeでも聴くことができる。

 

さてピアノ・ソナタ第4番の作風の特徴としてヒラー自身が説明するところによると、「最後のソナタを除く他のソナタのほとんどとは対照的に、ソナタ第4番はややプログラム的で、唯一ユーモラスな作品である」のだそうだ。確かにソナタ第4番の第2楽章にはスイングの感覚が感じられたり、黒人霊歌っぽい部分があったり、民謡っぽい部分があったり。クラシックは基本としつつ、いつの間にか異質なものが混ぜ込まれているという印象を持った。一方の第1楽章はロマンティックな作風だったりもする。

第5番のソナタは New World から別のピアニストによる演奏がCDでリリースされている。第1楽章は、すべての音程関係(短2・長2、短3・長3、完全4…)を含む音列が使われているそうだが (C, As, D, F, G, H, B, F, Es, E, A, Fis)、12音全てではなく、F音が重複し、Cesは欠けているとのこと。ソナタ形式を踏襲しつつ、再現部では(2つではなく)3つの主題が逆の順番で提示されるとのこと。


第2楽章は鍵盤の上半分の音域を意識的に使って書かれた「静寂に包まれた」音楽(12分半ほど)。第3楽章は調性の枠組みではないものの対照的な主題を提示するという点でロンドなのだそうだ。ソナタを作曲していた時期が《イリアック組曲》と重なっていたため、「チャンス・プロセス」にも強い関心を持っていたというのも興味深い。ただ聴いた限り、偶然性を感ずるところはなく、アクセントの出し方が面白い、スケルツォ的な性格の楽章なのだろうと思われた。

作曲家自身によると第4楽章は「7/8拍子と10/8拍子による素材の対比」であり、しかもジョン・ケージとの共作《HPSCHD》の「2つのチェンバロ・ソロで引用されている」とのことだった。《HPSCHD》は何度かさらっと聴いたはずなのだが、とっさに《HPSCHD》の曲が思い浮かばなかった…。2分もない、あっさりとしたエピローグだった。

個人的には第4ソナタが面白い発見だった。ヒラーが当時の批評として紹介したものをライナーノーツから引用してみると、「ヒラーのソナタは、ベートーヴェンからポップなダンス音楽まで、さまざまなスタイルのごった煮で、無声映画の音楽のように聴こえることが多い」だそうで、初演をしたピアニストのフリーナ・ボールドについて「中間楽章で聴衆の笑いが抑えられなくなったときに若干崩れたものの、献身的な演奏を披露した」とのこと。いま改めて演奏されたとしたら、案外普通に受け入れるんじゃないかと思う。

第5番の方は、《イリアック組曲》《HPSCHD》への言及で興味をそそられた。聴き比べてみる必要があるとは思う。

2024年8月9日金曜日

レオン・ルイス:《クァルテット・アメリカーナ》(1960)

ルストガルテン四重奏団 Bristol Records 番号なし (片面のみのレコード)


とある方から譲り受けたレコード・コレクションの中の1枚。片面のみ溝が刻まれているレコードは初めて所有することになったかもしれません。作曲者はレオン・ルイスとされていますが、このレコードのジャケットは手書きの赤字で、それ以上の情報はありません。


ということで、調べてみました。

レオン・ルイスは1890年3月30日にミズーリ州カンザスシティで生まれ、シカゴに育ちます。幼い頃から音楽の訓練を受け、「ピアノの神童」として奨学金を得てウイーン国立音楽学校に入学。 そこでピアノをテオドル・レシェティツキーに、指揮と作曲をヘルデン・グレーデラーとテルンに師事したという情報を得ました。テルンというと、カーロイ・テルンという作曲家が有名なのですが、年代的にはルイスが生まれる前に亡くなっているので、2人の息子のうちのどちらか、ということになるんでしょうか? パッと調べてみたところ、息子のウィリもルイスもウイーンでピアニストとして活躍したっぽいですが、エルヴィン・シュルホフも師事したというウィリだったのかなあ?

さてルイスは1910年に帰国し、コンサート・ピアニストとしてヨーロッパ、アメリカ、カナダをツアーします。時代柄、サイレント映画の音楽を担当した経験もあったようです。1920年代にはシカゴのラジオ局WBBMで音楽監督を務め、その後、CBSラジオ・ネットワークの交響楽団の指揮者を長年にわたって務めました。作曲活動に専念するようになったのは1945年頃からで、1960年10月5日、ロサンゼルスの娘を訪ねている最中に亡くなったということです。

《クァルテット・アメリカーナ》は1960年の作品。同年にルイスは亡くなっているので、最晩年の作品ということになりますね。レーベルにもある通り3楽章形式です。どのような経緯でこの曲を作ったかについては、正直分かりません。とあるレコードの解説には「自由、進歩、そして人生を満喫することへの関心」を表現しているとありましたが、うーん、それはタイトルがアメリカだからというところから出発して書いた、アメリカの美化のような感じもしなくもない…。

第1楽章の<ニュー・ランチョ・ディアブロ>ですが、これはどうやらカリフォルニア州にある「ランチョ・ディアブロ」というコミュニティの名前のようで、アメリカ西部との関わりがありそうな雰囲気が漂っています。荒野へ向かっての叫びのような楽想から始まり、ワイルドな感覚があります。

第2楽章は<ニューオーリンズ>と題されており、ついディキシーランド・ジャズなどを想像してしまうのですが、あに図らんや、緩徐楽章になっています。あえていえば、黒人霊歌からのインスピレーションがあるということなのかな。

第3楽章は<ニューヨーク>ということで、なにかジャズっぽい音でもあるのかなと思ったのですが、そういうものはなく、モダンで活力のある都市を描いたものなのでしょうか。確かに第1・第2楽章とは明らかに違う感覚はありますね。

ということで、全体として、曲がどれほど「アメリカーナ」なのかは分かっていないのですが、アメリカを形作る地域的な違いを作曲者なりに音で描き分けたという感じの作品なのかもしれません。