日本音楽学会の2日目は、18世紀音楽のラウンドテーブルに参加してきました。いろいろ刺激がありました。
そもそもの前提として「劇場音楽」 (例えば今回の話の発端としてのオペラや歌舞伎) と「18世紀」という括りにすると、必然的にプロの音楽家の活動にかなりフォーカスが行ってしまうのは仕方ないことなのでしょうけれど、それがあるからこそアマチュアはどうだったのっていう流れがセッション後半に出てきたのは自然なことだったのかもしれません。ただ史料を通じて過去と向き合うにあたって、アマチュアの範疇に入る音楽家が、楽譜/文字としてどれだけ残っているのかということもあるのでしょう。
一方で、文字資料のない民族の18世紀の文化は、どのように見たらいいのかという疑問もありまして、歴史の史料として残っているものの見極めも、とても難しい問題だなあと思う次第です。
私の場合、中世音楽を西洋音楽通史で扱うにしても、例えば「世俗音楽」の回というのは確かにあるのですが、この「世俗音楽」にしても folk music の世俗とは違ったりするので(たぶん。church musicに対してのsecularでしょうから)、結局、文字資料や楽譜から再構築できる範囲の歴史であり、史料的に扱えない部分の歴史もあるんですよ、という前置きはいつも言うようにしています。
結局この日は、午後は途中で抜け出して(発表も聞きましたが)、東京文化会館でちょっと調べ物をしてしまいました…。午後のラウンドテーブルには、アジア各国における「近代化」についての話もあったようで、とても面白そうだったのですが、またそれは、田中優子先生に学内でお会いしたとき、直接お話をお伺いしたいなあと思います。
西洋音楽史に限らずですけど、年号は歴史を地理的に串刺して考えるための手段としては、とても面白いことを教えてくれる可能性があるんですよね。直接的に文化的交流があったかなかったで、立証の可能性の問題はあるとは思うんですけど。点在する類似の事象を、どうしても科学的に関係付けるのが難しいところが学問世界なんでしょうねえ。
森泰彦先生が文献表で挙げられていた Daniel Heartzは一度、私が在籍していたフロリダの大学にゲストで来たこともあったんですが、本は読んでません(恥)。基本文献と言われていたJames Websterの論文は読んでみたいです(恥again)。勤務校には置いてないようなので (JSTORにもない)、取り寄せてみます。
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